第8.5話 その剱は何の為に
街が白一色に染まるころ。
あまりの寒さに吐息さえも色づく季節。
存在証明の為に人を斬っていた。我が心はどこにあるのかと。
答えがないと知っていながら、ただひたすらに剣を握り続けた。
刃こぼれしようと、骨が軋もうと、血で眼が滲もうとも。
「お前、いい腕してるな」
戦場で言葉をかけるものがいた。
命のやり取りの場で、呑気に笑みを浮かべて甲冑もなく歩み寄る者がいた。
「……」
それ以上近づけば殺す。口を開かずとも目で、殺意を伝えたつもりだった。
その者は臆することなく、歩き続けた。
そして、
「寒かっただろう、これやるよ。」
そう言って翠の布を、マフラーを頭にのせて先に行ってしまった。
たかが薄布一枚。寒さなど変わらない。
なのに、何故、私の心はこんなにも満たされている。
「待て」
「ん、なんだ?」
確かめたかった。
この暖かさの名前を。
「名を」
――名前?俺の名は……
「無名、無名、無名!」
優しい声音が呼びかける。
(私は……)
ゆっくりと開いた瞳の先に映る声と同じく優しい顔で微笑む人の姿。
――ああ、本当によく似ている
はっきりとしない意識のせいか、どこか懐かしさを感じるその顔に手を伸ばす。
「え、ど、どうしたの……無名?」
頬を回すようになで、愛おしそうに摩る。
「お迎えにきてくれたのですか……?」
これもまだ、夢の中だろうか。
「うん。そろそろ出発するよ」
――×××、どうか達者でな
「ッ!」
寒気がした。
尽きる事のない後悔と血が滲む程の呪いの香り。
そこで、ようやく自分が深い眠りについていた事に気づく。
「……ソラ殿。すみません、寝ぼけていたようです」
触れていた左手を力なく下ろし、右手で締め付ける。
何もないはずの心は、たった今失われたかの如く締め付けられる。
「ううん。しっかりと体を休めれたみたいでよかったよ」
「ええ、こんなに深い眠りは久方ぶりです」
布団をめくり、体を出す。
「わざわざすみません。やることが沢山あるというのに」
「!」
ソラが無名の体を見るなり目をそらしてしまう。
「どうかしましたか?」
「え、いや!その!女の子って知らなくて!その、ごめんなさい!」
随分と馴染みのない反応を見て、無名は思わず吹き出す。
「ええ、とうに女を捨てた身ですが。体の作りばかりはどうにもなりませんので」
「マリアとかに頼めばよかったね……。本当にごめん」
「いえ、こちらこそつまらないものをお見せしました」
そう言って恥じらい一つなく、さらしを巻き始まる。
「そちらのタンスから桜色の羽織と赤色の袴を取って下さい」
頼まれて取り出した服からは花の香りが遠くからも香る。
目の前で気にすることなく着替える無名から自ずと目を逸らすソラ。
「ソラ殿は、何故戦うのですか」
これは武力でのやりとりを示していないのだと察した。
「実は、その場その場で衝動に駆られてるだけで、何故戦っているのか考えたことはあんまりないんだ」
「それにしては随分と芯が通っているように見えますが」
「自分を曲げない意気地の悪さかもしれない」
「……」
布のすれる音とわずかな吐息の音、沈黙の中でも着々と支度を済ませる無名。
衣服の支度を済ませ、刀を腰に据える。
そして、しばらく止まったかと思うと、こちらを振り向いた。
その顔は、どこか切なそうに、何かを求めるように怯えた表情だった。
「自分が何の為に戦っているのかわからない時、貴方は剣を振るえるだろうか」
その目をソラは知っていた。
己が何者であるのかと怯え、何を頼りに生きればいいのかと縋る目を、知っている。
いつか自分が受けたぬくもりを、彼女にとって求めているものかはわからない。
しかし、ソラの両手は反射的に無名を抱きしめていた。
「一人じゃないよ」
「あ……」
一瞬突き放そうとした無名の両腕が落ちる。
「守るべきものがあるのなら、剣を振るう理由が今なくても戦うよ。
適当な理由を付けて、自分を正当化して、戦うよ」
その言葉を聞き、無名は安堵した。
「そうか、貴方も誰かの為に戦っていたのですね」
「ん……?」
距離をとり、改めて見つめ合う二人。
無名は穏やかな笑顔でソラに宣言する。
「例え、私が間違いだとしても。活人剱は決して間違っていないのだから」
――迷う必要はない。この剱は誰かを守るためにあるのだから。
未来を、かつて彼らが戦った意味を失くさない為に。
「いきましょう、ソラ殿」
「無名?」
「相手が戦神だろうとこの無名、必ずや力になってみせましょう」
「そりゃあなんとも頼もしい」
迷いの晴れた無名の足取りは土を削り、確かに歩いていることを実感する。
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