桃楽龍宮 編

プロローグ

1: 天使

暗闇に包まれた視界の中で雨音だけが鳴り響く。

――先生、大丈夫ですか

電波の悪い通信のように乱れた機械音声が意識を覚醒させる。

2、3度の瞬きの後、目の前に一人の黒いセーラー服の少女がいることに気が付く。

――君は……?

声は出ない。彼女に伸ばした右手が骨だけの様に細く包帯で巻かれている。

「……」

「仰せのままに」

目を伏せ、少女はゆっくりと先へと進んでいく。

「幾千繰り返そうと、貴方の望む未来にたどり着くまで」

――これは、貴方の物語なのだから


反射的に目が開かれる。

そこには見慣れた天井と様子を伺うクルミの姿。

「ソラ、とっても怖い顔をしていました。大丈夫ですか?」

「ありがとう、心配させたね。ご飯にしようか」

夢というにはあまりに鮮明な、現実と呼ぶにはあまりに現実離れした世界の景色。

シーツを整え、Yシャツとズボンに着替え、寝室を出る。

「随分な熟睡じゃないか。もう準備満タンだよ」

既に食卓テーブルにつき、自分の分だけ用意されたフォークとナイフを握るマリア。

「いつまで居候する気なんだ……。ロボットって食事居るの?」

「元はと言えば私の家だぞ!別に食べなくても機能上問題ないが、天才美少女たる私がそのような娯楽機能をつけていないわけがないだろう!」

「はいはい、天才美少女も今では人かどうか怪しいけどね」

軽い談笑を挟みながらエプロンを着用し、朝食の準備を進めるソラ。

隣でクルミが鼻歌まじりにホットケーキミックスの入ったボウルを掻き回している。

ドミニオンでの一件以降の日常。復興作業も順調に進み、穏やかな日々が続く。



「はいどうぞ!これは博士の分です!」

机に出されたパンケーキは駄菓子でよく見るサイズだった。

「ん……?クルミ、このパンケーキ何か小さくないかい?」

「博士は居候の身分で無所得なので当然です!働かざる者食うべからずです!」

「ふにゅう……」

情けない機械音声で唸りながらマリアは小さなホットケーキにシロップをかける。

「コーヒーあるけど、どうする?」

湯気のたった珈琲カップをありがたそうに両手で受け取るマリア。

「福利厚生!」


――ピンポーン

そんな幸せなひと時は聞きなれないインターホンの音によって静寂になる。

「来客の予定あったっけ?」

「いえ、12時頃にドミニオンで顔合わせくらいしかないはずです」

ロックを解除した途端、こちらがドアノブを握るより先に扉が開かれる。

「こんにちは。高木ソラさん、ですね」

薄く開かれた瞳は金色の輝きを放ち、獲物を射止めるような鋭ささえ感じた。

閉じられていた翼がグッと溜めて広げられる。

――天使!?

言葉にせずとも、聞かずとも、目の前の存在が何者であるかを理解した。

「は、はい……」

「少し長くなります。おじゃましますね」

こちらの確認を待つ事なく靴を脱ぎ、天使は茶の間へと向かう。

「……」

「……?」

マリアとクルミへと視線を向け、微笑んだ。

「機械の女王と、賢者様」

誰にも聞こえない程度に静かに呟くと、「いえ」と続けて目を伏せる。

「決断するにはあまりに早計でしょう」

そのまま翼を小さく折り畳み、空席へと腰を下ろし挨拶をする。

「此度は高木ソラさんへの伝言をステラ派会長より預かり、参りました。」

金色に輝いていたはずの瞳は青色に、先ほどまで感じた不気味さも消えていた。

「ミトラといいます」

そう笑う彼女に対してソラとクルミは黙り込んでしまう。

一瞬の沈黙が生まれた後に、マリアが挑発めいた声音で反応する。

「使い名を呼称として名乗るもんじゃないよ、無礼者」

鼻で笑いながら、ソラ用の珈琲を許可なく口に含み一息、ミトラも反撃する。

「消されなかっただけ感謝するべきですよ。身分を弁えなさい、罪人」

砂漠にいるのかと錯覚するほどの乾いた空間。

喉を焼くような刺激が言葉を出させまいと張り付いている。

「えっと、要件は……?」

耐えかねたソラが仕切りなおすために一歩を踏み出す。

「ドミニオン生徒会会長より受けた報告により、正式に天魔会談で貴方の公表と表彰を行うことが決まりました」

「来月、6月中旬頃と伺ってましたが」

コトネから前もって聞いていたことだ。本来、新年度すぐに行うはずだったが私の記憶喪失による業務の支障を考慮して凍結されていたらしい。十二分な成果を挙げたことで差支えないだろうと解凍されたのだ。

話を遮ったことが気に障ったのか、ミトラは少し声音を上げ、ソラの話を遮り返す。

「話は最後まで聞くものです」

「す、すいません」

「貴方の言う通り会談は来月。それまでの時間を有意義に使っていただきます」

「そ」

その前に、自分を呼んだ理由を、特別指導教員という身分を与えた目的は。

衝動的に開かれた口はミトラの人差し指によって静止させられる。

「二度も言わせないでくださいね?」

声音は優しいものだが、こちらを見つめる瞳はうっすらと金色に光っている。

諦めたように体を落とし、話を聞く姿勢に戻る。

「貴方にしか出来ない事がある。その為に必要な身分と役割を与えているのです」

「……」

「旧アルカンジェリ学園近郊へと赴いて下さい。メンバーは集めてあります」

「……そこで何をすれば?」

「行けばわかります」

ミトラが右手をあげると、控えていたのか見慣れた人物たちがぞろぞろと見える。

「メノにケイ、それに羅生姉妹!」

「また一緒に仕事ができるな!」

「お久しぶりですね、ソラさん」

「相変わらずだね先生」

「詳しいことは道中彼女たちから伺うといいでしょう。それでは健闘を祈ります」

「がんばるぞー!」

遠足気分のメノを後に、ドミニオン生徒会庶務ミコト班での任務が再び始まった。

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