第3話 消えた宝物

 碧燿へきようの目に留まった書き付けに記されていたのは、このようなことだった。


 芳林殿ほうりんでんにてきょう充媛じゅうえんの宝物が失われる。よって、宮女きゅうじょ一名を獄に入れる。


 最初、碧燿が握りしめていた紙片は、義兄の珀雅はくがへ、ついで皇帝の藍熾らんしへと渡った。官吏が特別に許可を得て後宮に足を踏み入れるのは、まあまったくないことではない。特に彤史とうしの碧燿を先頭に進んでいるから、傍目には何かしらの用事があるのだろうと見えるかもしれない。


(でも、もう少し人目をはばかって欲しい……)


 なぜか碧燿が引き連れる形になっている殿方ふたりは、背も高く見目良く、たいそう目立つ。皇帝やその近侍きんじの顔を知っている者は多くはないかもしれないけれど、気軽に噂になって良い方たちではないだろうに。なのに、藍熾は声を落とすことを思いついてはくれないらしい。後宮には似つかわしくない低い響きの嘲笑が、碧燿の背中に刺さった。


「卑しい者は誘惑に弱いものであろう。騒ぎ立てることか?」


 読み終えたらしい藍熾の手から書き付けを取り戻しながら、碧燿は指摘した。


「窃盗の罪は確かに裁かれて当然です。が、証拠もなしに断罪するのは不当でしょう」


 充媛じゅうえん九嬪きゅうひんの末席を占める正二品の位階。その御方の持ち物を盗んだならば、死を賜っても文句は言えない。……そう見えるように、きょう充媛じゅうえんだかその侍女だか調べた宦官だかは彤史とうしに記録させようとしたのだろうと思う。藍熾も、ごく単純にそう解釈したのだろうけれど──


(宮女が盗んだとはひと言も書いていないじゃない。モノが何だか知らないけど、使うことも売り払うこともできないでしょうに、そんなことする……?)


 宝物が失われた、ということは、盗もうとした現場を抑えたとか宮女の持ち物に紛れていたとかいうことではないのだろう。いったい何の根拠をもってその者を罰しようというのか、確かめないことには筆を持つことなどできはしない。


「管理していた責任というものもあるのでは?」


 珀雅は、まだしも声を潜めて問いかけてくれた。目立たない、というよりは義妹の耳元に囁きたかっただけではないか、という疑惑はさておき──碧燿はやはり、首を振る。


「であれば、そのように記録しなければなりません。宝物がなくなった、奴婢が罰せられる。ふたつの事柄は本来はまったくの別物ですのに。──高貴な方の立ち入るところではありませんが、本当にいらっしゃるのですか? 虫もネズミも出ますけれど?」


 話すうちに、彼女たちは後宮の薄暗い一角に辿り着いていた。物理的に建物の影になっているという意味でもあるし、陰の気が淀んだような雰囲気がする、という気分の上での意味でもある。罪を犯した宮女や奴婢ぬひを閉じ込める、獄舎ごくしゃだった。


(まずは、捕らえられた宮女に経緯を聞かないとね)


 できれば湿ってかび臭い獄を嫌って付いて来ないで欲しい、と思ったのに。藍熾は相変わらず傲岸そのものの態度で嗤った。


「獄など慣れている」


 そうして、彼が帝位を得た経緯も血腥ちなまぐさいものだったと、碧燿に思い出させた。


      * * *


 桃児とうじなる宮女は、碧燿の姿を見るなり牢の奥の汚れた壁に張り付いた。彼女の姿というか、後ろに引き連れた男ふたりを刑吏けいりと思ったのかもしれない。ただでさえやつれていた頬をさらに青褪めさせて、甲高い声で叫ぶ。


「私──殺されるのですか!?」

「まだ分かりません。もしも罪がないなら、助けてあげたいとは思っています。私のもとに届いた情報は、どうにも少なすぎるので」


 こういう時、必ず助けるから真実を語って欲しいとか言えれば何かと滑らかに進むのだろう。けれど、先に藍熾に述べた通り、碧燿は罪は罪、罪人が裁かれるのは当然のことと考えている。自分自身に対しても、偽りを口にしてはならないと考えてしまうのは我ながら難儀な性格だと思う。


(弱い立場の者が罪を押し付けられることが多いのは、分かっているけれど、ね……)


「紛失した宝物とは何なのですか? 貴女に責任がある形でなくなったのですか? ほかに触れたり──盗んだりできる余地があった者は?」

「なくなった、のは……玉を連ねた綬帯じゅたいです。緋色の絹に金銀の刺繍を施して──真珠と青玉と瑪瑙で飾って……充媛じゅうえん様のご自慢の品です。歩くたびに玉が触れ合って、奏でる音が楽のようで……」


 綬帯とは、帯から提げる装飾品のことだ。侍女や宮女が纏うなら色とりどりの組紐ていどになるのだろうが、さすが、妃嬪が身に着けるものとなるとものが違う。


(さぞ眩いのでしょうね……衣装もかんざしもほかの衣装も、相応に豪奢に装うのでしょうし)


 牢の中、暗い視界に宝石の絢爛な輝きが閃いた気がして、碧燿はそっと瞬いた。そして、を続ける。綬帯の様態こそ詳細に語ってくれたけれど、桃児は彼女の問いにほとんど答えてくれていないのだ。


「それで──その綬帯は、見つかってはいない、のですね? ならばなぜ貴女が捕らえられたのでしょう」

「仕方のないことなのでしょう。あの……先日、きょう充媛じゅうえん様に皇帝陛下のお召しがあったので──」


 これもまた、明瞭な答えとは言い難い。けれど、力なく俯く桃児は、言葉によらず彼女の置かれた状況を教えてくれているようだった。


(ほかの妃嬪からの嫌がらせ? で、公にはできないからとりあえず宮女を罰するということ?)


 囚人をこれ以上怯えさせぬよう。それに、精悍で、堂々とした──宦官にはとても見えない姿を隠すべく、藍熾と珀雅は離れたところ、檻の内側の桃児の視界には入らない場所に下がってもらっている。そちらを咎める目で振り返ったりしないよう、碧燿は首のあたりに力を込めなければならなかった。


皇帝あなたがしっかりしていればこんなことにはならないのでは……?)


 彤史とうしのところに押しかけて、夜伽の記録を偽らせようとするのではなくて。妃嬪の序列や力関係に気を遣って、嫉妬心や競争心を煽らぬように心を砕いて──なんて、ほんの少し接しただけでも藍熾に期待できないのは分かってしまう。


「ですから──私、充媛じゅうえん様をお恨みなどしません。絶対に、何も口にしませんから、命だけは、どうか……!」

「それでは真実を闇に葬ることになるではないですか。少し黙っていてください」


 桃児からは、もはや有益な情報を聞き出せそうにないと断じて、碧燿はぴしゃりと言い渡した。哀れな宮女は、媚びるような縋るような弱々しい笑みを凍り付かせたけれど、構ってはいられない。

 この分では、姜充媛じゅうえんも綬帯を探したり犯人を突き止める気はないのだろう。ならば次はどこから探るべきか、碧燿は考えるのに忙しかった。


芳林殿ほうりんでんを訪ねた妃嬪を洗い出せば容疑者は絞れる? でも、綬帯はそれなりにかさ張るはずで──スカートの中にでも隠せるもの? 音も鳴るのに?)


 では──盗んだ上で、どこかに隠しておく、か。芳林殿ほうりんでんからさほど離れていない、庭園なり四阿あずまやなり。あまり近くても、姜充媛じゅうえんの捜索が及んでしまう。落としどころになりそうな場所は、と。後宮の地図を頭に浮か上がらせた時──


「あ」


 碧燿は、思わず吐息のような声を漏らしていた。それを聞き咎めて、珀雅が音もなく傍に寄ってくる。陰から現れた美丈夫を前に、桃児がひゃっ、と悲鳴とも歓声ともつかない声を上げる。もっとも、囚われの宮女には目もくれず、珀雅が覗き込むのは碧燿だけだ。


「どうした、碧燿? 何か気付いたのか?」

「ええ。義兄様にいさまがいてくれて、良かった」

「……どういう意味かな?」


 つい先ほどまでは、皇帝じゃまものを連れて来てくれた面倒さ鬱陶しさを隠していなかった碧燿である。曇りないにこやかな笑みを向けると、珀雅は少し頬を強張らせた。さすが、義妹の性格をよく知るだけあって、嫌な予感を覚えたのだろう。正解である。良い義兄に恵まれた喜びに、碧燿は笑みを深めた。そして、告げる。


「姜充媛じゅうえんの綬帯の在り処が分かったと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る