インフレーション報復

母との買い物で私はキャラクター物の食玩を万引きをした。幼い頃のことだ。バックヤードに連れて行かれ、おそらく店長であった男に詰問されたことを覚えている。親子ぐるみの犯行を暴こうと息巻いていたのだろう。しかし、やがて私単独のものと分かると、買い取りと謝罪で無罪放免となったようだ。帰り道で、母は怒りながら、しかし泣きそうになりながら、食玩を投げ捨てたことをよく覚えている。同時に何か言われたはずだが、そちらは覚えていない。私は、ただ、うまくやらなくちゃと思った。


高校受験でも大学受験でも、私は推薦を利用して進学した。よく優秀と言われるが、私は事前に校内推薦は通ると知っていたのだ。推薦を狙っている他の子達が、私よりも成績が低かったからだ。仲の良い子達だったが、出願が迫ったある日、私は苦々しい表情を顔に張り付けて、実はその学校に憧れがあったこと、推薦の出願をしてしまったことを言い出すと、彼女たちは許してくれた。あまつさえ、言ってくれてありがとうと、感謝までしてくれた。入試当日の面接よりは、それよりも簡単だった。


大学時代、講義以外の時間は、バ先のコンビニに居た。入るのは決まって平日の夕方で、近場に大きいスーパーがあるおかげで暇だったからだ。事務処理をしている店長が裏にいるだけで、店内は私一人であることがほとんどだった。ある時、対象商品を買うと流行りのアニメのクリアファイルがついてくると、店内放送が伝えていた。こういうおまけ系は厳密に在庫管理や棚卸しをしているわけではない。私は、補充する振りをして全種確保したことを思い出す。後日、大学で普段からノートの板書や課題のヒントを手伝ってもらっている、入学首席の友達に、そのクリアファイルはをプレゼントした。在庫が余ってしまったからと付け加えて。彼女は私の好意を素直に受け止めてくれた。


就職活動に突入した頃、私はすぐに内定を決めた。特別行きたい会社にはインターンシップに応募してアピールしておくことが重要と知っていたので、先手を打っておいたのだ。まあ、私の場合は、特別行きたいというわけではなかったのだけど。業界分析はインターン時に知った内容を元にまとめられて、自己分析は繋がれた社員さんに見てもらうことができたので、就活準備はかなり楽だった。ただ、同じ学科の子たちはちょっと苦戦しているようだった。首席の彼女も、大学のレベルからすると難しいところにチャレンジしているようで、大変そうだった。


入社一年目はまるで学校のようで、同期は誰々がかっこいいだとか誰が将来有望だとかそんな話ばかりだった。同期とお茶に行ったり、お酒を飲みに行ったりするだけで、情報はいくらでも入ってきた。私は、中でも一番人気のあった男と付き合った。顔も仕事も悪くなかったので、三年後には結婚した。


私は1児の母として子育てに奔走中だ。子供には習い事をさせて、将来が楽になるように色んな力を蓄えさせたいと思っていた。今は早いが、ゆくゆくは水泳やピアノ、英会話教室、お受験用の知育教室や、ああそうだ、プログラミング教室なんかもいいかもしれない。


そんな中、実家の母が危篤と連絡を受けた。母は既にがんが進行しており、ほとんど口もきけない状況だった。病床で母と会話にならない言葉を交わす中で、母は私にねぎらいの言葉をかけた。よく頑張ったね、自慢の娘、といったことを。その瞬間、私は涙が出てきた。ずっと要領よくうまくやりたいと思っているだけだと思っていた。私は、褒められたかったんだ。苦しそうに息をする母の手を握り、横で私を案じる娘を、私は抱きしめた。母が食玩を捨てたあの日から、ずっと何かに取りつかれていた。如才なく、うまくやらなくちゃならない。一つうまく行くと、次もまた成功させようとした。まるで何かが膨張するように。それらは今、溶け出して、私は何の力も入らなくなった。冷たくなりゆく母と、娘の温かな体温を、私は感じ取っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート作品集 @hanger_morning

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ