第16話 結界
ロネは思った。
けしてディルオーネの好きにさせてはいけないと。
翌日、三人はまだ夜が明けきる前の時間にこそこそと街を出た。
ディルオーネに計画を知られないように、まだこの町にいるかもしれない彼に見つからないようにと朝早くから行動する必要がある。
ルキルがいつも利用してるという馬を貸す商店で、朝早く店主を起こして無理を言って貸してもらった。
本来ならば商売として営業時間前に起こされるのは不本意だそうだが、ルキルの常連で顔なじみの好と、通常より金を多く払うという理由で無理やり了承してもらったのだ。
情報屋として移動手段は必須であるルキルはそういった場所に顔が利くのだ。
三人は大型の馬に乗り、朝早くから町を出た。
かなりの長距離移動になり、目的地の南の山に着く頃にはもう夕暮れになっていた。
夜になりかける暗い空の下、ユトとロネは麓でようやく馬から降ろされた。
「お二人ともお疲れ様でした。ここが目的地の山です」
「ここが……」
緑に囲まれた、自然豊かな山だった。木も多く、隠れ住むにはぴったりだ。
夜とはいえ、町などで見る空よりも明るい色合いだ。
それはここが通常の場所よりも光がよく降り注ぐ証拠だろう。
「私が来れるのはここまでです」
ルキルは普通の人間なのだから、結界があるかもしれないこの先には入ることができない。
「ありがとうございます」
「健闘を祈ります。どうかお気をつけて」
馬車で麓まで乗せていってもらったが、ここから先は自力で進まねばならない。
「ここからが歩きだな」
険しい山道になるが、二人は歩くことになる。
今すぐ行きたいところだが、ユトはこう言った。
「ちょっと今日は遅いから、ここらで休息にしよう。明日にはきっと着く」
山歩きということは体力を使うことになる。それならば万全な状態で挑むことがいいだろう。
しっかりと体力を回復しておかねばならない。
「仕方ないな」
急ぐ気持ちを抑え、ロネはそれに従うことにした。
休息のために、焚火を起こし、寝る準備をしようとしていると、ロネは物思いにふけっていた。何かに迷っているような表情だ。
「ロネ、どうした?」
ぼんやりと物思いにふけるロネに、ユトは聞いた。
「その里へ行くのがちょっと怖い」
「なんで? 何か不安でもあるの?」
「……たとえそこが母さんの故郷だとしても、私が行っていいものなのかはわからない。もしもこの先にライトブラッド達の住処があるとしても私が行ったところ人間とので混血だってことで気味悪がられるんじゃないか。半分は人間である私の言うことなど、受け入れてくれるだろうか」
焚火をじっと見ていると、炎が揺らいでいる。
それはまるで現在のロネの心を表しているようだった。
「もしも母さんの故郷で私の存在が気味悪がられたら、人間にも蔑まれて、ライトブラッドにも蔑まることにもなる。私にはどこにも居場所がないのかもしれない」
ロネの心にはそんな不安があった。
自分はしょせん混血だ。人間でもどちらの存在でもない。
人間の世界でもそうなのだから、母と同じ種族の地に行っても、そこには自分の居場所などないだろう。そんな現実を知るくらいならば、行きたくないという気持ちもあった。
「なぜお前はライトブラッドの為に動こうとする? お前を混血にした憎き種族ではないのか。その血のせいで、お前は家を追い出された。それならば本来恨むべきでは」
ユトはふう、と息を吐き、答えた。
「だからこそだよ。俺のせいでライトブラッドがあの人に恨まれる原因になった。それならちゃんと責任を取らなきゃ。俺が原因を作ったようなものなにに、逃げるなんてよくない」
「そんなもの、わざわざ責任を取るなんてこともせず、ただ逃げればいいだけではないのか」
「だって君がご両親を失ったのだって、俺が原因だったようなものじゃないか。俺のせいでロネの父さんや母さん達がいなくなってしまうことにもなったんじゃないのか」
「……ふん。わかっているではないか」
自分を失った原因は元はと言えばユトのせいであるならば、やはりロネにとってユトは許せる相手ではない。この男の父親の勝手な理由で自分の親に八つ当たりされたようなものなのだから。
「だからだよ。だから俺はロネがやりたいことに協力するんだ。ロネがディルオーネの好きにさせたくないって思ってるのなら俺もロネに協力する。今の俺にできることは、君の手助けをすることだから」
(……!)
ロネはその時、何か心が揺らいだ気がした。
命の危険があるというのに、自分につくすというのだ。
「もしも俺のことが憎いのなら全部終わった後に改めて俺を殺したっていい。俺は逃げないよ。ロネにそれだけ恨まれても仕方ないし。俺は責任を取るよ。逃げない」
「なんだそれは」
ユトは自分のことが憎いのであれば、自分を殺してもいいというのだ。
責任を取るということが、ロネに命をささげてもいいということになる。
「なぜそこまでする? 私一人の恨みで自分が殺されるなんて理不尽だと思わないのか」
「理不尽っていっても、あの人を狂わせたのが俺に原因があるっていうなら、それ相当の報いだと思ってる。俺のせいで危険に巻き込まれる人がいるのなら、本来殺されてもおかしくないし」
ユトはとても責任感の強いものなのだと、ロネは感じた。
しかし、こうはいっても、ロネが素直にユトに好意を抱けるわけではない。
「まあいい、ディルオーネのやることを阻止するまでの間だけだ。この話はまただ」
ロネはそう言って、眠ることにした。
翌朝、ユトとロネはいよいよ山へ入る為に出発することにした。
「行こう」
二人は山へ入った。
登山口と思われる場所にはわずかだが道のように地面が整っているようだった。
恐らく、誰かが出入りしているのだろう。
ライトブラッドの者が中と外を出入りしているのかもしれない。
そして、普通の登山口と大きく違う点がある。
「なんだか力を感じるな」
ロネは空気がこれまでと違うことを感じた。
ぴりぴりとしているような空気だ。まるで外のものを遮断するかのような。
ロネの身体に流れるライトブラッドの血が反応しているのかもしれない。
入口の背景が若干ぐにゃりと屈折したように見える。
それはここに何かうっすらと光る薄い膜のようなものが張っているのかもしれない。
「間違いない、ここだろう」
門番すらいない。
けして外部から人間が入ってこれないように強力な結界だからなのか、警備する必要がないのかもしれない。
しかし、明らかにここだけが違和感である。ロネとユトはその波長を感じていた。
「ここを通れば。ライトブラッドの集落に行ける」
通常、人間は入れない場所。
しかし、ここにいる二人はただの人間ではない。
半分はライトブラッドの血が流れているのだから、その血がここを通してくれるかを一か八かにかけた。
「よし、行こう」
先へ進もうと、結界に突進した。
すう、と身体が壁の中を通り抜ける感覚がした。二人はその中へと突入できた。
「入れた!」
その中へと入ることはできた。
しかし、なんだか不快感も感じた。
「くっ、なんだこれは」
進もうとすると、身体全体に重力のようなものが襲い掛かった。まるで壁があるかのように、重いものに潰されそうな感覚がする。
つま先が重くなり、足を進めようとすると、何かに拒まれている感じがする。
足を進めようにも、そのぐにゃりとした先に進めない感覚はうまくいかない。
「ここを……通り抜けられれば……!」
二人は力いっぱい踏ん張って足を動かそうとした。
混血ということで半分は人間だから、半分はライトブラッドの血だが、半分の人間の血を拒んでいるのかもしれない。
体中に重力がかかっているかのように、押し潰されそうな感覚もする。
そして身体全体に潰されそうな痛みも苦しさも感じた。
「ぐぐ……」
二人はどうにかして突進するように、と足を動かした。痛みをともうだけか、それとも潜り抜けられて、中に入れるかは賭けだ。
目の前に進むべき場所が見えているのに、先へ進むことを拒もうとするこの力は厄介だ。
なんとか結界の中央まで踏ん張って進むと、感覚が軽くなってきた気が数r。
「あと少し……」
ロネとユトは拒むような力に耐えながら進んだ。
体が押しつぶされるかもしれないという恐怖もあった。
その時だ。
「わっ」
突然重力のようなものがなくなり、軽くなった二人は足を滑らせて大胆に転んだ。
「中に……入れたのか」
二人は立ち上がって服に着いた泥をはたいた。
どうやら結界の中へ入れたようだ。
「やはり人間の血があるとはいえ、私達はここを通ることができたようだな」
この壁を通り抜けられたということは、これで先へ進める。
「いったいこの先には何があるのか」
想像はできなかった。ライトブラッドがどんな暮らしをしているのかもわからない。
外部の者を拒むということは、先住民以外はここを出入りできないということだ。
完全に外からは隔離されているのである。
「行こう、この先に何かがあるはずだ」
山に入ることができたのだから、先へ進むしかない。
二人は急ぐように足を動かした。
「本当にこの先にライトブラッド達はいるのだろうか」
ここまでは来たがロネは緊張と不安があった。
自分の母が生まれた場所とはどんなところなのか。自分にも半分流れている血の一族とは一体どんな者達なのか。それは全く想像がつかない。
人間の世界で生きていたロネには関係のない場所だと思っていた。しかし、母はそこから出て来たのだ。間違いなくその種族は存在している。果たしてどんな者達がいるのか。
「私達が突然行ったりして、すぐさまその場で処刑されるなんてことはないだろうか。これでは完全に侵入者だ」
ロネとユトは完全に外の世界からやってきた部外者だ。
住民達には敵として認識されてもおかしくない。
むしろ、本来入れるはずのない場所を訪れたのだから侵入者扱いになるかもしれない。
自分たちを見つけた途端、外部らの侵入者と刃を向けられる可能性もある。
場所を知られたからには生かして帰すことはできないと、その場で始末される可能性だってあるのだ。
「それは行ってみなきゃわからないよ。そう思われたら俺達の運命はそこまでだったってことさ」
「……そうだな」
侵入者だといわれても、二人がもう引き返すこともできない。
裏世界で顔が利くディルオーネ達を二人が堂々と仕留めれば、もしも捕まれば
ライトブラッドの混血として速攻処刑だろう。それならば二人だけでディルオーネへ何かをするわけにはいかない。
山道を進み、途中で休憩しながらも、体力が尽きる前にその場所へ着くようににと急いだ。
もしもここまで来てからライトブラッドなんていなくて、何もないかもしれないとなれば無駄足だが、それでも行かないよりはまだここまで来た意味はある。
山を登れば上るほど、身体が冷えるのを感じた。
太陽が近い場所、つまり高い場所は標高もある。
それでいて資源の育つ場所
光る血が身体に流れているのだから、その皮膚も明るい色に見える
山道を進むがここは時間の流れを感じない。
夜にならない山らしいので日は暮れない。夜にはならない。
昨日までいた山の外と違い、まるで世界から切り離されたような不思議な場所だ。しかし、不気味ともいえる。
だからこそ、まるで自分達がそれまでいた世界とは違う場所に足を踏み入れている気持ちにはなる。
二人は走るように先へ急いだ。
目的地が近づいてきたのを感じ、二人はラストスパートだと走った。
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