第11話 ユトの脱走、そして新たな出会い


 ある日、ユトは隙を見て屋敷から逃げ出すことに成功した。


 奴隷として連れてこられる時は逃げてもどこへ行けばいいのか、混血としてどう生きていけばいいのか、と迷いがあり、逃走は考えられなかったが、もはやこの屋敷の扱ならば行く場所がなくても、迫害されてでも外の世界へ逃げた方がマシだと踏ん切りがついたのだ。

 もしかして世間からは迫害されても、殺されそうになってもやり過ごすことができるかもしれないと。

「でも、どこへ行けばいいんだろう……」

 屋敷から逃げ出せたはいいが、一体これからどう生きればいいのかと途方にくれた。

 実家に帰る事なんてできない。売り飛ばされたのだから。



 ユトは彷徨い、夕方になると、どこで夜を過ごそうかと森の中をうろついていた。

 森の中ならば食料になる木の実くらいならあるだろう、と思ってだ。

「どこに食べ物が……」

 しかし、なかなかそう簡単に食料は見つからず、ユトの空腹は限界になっていた。

 ユトは力のある限り、森の中で食料になりそうなものを探した。

 木々の間を探し回り、ますます森の奥へと進んでいく。

「何か、何かないのか……」

 モウルベアのいた森のように、奥へ進むともう戻れない気もしたが、どうせ普通に生きることもできないのであれば、この際死んでもいいとも思えた。

 しかし、どうしても飢餓は耐えられなく、とても死ぬことはできないと思った。

 死にたいとは思っていても、身体の生理現象は抑えられない。

「……あれ?」

 ユトが彷徨っているうちに、木々の間から何か建物のようなものが見えた。

「こんなところに人が住んでいるのか?」

 なぜこんな森の中に建物があるのか。

 不思議に思うも、ユトは誰かがそこにいるのでは、と思うと少しだけ、人の顔が見たいと思った。もしかして食べ物を分けてくれるのでは、自分のようなものに救いの手を差しのべてくれるのでは、と淡い期待を抱いてしまう。

 ユトは必死でそこへ走った。もう体力もないはずなのに。身体は飢えで衰弱しているというのに。わずかな希望が身体を動かしていた。


 ユトは木々の間を走り抜け、その建物のようなものがある場所にたどり着いた。

森の中に、一軒家があった。人里離れたこんな場所に。

「誰か、人が住んでいるのか……?」

煙突からは煙が上がっていて、間違いなくここに誰かが住んでいるのである。

 中には一体どんなものが住んでいるというのか。もしも盗賊の隠れ家というのなら自分はどんな目に遭わされるかわからない。

 しかしユトはこの際誰でもいいと救いを求めたかった。せめて食料を恵んでくれと。

 すぐにでも建物の扉を開きたい、しかしユトの衰弱ぶり限界だった。

「だ、誰……か……」

 あと少しで建物の扉に届きそうだというところで、ユトは倒れた。

 どさっ、と人が倒れる音が響いた。ユトが地面に倒れたのだ。

「もうだめだな」

 もしも中に人がいたとしても、自分のような見知らぬ他人を中に入れてくれるわけもない。

 ユトがそう思った時だ。

 きい、と扉が開く音が鳴り、中から人が出て来た。

「おやおや、何か音がすると思えば……迷い子かね?」

 声に反応してユトが顔を上げると、そこにいたのは髭の長い、茶色のローブを身にまとった白髪の老人だった。年は七十を超えたところか。

「どこから来たのじゃ? お主、言葉は話せるか?」

m自分のようにみずぼらしい外見の子供を見れば、普通は汚らわしいだの近寄るなと言われるだろう。しかし、この老人はそんな素振りを一切見せなかった。

 その目つきは優しかった。かつてのユト父親や母のように冷たい目ではなく、ユトを一人の人間として見ている目だ。心があたたかくなるような、安心できる表情だ。

「あの……」

 ユトが何かを言おうとした時、ぐううう、と空腹を訴える音がした。

「お主、腹が空いてるのか」

 知らない他人の前で空腹の音を鳴らしてしまい恥ずかしかった。

 これではまるで、ここへ食料を求めた乞食のようなものである。

「ほっほっほ、若いものはそれが普通じゃ。ほれ、中に入いれい。何か食わせてやろうぞ」

 老人はそんなユトを見ても非難する様子もなかった。むしろ食べ物を恵んでくれるというのだ。衰弱しきったユトにとってはまるでこの老人が神にも見えた。



 パンとスープというけして豪華な食事メニューではないがユトは出された食事にがっついた。

 奴隷として扱われていた屋敷ではごみ屑同然な残飯ばかりが与えられていたので、こんなにもまともな食事は久しぶりだった。

 今のユトはひたすら胃に食べ物を突っ込んだ。

「ほれ、茶じゃ。熱いからゆっくり飲むのだぞ」

 料理をを食べつくすと、老人はユトに茶を煎れてくれた。

「すみません」

「気にするでない。お主も今は精一杯だったのじゃから」

 先ほどまでは食べることでいっぱいいっぱいだったが全く知らない他人の前で、食べ物をむさぼった自分はなんて図々しいのだろう、と恥じらいを感じた。

「お主、何かわけありか? こんなじじいでよければ話は聞くぞ」

 その老人はユトを貴重な食べ物をむさぼったという冷たい目線を向けるでもなく、ユトにそう優しく語り掛けた。そのあたたかさに、ユトは涙が出そうになった。

「実は……」

 ユトはこれまでのことをぽつりぽつりと話し始めた。

 


「なるほど、それで居場所がないと」

 自分が跡継ぎと育てられていたが、ある出来事から混血になってしまい、穢れたと家を追い出され、奴隷にされたこと、そこから逃げ出したことなどを話した。

 老人は嫌がることもなく、最後までユトの話を聞いていた。

「僕のこと、不気味じゃないんですか?」

 異種族との混血になってしまい、人間ではない自分は普通には生きていけないだろうと思っていた。こんな自分の正体を知ってしまえば、誰もが化け物扱いすると。

 だというのに、この老人はけしてユトを蔑むこともなく接していた。

「なぜじゃ? 血の色が変だからなんだというのじゃ? お前さんは身体がどうであろうと、一人の人間ではないか。お主は化物などではない。立派に生きている人間なのだぞ」

「にん、げん……。僕が……」

 老人のその言葉に安心したのか、ユトはとうとう我慢していた涙を流し始めた。

 自分を化物ではなく、人間として扱ってくれたことに嬉しくて仕方なかった。

「そうかそうか。今まで辛かったじゃろう」

 老人はそう言うと、ユトをなだめるように背中を撫でた。

 そして、こう言った。

「お主、よければここで暮らさぬか」

 突然の申し出。食べ物を恵んだだけでなく、自分と一緒にここへ暮らそうというのだ。

「いいんですか?」

「年寄りの一人暮らしは寂しいものじゃ。誰か話し相手も欲しいものじゃ。家事は手伝ってもらうことにはなるかもしれんがの。どうじゃ?」

 かつて家族に捨てられ、人間ではない奴隷扱されていた自分を快く受け入れてくれるこの老人は神にも見えた。

「ただでさえ、わしもこうして人の目を離れて隠居してる身じゃ。わしもかつては忌まわしい記憶があって、こうしてこっそり暮らしている。お主の気持ちもわかるのじゃ」

 泣き止んだというのに、ユトは嬉しくて嬉しくてまたもや感動の涙を流した。

「ここにいればいい。もう血だとかは気にしなくていい。今日からわしがお前の家族じゃ」

「はい……! あの、あなたの名前は……」

「おお、そういえばまだ名前を言っておらなんだな。わしはミグレと申す。お主の名はなんという?」

「ユト…‥です」

「うむ、いい名前じゃ。ではユト、今日からお前はわしの家族じゃよ」

 こうしてユトはここでこの老人・ミグレと共に暮らすことになった。




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