第8話 ユトの過去

 ユトは振り返った。 


 

 あれは三年前のことだった。

 大陸の中心部に存在する町、ラクミナにはディルオーネ家の隠れ家があった。

 ここで代々伝わるディルオーネ家の子孫達が育てられていた。

 跡継ぎである子供が生まれれば、その子供が大きくなったら、裏世界「シャドウ」へ生きる家系に入ることを受け入れる女を嫁がせ、そしてまた子供を生んでいく。

 この一族には相応しい血統だけで先祖から子孫へと繋いでいくのだ。

 そのディルオーネ家に、ユトは次期当主として生まれた。

 生まれた頃から次の代を継ぐものとしてそれはそれは厳しい教育のもとで育てられる。

 子供の頃から勉学、戦術訓練について厳しく育てられていた。

 ユトはディルオーネの部下の一人である剣技の師匠に厳しい特訓を強いられていた。

 もうすぐ十二を迎えるという、まさに大人への道を踏みだし始めている年齢の頃だった。

「お前はまだ未熟だな。そんなものでは当主様にも追いつかない」

 剣術の師匠には、いつもそんなことばかり言われていた。

 将来は父親の後を継ぐと決まっているのだから、剣技においても一切手加減はされなかった。いつもいつも、完璧にならねばならないと結局罵られるだけだった。

 そんなものだから、ユトは周囲の者達から褒められることはあまりなかった。

 父親が部下たちに「息子を甘やかすな」と言いくるめ、決してユトには優しくしてはならないというルールを作っていたからだ。

 人の愛情を知ってしまうと、将来裏で暗躍する大人、時には王家の代わりに反乱者を始末することだってある。人を殺すことにためらいがあってはいけない。それでは残酷的に人を始末する性格になれないからと。

 だからディルオーネの部下も世話係も誰もユトを褒めない。

 ディルオーネ家の跡継ぎだから、一切甘やかさず、とただ周囲はあの当主の息子として見るだけだ。誰もユトを個人としては扱ってくれない。

 そんな理不尽な環境の中でも、ユトは毎日のように努力した。

 それこそが生まれた時から自分に定められた運命なのだと。だから自分はこの家に、父親の跡継ぎにふさわしい人間にならねばならぬと。

 どんなに厳しい言葉を投げかけられても、自分は強くならねばならない、と励んでいた。

「お前はこの代々伝わるディルオーネ家の跡取りとして、それにふさわしい人格でなければならぬ。お前には私の理想通りに育ってもらわねば」

 ディルオーネ家は原則一人っ子と決められている。兄弟を作って跡取り争いのないようにだ。それでなんとか長年由緒代々伝わる家系でやってきた。下手をすると、子同士で殺し合いに発展するのを恐れたためだろう。

 父親からの息子への愛情というよりは、ただの誇りとしてのお飾りに息子を利用している。

 父もそうだが、ユトの母であるラーナもまたやはり息子には無関心だった。ユトを産んでからというものの、育てているのは世話係だ。

 自分から進んで育児をしていたわけではないからなのか、それとも息子に愛情をかけてしまうと、甘えた子供になることを危険視してしまっているのか、夫であるディルオーネに厳しく言いくるめられているのか、決して愛情を与えてはいけないとどこかユトには冷たく感じる。

 いつも父親に厳しく接されるユトは、せめて母親には自分を見てもらいたいと思ってはいた。



 

 ある日、ラーナとユトが二人だけで隠れ家で留守番する時があった。

 母と二人っきりになる時は珍しい。

 しかし、ラーナは息子にも目をくれず、ただ黙って本を読んでいる。

 たまには母とも会話をしてみたい、とユトは母に声をかけた。

「母上、なぜこの家の者達は僕に冷たいのでしょう? 世間の子供は皆、周囲の人々と楽しんで過ごしていると聞きます。なのになぜ僕だけ」

 悩みを相談したいわけではない。自分が悩みを話したところで、決していい答えを出してくれるわけではないとわかっているからだ。こんなことを言っても「他所は他所」だと言われるだけだというくらいわかっている。

「父上は僕のことを愛しているのでしょうか。まるで道具のようです」

 その言葉で、ラーナはパタン、と本を閉じて、言った。

「父上はあなたに立派な跡取りになってほしいから厳しく接してるのです。周囲の者達も、あなたへと期待しているからなのです。期待に応えられるよう、きちんと鍛錬なさい」

 と、そっけなく返答した。母と会話をしても、いつもこんな感じだ。

母は父を信じている。父がすることは、母にとっては絶対だ。息子を道具として扱っているのではなく、厳しい育て方をしているのだと、母は言う。

 血の繋がった家族にも、世話係たちにもユトに優しくしてくれるものなどいなかった。

 そんな生活で、ユトは誰からも認めてもらえることはなかった。



 そんなある日、ユトは調理場で雇われの食事係が他のディルオーネの部下達と会話をしているのが聞こえた。

「本当か? あの熊の謂は高く売れるのか?」

「毛皮も、ギルドへ持って行けば高く売れるそうだ。なんでも、物を作る素材になるとか」

「だがしょせん一般人ではだめだろう。普通の人間がそんなものを獲得しようとするのは命を捨てるようなものだ」

「もっと子供の頃から厳しく訓練されていた者なら、戦えるかもしれないがな」

 ここの外にはモウルの森というものがある。

 そこに住むモウルベアという生き物は強い獣ではあるが、そのかわりその身体から採れる素材は冒険者たちにとっては高く取引されているものだ。

 いいことを聞いた、とユトはこっそりと自室へ戻った。


 ユトは、あることを思いついたのだ。

「あの森にいる熊が凄く強いならそいつを倒せばみんなは見返してくれるかな?」

 先ほど部下達が話していたやりとり、それについてだ。

「普通の人じゃダメだろうけど、僕は幼いころから聖騎士仕込みの武術を教えられてきたんだ。剣の腕前だって大人並みにあるはずだ」

 自分には幼い頃から強くなるようにと厳しく鍛えられている。

 そこが平凡な一般人との違いだ。厳しく育てられた自分は剣術も優れていると思っていた。それならば大丈夫だ、と自信を持っていた。

 それはあくまでも子供の思想だが、ユトは大丈夫だと思っていた。

 なぜなら「子供だからこそ、その危険がわからない」からだ。

 この屋敷で一般人以上に厳しく育てられた自分ならば、その辺りの者よりも強いとおもってしまったのだ。

「きっと、普段から厳しい稽古をつけられている僕ならいける」

 それは誰も保証もしてくれないことだったが、ユトは勝手に自信を持っていた。

「きっと、僕が素材を持って帰って、強い証拠を見せれば、父上も母上も、使用人たちも師匠も、みんな僕が強いんだって認めてくれるかもしれない」

 自分が頑張れば、父親は認めてくれなかったとしても、せめて母親は自分に目を向けてくれるかもしれない。いつもダメだししてくる戦闘訓練の師匠も、それだけ自分が強くなったと認めてくれるかもしれない。いつの間にか、父に届きそうなくらいに強くなったと。

「早速、明日行ってみよう。熊の毛皮を持って帰って、見せてやるんだ」

 子供の思考による勝手な自信で、それがどれほどの危険なのか、わからなかった。

 ただユトには「強い証拠を見せて認めてもらいたい」という気持ちの方が大きかったからだ。



翌日、ユトは鞄に食料や地図などを詰め、腰にはいつも稽古に使う模造刀ではなく、自身の身を守る為に使えといわれていた剣を携えた。

 通常の子供には、金属の塊である剣など持ち上げることすら困難だ。

 しかし、毎日のように武器を使いこなす訓練を受けていたユトにはすでにそれだけの力がついていた。そこも自分は普通の子供とは違う、と思ってしまった部分だろう。

「よし、行こう」

 ユトはタイミングを見計らって、隠れ家から出ようとした。

 こんな荷物を抱えているところを見られれば、部下達に怪しまれている。

 表玄関からではなく、使用人用の裏口からこっそりと脱出した。

 ただでさえ不必要に隠れ家から出るなと言われているのに、勝手にその場所に行ったと知られれば、どんなに怒られるか。

 しかし、それはモウルベアの身体の一部である素材を持って帰れば、きっと勇敢な証と思われるのだと思っている。

「よし、出発だ」

 まだ子供であるユトには、ただ大人に認めてもらいたいとし考えていなかった。

 



 隠れ家を脱出したユトは早速、持ってきた地図で方角を調べてモウルの森へ行くことにした。

 木々が生い茂った森の中は、木漏れ日から光が差し込み、美しい。

 ここは植物が多い分、空気が澄んでいるような気がする。

 そんな自然あふれる環境だからか、野兎やリスなどの小動物を時々見かけた。

 木には木の実も成っており、それらを小動物が集めるのだ。これだけを見れば平和な森に見える、しかし、奥へ行くほどに強い獣もいるのだ。

 ユトはその獣にこそ用事がある。

 モウルベアを倒して、その証として毛皮や内臓の一部などの素材を持って帰れば、周囲はそれだけ強くなったのだと認めてくれるかもしれない。一人でも戦える、と。

自分でも大きな獣を狩ることができるくらいに強くなったと証明したかった。

「もう少しだ、もう少しでモウルベアと会える……!」

 森の奥へ足を運ぶごとに、少々恐怖のようなものも感じてくる。

 入口の周辺にいれば、すぐに森を脱出できる、危険な生物に待遇したとしても、まだ外に逃げるという方法が使える。もしかして、運がよければ助けを求めることもできるかもしれない。

 しかし、奥へ進むほどに入口は遠ざかって行き、いざという時にすぐには森を脱出できない。

 引き返すのは今のうち、とわかっていながら、ユトは足を止めることはなかった。

「ここまで来たら引き下がれない……。どうやってでも倒してやる。大丈夫、僕は強いんだ」

 そう言い聞かせながら、先へ進まねばならぬとずんずんと進んだ。


 森に入って約三十分ほどしただろうか。恐らくはそろそろ森の中心部には入っていると思う。

 町の近い入口とは違い、ここでは助けを求めたとしても、誰も来ないだろう。

 ユトは一度、休憩だと、岩の上に座り込み。持ってきた水と食料で空腹をしのいだ。

 外に出てからあまり帰りが遅いと、使用人と両親にも危険な場所へ行ったと怪しまれるかもしれない。

 ならば早く目当ての獲物を見つけて、仕留めればいい。

 どちらにせよ、ここまで来たのに手ぶらで帰るというのも恰好がつかない。

 とはいえ、中途半端なものを持って帰っても、帰ってこっそり森へ行ったことがばれるだけだ。どうしても必要なのはモウルベアを倒した証である。

「よし、行くか」

 休息も終わり、岩から立ち上がろうとしたその時だ。


 ガサッ

 何か茂みが動いたような気がした。


「なんだ……!?」

何か大きなものが近くにいる気配を感じた。

「ぐるる……ふしゅ……」

 それはまるで、獣が呼吸をするかのような音だ。何か息苦しい鼻息のようなうなり声が聞こえた。

 もしかしたらユトが口にしていた食料の匂いにつられて獣がでてきたのかもしれない。

「何か、いるのか……!?」

 ユトは戦闘になることを考えて、腰に携えていた剣を鞘から抜いた。

 小さい獣だったらこれで追い払ってしまえばいい。

 自分の目的ではないものとは戦うつもりはないからだ。

「来い……!」 

 ユトが剣を構えると、ごそごそと動いていた茂みの中から何かが出て来た。


 その姿を見て、ユトは驚愕した。


 大きな熊だった。


 熊の体長はユトの身長の倍はあるだろうか。いや、それ以上だ。横幅も広く、身体はがっしりとした成人男性よりも強靭な筋肉が脂肪に包まれているのだろう。


 餌を求める獣のように、目をぎらぎらさせて、目の前に獲物があるといわんばかりにユトを見ていた。

 身体も大きく、その毛皮はきっと分厚いものだろう。手には大きなかぎづめがついている。

 そんなものでひっかかれたらどうなるか。


「こ、こいつが……!?」

 あまりにも巨体なその姿を見て、ユトは足がすくんだ。まさかここまで巨体とは想像がつかなかったのだ。図鑑などで見た熊の全身図とも全然違う。しかし、ユトはこれこそが探していた獲物なのだと確信した。

「間違いない……こいつがモウルベアだな」

 目的の獲物だ。これだけの大きさの熊を倒せば、間違いなくその身体の一部はれっきとした戦士の証になるだろう。

「けど、倒せるか……?」

 しかし、あまりにも想像と違った見た目に、ユトは足がすくんだ。

 図鑑ほどの大きさの熊だったら間違いなく普段から鍛えられているユトにとっては、子供の体格であっても余裕だっただろう。

 しかし、実物のモウルベアは図鑑で見たような熊の姿ではなかった。

 こいつを倒せれば、確かに功績は残せる。しかし、聞いた話だと大人ですら手こずる敵だ。

 常人より鍛え上げられている自分であれば余裕だと思っていた。むしろ子供の体格ゆえのすばしっこさがあれば攻撃を避けるものなどたやすいものだと。

 目の前に熊がいては。逃げるにしても、倒すにしてもどちらにしても何らかの行動をとらねばならない。

 むしろ熊は背中を見せると、それだけで興奮してしまうと聞く。

 自分が襲われる前に、こちらから決着をつけねばならない

「大丈夫だ、僕ならやれる」

 ユトは剣を構え、自らモウルベアへと突進をかけた。

 戦略には敵が動く前にこちらから先手を取ることが大事だからだ。

 相手は人間よりも知能の低い獣なのだ。それならばなんとでもなると。

「でえいっ!」

 獣を倒すにはまずは弱点の眼を狙うといいと聞く。視界を塞いでしまえば、動くことができなくなるからだ。

 ユトは熊の顔面目掛けて剣を振るう。眼を潰す為だ。

「とりゃっ!」

 ユトは軽々とした身のこなしで、地面を足で蹴り、熊の頭へと飛び掛かった。

 そのままうまくいけば、敵の首をはねることだってできるかもしれない。それならば即死でこの勝負は勝ったも同然となる。むしろ倒した証拠である頭部が取れていいことだらけだ。

「いけ!」

 そのままユトが頭部に斬りかかろうとすると、熊は身体を大きく身震い、腕を振り回してユトをはじいた。

「くっ」

 ユトは持ち前の身の軽さで地面に着地した。

 ここで尻餅でもついて着地に失敗すると、隙ができてしまう。

 これはよく鍛錬で習っていたことだ。

 着地して、すぐにまたもや熊に剣を向ける。

 頭部がダメなのなら、次は腹だ。腹を切り裂いてしまえば、敵は痛みに動けなくなるだろう。

 ぐおおっ、とモウルベアはうなり声を挙げると、熊らしいその巨大な爪をユトに振り下ろした。

「おっと」

その攻撃をユトはうまくかわした。

ユトは素早さには自信があった。子供ながらでも、自主鍛錬により鍛えられた分、速さには自信があった。

 速さがなければ、戦術では不利になる。相手の攻撃をかわすだけでも時間か正義になると教えられていた。なので普段からの体力づくりのおかげで素早さを手に入れた。

 モウルベアはその巨躯な身体な分、動きには鈍い欠点がある。それならば素早さがはるかに上の自分なら、何度も攻撃を加えればすぐに勝てると思った。

「こんなの、こっちが勝ったようなものだ!」

 そして、何度目かの攻撃を与えようとしていたところだ。


 ユトの剣が太陽の光を浴びて反射し、それがギラギラと輝きだした。

 それがあだとなる。

 ふしゃあ、とモウルベアは叫び出した。獣として、その光に興奮したのかもしれない。

「な、なんだ!?」

 突然、熊の動きが加速したように、熊は腕を猛烈に降った。

 身体が大きい分、動く速さは遅いのだと思っていた。まさかこんなに素早く動けるとは思わなかった。スピードならこっちの方が上だと思っていたユトには予想が外れた。

「こんなことぐらい……!」

 ユトは攻撃をかわしながら、その身体に斬りかかろうとした、その時だ。


「なっ……!?」

 ユトには予想外の出来事が起きた。

 モウルベアが腕を振り回したことで、その腕がユトの剣にぶちあたり、それは腕を切り裂くのではなく、剣が砕けたのだ。

 金属の塊である剣は重く丈夫で切れ味は抜群なはずだった。

しかし、モウルベアの皮膚と筋肉の丈夫さがそれを上回っていたのだ。


「な、なんで……!」

 剣が砕け、ユトは先ほどまでの威勢を忘れたかのように、一気に絶望に叩きつけられたような気がした。

 自分を守るはずの武器が、壊れてしまった。これでは丸腰の状態だ。

 唯一の武器である剣を失ったとなると、自分を守ってくれるものがいなくなった恐怖で身がすくむ。

 武器を失い、ユトはもう戦いを諦めて、この場から逃げなくては、と思った。

しかし、強敵を目の前にして、武器がないこの状態で逃げ切れるのか?と。

 そして、焦りにゆえ一瞬動きが止まったユトに、モウルベアは容赦なかった。

 熊は腕を大きくユトに向かって振り下ろしたのだ。

 ユトは鎧などを身に着けていなかった。素早く動くには鎧など邪魔だ。

 自分にはスピードがあるのだから、攻撃は全て避ければいいと思っていたからだ。


「がはあっ!」

 その爪はユトの肩から腹にかけて、斜めに大きく切り裂いた。武器もなく、防御するものがなかったからだ。

一瞬でほとばしる鮮血。一瞬だけ痛みを感じなかったが、しばらくして一気に襲い掛かる痛み。

「ひああーっ!!」

 あまりの痛みに、仰向けになりながらユトは絶叫した。

 自身の血で真っ赤にそまる服を見て、パニックになった。


 そして、目の前には動けなくなったユトに向かって近づいてくる熊。

 恐ろしかった。これはもう絶体絶命だ。自分は死ぬのか、と死を覚悟した。

「いやだああー! 死にたくない!」

 ユトは命乞いか、または断末魔のように、大声で本音を叫んだ。

 こんな場所で叫びを上げても誰も助けに来るはずもない。絶望だとわかっていても。


 しかし、その声に反応したかのように、何かが熊に向かって飛んでくるのが見えた。

「え……!?」

 ほどばしる眩しい光。ユトは眩しさで一瞬目を閉じた。

 光に包まれ、眩しさで目がくらむことに驚きパニックになって、モウルベアはその場から逃げ出していった。

「な……にが……」

 痛みにより動けないユトは状況がわからなかった。

 そこへ、誰かが怪我をして倒れているユトに寄ってきた。


「君、大丈夫か!?」

 大き目の外套に、身を包むこんだ人物。まるで自分が何者かかを隠すかのように。

 眩しいほどの白い肌。わずかに見える銀髪、そして金色の瞳の青年だった。顔の肌も光るように白いのが見える。

 先ほどの光はこの者が放った何らかの能力だと、ユトは察知した。

「人間の監視に来て隠れていたら、まさかこんなところに子供がいるなんて」

 青年は、近寄ってきてユトの身体の状態を診た。

 痛みの中、誰なのかわからないその人物をユトはおぼろげな目で見つめていた。

 自分を助けてくれたのか、と一瞬だけここに人がいたことに安心できた気がした。

「大変だ……!」

 モウルベアの爪により斜めに大きく切り裂かれたユトの身体は傷の状態からして、かなりの出血量だろう。

 青年は、自分の持っていた荷物から、何か応急処置に使えるものはないかと探した。

 ユトは動けそうになかった。身体から大量の出血で、今にも意識を失いそうだ。

「くそっ。どれもダメだ。これでは間に合わない」

 青年は焦っていた。このままでは出血が止まらず、いずれユトは死ぬだろう。

 こうしている間にも血は失われていく。青年はかなり焦っていた。

 どうすればこの少年を助けられるのか、しかし、ここには医者も自分以外の人もいない、と。

 痛みと苦しさにより何も言葉を発することもできないユトは、ただ救いの視線を向けていた。


 その視線に耐えられなくなったのか、青年は立ち上がった。

「禁断の方法かもしれないが……仕方ない」

 青年は突然。身に着けていた外套を脱ぎ捨てた。

 銀色の長い髪が、ばさっと露になる。


「私の血を、この傷口に振りかければ、なんとか輸血はできるはず……!」

 青年は小型のナイフを取り出し、自分の腕に斬りつけた。

 そこから噴き出したのは銀色の血だった。


 動けないユトは、なぜかその血に驚くことはなく綺麗だ、と思った。

 もはやどうせ死ぬのだから、最期に何を見ても恐ろしくないと。

 青年の血がぽたぽたと、ユトの傷口に垂れると、それは一瞬患部で光を放ち、ユトの傷口から中に入り込んだ。

「あ……」

 温かい銀色の血が、傷口に触れ、なぜか安心できるような気がした。

 青年はさらに自分の腕を自身の右手で絞り出すように、銀色の血を流し続けた。

 不思議なことに、その血が垂れる程に、ユトは次第に身体から痛みが治まっていくのを感じた。まるでこの銀色の血が自分の身体に入るほどに優しさに包まれていくような気もした。

 傷口もどんどん塞がっていき、魔法のような行為だ。


 それをしばらく続けたのち、ユトの身体の痛みは完全ではないが、なんとか身体を動かせる程度に回復してきた。

 自分は助かったのか、とユトはその行為を不思議に思うよりも痛みが治まったことによる安心感が強かった。

「これで傷は塞がり、血も足りたはずです。起きれますか?」

 青年はユトの身体を起こし、意識がはっきりしたのを確認した。

「今のは……」

 何者かもわからないこの青年が、自分に一体何をしたのだろう、と思った。

「禁断の治療術ってところですね。私の血は、他の者に血を分け与えることができるのです。通常なら人間同士でも他人の血液は病気になる為に他の者に与えられるのではありませんが、私達種族の血液は誰にでも輸血できるのです」

 青年は先ほどの行為についての説明をした。

「私の血は銀色だったでしょう。普通の人間ならばこんな気味の悪い血液を使いたいと思う者はいないでしょうけどね。この術を使える者も、私を含めて僅かです」

「なんで……僕に、あなたの血を……」

 貴重な血液を使う、しかも使う者も限られる禁断の術をなぜ自分に使用したのか、と。

「あなたは大量出血により命の危機だったのです、命を救うには私の血を分けるしかなかった。他の方法を考える時間もなく、本来ならば禁忌の術を使うしかあなたを救う方法はありませんでした」

 つまり、この青年は何がなんでもユトを救わねばならぬ、とやったことだったのだ。

「ほら、歩けますか? 今なら獣はいません。外に出ましょう」

 青年に連れられて、ユトは共に入口へと戻ることになった。


 歩いている途中、何も会話はしなかった。

話声がすると、獣が近寄ってきてしまうことを恐れたからだ。ユトはその恐怖で青年と話をすることはできなかった。

 それよりも、今はひたすらこの森を出たいとしか考えていなかった。


「着きました。出口です」

 ユトはようやく自分がこの森に入ってきた場所に戻ることができた。


 ようやく、あの恐ろしい場所から自分の世界へと戻ってこれたような気がして、今は恐怖から解放された安心感でいっぱいだった。

「これで、あなたは自分の家に帰れますね」

 青年はユトを無事に森の外へ連れ出すことができた。

「ありがとう……ございます。助けていただいて」

 この青年は瀕死だった自分に、禁忌の術を使ってまで助けてくれたのだ。

 あのままならユトは絶対に死んでいただろう。すでに手遅れになりかけていた大怪我を、この青年が救ったのだ。まるで死から生き返らせてくれたような気もする。

「いいえ。私の方こそ、謝らなければいけない立場です。緊急事態だったとはいえ、禁忌の術を使ってしまったのですから」

 本来なら死んでいたはずの自分に術を使ってまで助けてくれた、その恩は大きい。

「本当に助かりまし……」

 ユトは青年に礼を言おうとした、その時だ。


「そこのお前! 一体何をしている!?」

 二人のいる森の入り口に男達が走ってきた。

 ユトは彼らをよく知っている。ディルオーネ家に仕える用心棒たちだ。

 それが、まるで血相を変えるように、走ってきた。

 そして、ユトの腕を掴み上げた。

「ユト様、なぜ屋敷を勝手に抜け出したのです!? 稽古もさぼり、探してみればどこにもいないと、もしも外へ行ったのなら探し出せ、と旦那様はお怒りなのですよ! なぜ森など危険な場所に行ったのですか!? ここは大変危険な獣が出るというのに!」

 ディルオーネがユトがこっそり屋敷を抜け出したことに気づき、部下達がユトを探していた。

 そして、ユトの傍にいた青年もう一人の兵士がきつい口調で青年に問う。

「お前、ユト様に何をした!? なぜ一緒にいた!?」

 なぜこの青年はユトと一緒にいたのか、何者なのだろうと。

「何もしていません。私はただ……」

「その怪しい外套を外せ!」

「やめろっ!」

 青年の正体を見る為に、強引に外套を奪い取り、青年の素顔が露見された。

 銀色の髪に金色の瞳、真っ白な肌。普通の人間とは違う、見た目だった。

「お前、まさかライトブラッドか!? なぜこんなところにいる!?」

「らいと……?」

 ユトは部下が言ったその謎の単語がわからなかった。この青年が一体何者だというのか。

「ユト様に何をした! 汚らわしいその手でディルオーネ様のご子息に触れたというのか!?」

「わ、私は、ただ、この子を……」

 ライトブラッドと言われた青年は先ほどまでの凛々しさを失っていた。

 ただの人間ではないとばれただけでなく、もしも禁忌の術をユトに使用したと判明すればどうなるか。

「ち、違う、その人は……」

 ユトはなんとしてでも青年をかばわなくてはならないと思った。この青年は自分を助けてくれたのだと。このままだとあやうくもう少しで死に至るところだった命を救ってくれた恩人が何をされるかわからない。

「お前を拘束する! 尋問させてもらおう! 色々話してもらうぞ」

 部下は大声で怒鳴った。

 これでは尋問ではなく、拷問をするつもりではないだろうか。

「……わかりました」

青年は抵抗しない方がいいと判断したのか、大人しく縄で拘束されていた。

「やめて! その人は本当に違うんだ!」

 ユトがどれだけ叫んでも、それは聞き入れてもらえなかった。

ユトは無理矢理連れ戻され、青年は強制的に連行された。

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