第2話 幸福の終わり

 今日のロネ達の家は忙しかった。

 今日は特別な日だからと、家族で準備をしていたのだ。

 家の掃除をして、ささやかながらいつもより少しだけ豪勢な食事を用意する。

 三人がテーブルの席に座ると、両親がロネに語りかけた。

「ロネ、誕生日おめでとう」

 今日はロネの誕生日だ。

 この家族にとって、日々が過ぎていき、娘が成長していくことは何よりも嬉しいことである。

 なので誕生日というものは特別な日だ。

「ロネも十二歳か、早いものだな」

「あんなに小さかったロネももうこんなに大きくなって、ロネが大人になる日が楽しみだわ」

 両親の祝福の言葉に、ロネは顔がほころぶ。

「ありがとう。父さん、母さん」

 ロネは嬉しかった。毎年この日になると、両親は必ず祝福してくれる。

 こうして日々大人になっていく自分を見守ってくれると。幸せな日だ。

「さあ、冷めないうちに御馳走を食べましょ」

「うん。いただきます」

 こうして食事が始まろうとした時だった。


 玄関で大きな音が鳴った。

「おい、いるんだろ! 開けろ!」

 激しい男の声だ。ここを開けろと大声で言っている。それも荒々しい扉の叩き方で。

 乱暴な扉の叩き方に、これは明らかに通常な来客ではないことを匂わせる。

「早く開けろ! 従わなければこの扉を壊すぞ!」

 声の主は、さらに激しく扉を叩き、大声で激しい口調で怒鳴った。

「何? 誰が来たの?」

 その怒鳴り声に、ロネは怯えた。

 今までここにこんな来客が訪れたことはない。

 しかも、穏やかなものではなく、まるでこの家に何かをしにきたかのような、乱暴な声だ。

 父の表情を見ると、怪訝な顔をしていた。

「まさかこんなところに来られるとは……」

 レネオットは汗をかいていた。その父の表情からして、ただごとではないと察することができる。まるで、来てほしくない者が来たかのように。

「二人とも、こっちへ」

 普段は物置として使っている薄暗い小部屋。普段、掃除用具を片付ける場所だ。物に囲まれて狭く、埃っぽく、明らかに人が過ごす場所ではない。

 レネオットは二人をまるでそこへ押し込むかのように、入れた。

「二人はここに隠れてなさい、絶対に出てはいけないよ。あそこには私が行くから」

「何、なんなの? なんでこんなところに隠れなきゃいけないの?」

 レネオットは娘の手前、なるべく平穏な表情を装ってるように見えるがそれは表面上であり、手の震えから本当は怯えていることが感じられた。

 外にいるのは一体何者だというのだろうか? 口調からして、一体自分達に何をしようとしているのか、何の目的なのか、それは穏便なものではないことがわかる。

さらにドアの音は激しくなる。

 ここで無理やりにでも出なければ、ここへ強制的に入ってくるかもしれない。

 このまま三人でここへ隠れていても、やり過ごすことはできないだろう。

「怖いよ。父さんも傍にいてよ。今出たら何されるかわからないよ?」

 父が一人で出て行こうとすると、父が何をされるかわからない。

 最悪、命を奪われる可能性だってある。行ってほしくなかった。

 しかし、ここであの者に従わなければ、どちらにせよ、ここには来られてしまう。

「大丈夫、父さんは強いんだ、きっと二人を守ってみせるよ」

 そう言うと、父は倉庫に入っていた護身用の剣を腰に携えた。

 そんなものを持って行くということは、戦う覚悟もあるということだ。

 最悪、命を奪われる可能性もある。

「行かないで……」

 ロネは涙を流した。ここで父が行ってしまえば、もう二度と会えないような気がした。

「大丈夫だ。あんなやつら、すぐに追い返すから」

 そう言うと、レネオットは倉庫の扉を閉め、玄関へと出て行った。

「ロネ。大丈夫。大丈夫よ。お父さんが守ってくれるから」

 ミリナはロネを不安にさせないようにと、そう言った。

 しかし、ミリナの声も恐怖が混じっているような気がする。愛する者を失うことになってしまうのではないか、と。

 そうなれば自分がなんとしても娘を守らなければならない、と正気を保とうとする。


 震えながら物置に隠れていると、玄関の方で、怒声と共に、扉が壊されるような音がした。

「なんでしょうか?」

 レネオットの声が聞こえる。

「なんの御用でしょう? あいにく、家族は皆出払っていて、ここには私しかいません」

 レネオットは相手に見くびられないように、平穏を保って対応した。

 ここには自分以外に誰もいないということにして、家族を守る為の嘘だ。

 ここで自分が怯えてしまえば、家族のことが察されてしまうかもしれない、とあくまでもそんな対応だ。

 ロネが隙間から玄関を見て見ると、鎧を身に着けている立派な体格の男達がそこにいた。

 兜をかぶっておらず、素顔が見えるが、その表情は怪訝なものだった。

 そして腰には剣が見える。武器を持っているということは、こちらに何か危害を与えようとしているのではないかという恐怖が見える。

「ここは何もありません。お金が必要なら多少は出せます。だからここからは」

 レネオットは来客を追い返そうと、必死で対応した。

(お父さん……。どうか無事に追い返して)

 そんな様子を見ながら、ロネは何もないように、と祈った。

 もしもあの者達にここが見つかったら自分達はどうなるのか、と。

 なんとか対応して、この場から立ち去るようにと交渉しようとしているのだ。

「お前がレネオットだな!?」

 男が父の名前を叫んだ。

 その相手の声は、もはや聴き耳を立てる必要もないほどに、大声で怒鳴った。

「な、なぜそれを……」

 自分の名前を知られていることに、レネオットはこれまでと違う表情になった。

 相手がレネオットの名前を知っているということは、ここがその名前の人物の住処とわかっていて訪れたということだ。

(なんで、あの人たちが父さんの名前を?)

 一体何者なのだろう? とロネは思った。

 父に何かをしようとしているのか、過去に何かがあった関係なのか、なぜあの知らない者達はそれを知っているのか。父が何かしたとでもいうのか。

「人違いです。私はそんな名前ではありません」

 なんとか別人だと相手に思わせる為に、レネオットは嘘をついた。自分はその名前の人物とは関係ないと。

 そして、戸を叩いていた男とは違う男の声が聞こえた。

「本当にここにいたとはな。裏切者のレネオット」

 家の中に青髪の男が足を踏み入れた。

 年は三十才以上だろうか。目つきの悪い表情でああるが、部下と思われる者達と同じく立派な鎧を身に着けている。

 しかし、部下のような皮の鎧という安っぽいものではなく、金色に輝くいかにも頑丈そうな鎧だ。その姿からして、他の者達の中のボス風格という貫禄が見える。

 視線が吸い寄せられるのはその目だ。

 それは紫色の瞳が輝き、宝石のアメジストのようだ。

 しかし、その輝きがかえってなんだかまがまがしい光でもあるように見える。

「ディルオーネ様!?」

 父の表情が、まるで恐ろしいものを見た、という驚きになった。

 ここに来た相手の名前を知ってるということは、父も相手を知っているのだ。

 

 ロネは自分の父親が何をされるのかがわからない恐怖で心臓が激しくなった。

 はたして無事にこの状況が終わるのだろうか、と。

「お前が町から離れてこんなところで隠れ住んでいたとはな。役目を投げ出しての隠居生活はさぞかし楽しかったか?」

「ここには、私一人しか住んでいません」

「ほう、そんな嘘をつくつもりか。お前の行動は普段から密偵に監視させていた」

 レネオットの買い物の量は一人で暮らしている分ではない。いつも買い出しに大量の荷物を抱えて持って帰るので、数人で暮らしていることがうかがえるというわけだ。


「こいつには他に家族がいるはずだ、探せ」

 どたどた、と激しい足音と共に家の中に侵入されたのだ。

 ロネは物置の扉を閉め、ミリナと共に、奥へ奥へと隠れた。

 その間も、男達が家の中でまるで暴れているかのような物音が聞こえる。

 恐らく、家具を足でけり飛ばしたりと乱暴に扱っているのだろう。それはまさに強盗と同じく。

 ここを開けられたら見つかってしまう。どうか何事もなく、去って行ってくれ、と強く祈った。ロネはただ不安の様子で見つからないようにと。

 生きてる心地のしない時間が流れる。早くこの時間が終わってほしいと願う。

 その間も物置の外からはバタバタと暴れているかのような音が聞こえる。

「いた、こんなところにいたぞ!」

 しかし、物置の扉が思いっきり開かれた。祈りもむなしく最悪な事態を迎える

「あいつの妻と娘か。しっかりと子供まで成しえていたとはな」

「父さんは!?」

 なぜ守ってくれるといった父の姿が見えないのか。この者達がいるのか。父はどうなったのだと。

「さあ来い!」

 がっしりと太い腕でロネの腕を掴まれる。

「嫌だ! 放して!」

 ロネは抵抗したが、大人の男性の力に、子供の抵抗がかなうはずもなかった。

 何者かわからない者に身体を掴まれる恐怖で、ロネは必死で抵抗した。

「私をかわりに殺しても構いません! だから、どうかこの子だけは……!」

 ロネと同じく、身体を掴まれたミリナがなんとか説得を試みようとする。

 母は必死に懇願してるが故の台詞だろうが、ロネにとっては母が自分の為に殺されるのは嫌だった。

「安心しろよ、すぐ父親に会わせてやるよ!」

 二人は無理やり引っ張り出された。一体自分達はこれから何をされるのだろうか。


「ディルオーネ様、いました! どうやら妻と娘のようです!」

 部下達は抵抗するミリナとロネを抑え込み、家の外へ無理矢理引きずり出した。

「いやあー! 離してええ!!」

「どうか、どうか娘だけは……!」

 何者かもわからない大人達に身体を抑えられ、強制的に外に出され、まだ子供であるロネには恐怖でしかない。一体この者達は何のためにここへ来たとでもいうのか。

「父さん!」

 外に目をやれば、そこで見えた光景はロネにとって、父が拘束され、男達に囚われた姿だった。

 腰に携えた剣もむなしく、男達に囚われたのだ。

 自分達を守ると言ったはずの父が、今は守るどころではなくなっていた。

 そして膝をつかされているレネオットの前に立ちふさがっていたのは、先ほどのディルオーネと呼ばれた男だ。

 ディルオーネはロネとミリナを冷たい視線を向け、こう言った。

「ほう、その女。ライトブラッドか」

 ディルオーネはミリナのライトブラッド特有の銀髪と金色の瞳、そして通常の人間よりも輝くように白い肌という外見からそう見破ったのだろう。

「ふん。逃げただけでなく、忌まわしきライトブラッドの女と結ばれたなんてな。さらに子供まで成しえたとは。どれだけの面汚しか」

 その冷たい口調は、一切の情けの欠片もなかった。相手を蔑む発言だ。

 ロネはすぐに父親の元へ駆け寄ろうとした。。しかし男達にがっしりと腕を拘束されていて、動けない。

「お前を探したよ。もちろんこのまま自分がただでいられるはずはないとわかかっているだろう?人間でありながら、こそこそと。お前は職務を放棄して逃亡していたのだ。それがどんな罪かわかるか?お前はこの誇り高き私の部下の一人でありながら、その職務を放棄して逃亡した。それから行方知らずとなっていたが、やはりこうして隠れていたか」

 ロネはなんのことかわからないという表情になった。

「お前らに教えてやる。こいつがどんな者なのかを」

 男は語りだした。

「こやつは私、裏世界の『シャドウ』であるディルオーネ家に仕える兵士だったのだ。」

「でぃる……おーね?しゃどう?」

「知らんなら教えてやろう。ディルオーネ家、それは裏で暗躍する影……つまり『シャドウ』といわれる家系だ」

 『シャドウ』とは昔からこの世界で影で生きていた者達のことを指す。

 王家、それに仕える騎士、政治家といったもの達などの表で世界を保つ為に活動している人々を裏で支える影の者達だ。

 けして目立って活動することはなく、王家や騎士、政治家などの通常の権力を持つ者達ができない仕事を与えられ、その任務をこなし、世界の秩序を保つ、影の軍団。

 人々に「いらない」「必要ない」「邪魔者」とされる存在達の抹消など、表の者達が堂々と行ってしまうと名誉にかかわるような愚行を「シャドウ」と呼ばれる存在の者達がかわりに請け負うという役目を与えられている。

 世界は広く、大勢が平和に暮らしていれば、その中には必ず悪しき心を持つものは現れる

 戦争や犯罪、支配、占領、そうやって何かを目論む者達がいれば、それらは王家から依頼を受けたシャドウが片づけに行く。

 権力を持つ者達は自分で直接手を下すと、民衆からは非情だと言われ名誉にかかわる。だからこそれをシャドウが代行する。そのおかげで反乱を企むものは裏で処分される。

 世界の秩序はそうやって裏で活躍する「シャドウ」によって支えられているといってもいいほどだ。

 このディルオーネ家は昔から代々伝わる影「シャドウ」の使命を与えられた存在。

 けして表で活動できないからこそ、裏で汚い仕事も引き受ける。しかしその任務を果たす為に、その力は強大だといわれていた。

 昔からこの世界各地を裏で支える存在なのだ。

 各地にそれぞれ王が存在し、そしてそれを守る騎士達も各地に存在する。

 そういった者達を裏で支える為に、ディルオーネ家などシャドウの存在はひっそりとしてはいるが需要がある。

 王家や政治家からも仕事を引き受ける。だからこそ、建物を支える土台のように、ある意味では世界守る人々だ。

「そのディルオーネ家に仕えることができるというのはとてつもない栄光だ。裏では人々を守る、ある意味では神聖な家系の為に尽くすことできるのだから。この男は、私に忠誠を誓っていたのだよ。若い頃から、絶対にディルオーネ家に尽くすという役目があった」

 レネオットは、まさにディルオーネ、「シャドウ」に仕える者の一人であった。つまり、ディルオーネ直属の部下だったのだ。

「それがどうした? 遠征へ行けば戻らず、そのまま最後には「私の部下を辞める」という手紙で連絡を一方的に送り、そのまま行方知らずになった」

「そうなの……? 父さんが……?」

 ロネは父が元々どんな存在なのかを知らなかった。聞かされていなかったのだから当然だ。これまで、父が自分が生まれる前は何をしていたのかを聞いたことがなかった。

 父が世界の裏で活躍する「シャドウ」であるディルオーネに仕える部下で、そこから逃げ出してきたのだと。

 レネオットはそんな仕事をしていたが、ミリナに出会い、惹かれあった。

 シャドウに仕える身なのだから、異種族であるライトブラッドの女性のミリナと恋仲になるなど、けして許されるものではない。ライトブラッドはまさに人間ではない異種族として、シャドウに始末されてもおかしくない存在なのだから、男女で共になるなんてありえない。

 ディルオーネに本当の理由を話してしまえば、絶対に反対される、ライトブラッドの女性と結ばれるなんて許されることではない。そうとわかっていたレネオットは何も言わずにディルオーネの元を離れるという選択をしたのだ。

 レネオットはミリナと共になる為に、裏世界のシャドウから足を洗いたくなったのだ。ミリナと一緒にいる為には、裏で暗躍する存在であるシャドウに身を置いてはならぬと。

 なのでレネオットはそこから逃げ出した。世界の裏で活躍する人間ではなく、普通の人間のように、愛する女性と結ばれたいと。

 そこでレネオットはディルオーネから逃げて、隠れるようにこっそり町外れのこの小屋で暮らしていた。ディルオーネに見つからないように。


「私の元から去っていった理由が女の為だったとはな。お前も所詮は薄汚い性欲の持主だったというわけだ」

「父さんはそんな人じゃない!」

 父が母を愛したことを、まるで「性欲」の為と言われることは侮辱している。二人が惹かれ合った理由はそんなものではないと。

「小娘。お前にとっての父はさぞかし立派に見えたかもしれんが、この男は所詮は自分の欲望の為に動いた自分勝手な者だったのだよ」

「……」

 意図を掴まれたように、レネオットは何も言わなかった。ここで下手に何かを言うと、反論したとみなされてしまうからだ。

「この私、ディルオーネに仕える部下の一人でありながらの勝手な逃亡は死罪にも値する罪の重さだ。それくらい、わかっていただろう? 私から逃げたということは、私を敵とみなし裏切ったと同じだからだ」


 ディルオーネ率いるシャドウから逃走となれば、それは人権を奪われるのと同じだ。そのくらいに重い罪に当たることだった。

 重い罪だとわかっていても、愛した者と共にいたい、ということを選んだレネオットは余生を一生隠れて過ごすつもりだった。


 つまり、ディルオーネは裏切者である元部下を捕らえに来たというわけだ。

「なぜこんなことをなさるんでしょう? あなた方は裏で世界を支える存在というならば、それもある意味では人々を守る為にいるのではないのですか?」

「その通りだ。我々は人々の為に裏で活躍する。だからこそ、逃亡者は人々の為になるありがたい任務から逃げ出したという罪を犯した者だ。それはすなわち人々にとって悪に当たる。悪を倒すのも人々を守る我々の役目だ。放っておけば悪は人々に危害を加える可能性があるからな」

 シャドウの世界から逃げ出したということは人々を裏切ったから、その者は悪人で、人々を脅威に晒す可能性があるから始末せねばならない、というのがディルオーネの考えだ。

「父さんはそんなことする人じゃない!」

 自分の父が人々に脅威を与えるだと、そんな人格ではないということは娘である自分が一番わかっているはずだった。

「小娘が。まだ子供であるお前にはわからんだろう。自分に与えられた使命を捨てるとは、そのくらい重いことなのだということが」

 ディルオーネはそう言うとしゃきん、と腰に携えていた剣を鞘から抜いた。

「何をするの!?」

 今からそれで何をするというのか。ただ脅迫する道具として見せつけただけなのか、それとも何か恐ろしいことをするのか、とロネは怯えた。

 恐怖に震えるロネの顔を見て、レネオットはこう言った。

「どんなことでも言うことを聞きます。だからどうか妻と娘だけは」

 このままディルオーネの怒りから逃れられないとなれば、妻と娘がどうなるかわからない。

 家族を守ろうとして、レネオットは懇願した。なんとしても二人を守らねばと。

「ほう。どんなことも、か。面白い」

 ディルオーネは父であり、夫であるレネオットが何をされるかわからない恐怖で怯える母娘の姿を見た。

 レネオットがそう言うのならば、それならこの男にとって一番苦しい方法を選ぼう、と思いついた。それだけでなく、この者の家族にも絶望を遭わせる、それがこの男への報復だと。

「お前の命を差し出せ。そうすれば妻と娘は助けてやる」

「……っ!?」

 それはレネオットにとって恐ろしい命令だった。

どんなことでも、とは言ったが、それは家族を守る為であり、まさか自分の命を奪うという最悪の条件を出されるとは、と。それも、愛する妻と娘の前での残酷な宣告だ。

「それは……」

 レネオットは焦った。どんなことをする、とは言ったが、それがまさか自分の命を差し出せとは、と。しかし今ここで自分が拒んだら妻と娘が何をされるのかわからない。

「どうした? 要求をのまなければあの家族がどうなるかわかっているか? ここでお前が命令を決めば、あの者達はまだこの場はやり過ごせるかもしれないのだぞ?」

 恐らく、ここで拒めば家族に危険が及ぶことくらい、想像がつく。

 レネオットは恐怖で顔をゆがませるミリナとロネの姿を見た。

 この恐怖を早く解決せねばならない。妻と娘を苦しませてはいけないと。

 そうなると、レネオットが選んだ答えは一つだ。

「……わかりました」

「父さん!?」

 父の選んだ答えにロネは一瞬で絶望の表情になった。これではすぐにでも父の命が奪われてもおかしくないと。

「ふん、素直だ」

「父さん、そんなことやめて!」

 ロネは今すぐその答えをなかったことにしてくれ、と父に懇願した。どうか命を投げ出すようなことはやめてほしい、と。

「娘。私は今、この男に言ってるのだ。お前の意見は聞いていない」

 ロネの必死の懇願など、ディルオーネにとっては外野の声でしかない。

 どんなに彼の娘がそれを否定しようとも、ディルオーネにとっては自分の命令違反をした部下を処分することが大事だから。それには腹いせのようなようなものもあるのかもしれない。

「馬鹿な奴だ。こんなことをしなければよかったのに」

 そのまま、ディルオーネはレネオットの身体に先ほど鞘から抜き出した剣を向けた。

「お願い、父さんに酷いことしないで! 誰か、止めて! この人を止めて!」

 ロネは母と自分、そして父を捕らえているディルオーネの部下達に叫んだ。しかし、ディルオーネの部下達が頭領の言うことを否定するはずがない。当然、ロネの叫びにも耳を貸さない。。

「うるさいな! お前らは黙ってディルオーネ様のすることを見ていればいいのだ!」

 そう言って、ロネの身体に、より一層強く力を入れた。

「ぐっ……!」

 ロネは今すぐにでも父の傍に走りたい、ディルオーネがこれからやろうとしてることを止めたいと思った。しかし、強い力で抑え込まれているので、子供の力では大人に叶わない。

「お願い、やめて!」

 ロネは涙を流しながらでも必死で懇願した。もうこれ以上、何もしないでくれ、と。

「レネオット、お前にふさわしい最期にしてやろう」

 ディルオーネはレネオットの頬に剣を当てた。

 レネオットの頬からうっすらと血が滲み、わざと傷を与えることでそれが本気だということを見せつける。

「何か言い残すことはないか?」

 レネオットは妻と娘の顔を見た。せめて最後には家族の顔を見たい、とばかりに。

「ロネ、ミリナ。私はお前達と一緒にいれて幸せだったよ」

 レネオットは自分がこれから殺されるというのに、優しい笑みだった。

 自分が死ぬという恐怖におびえる顔でも、悲しみに満ちた表情でもない。いつも家族に接する時の表情だ。

 笑顔ならば、少しでも妻と娘に安心させられるだろうと思っての最後の心遣いだ。

ここで自分が怯えてしまえば、自分の最後の表情が苦痛のものになってしまう。

家族とそんな別れ方をしなくない、と。これなら家族に最後まで父と夫でいれる、と。

「ロネ、元気で」

 レネオットはそう呟くと、目を閉じた。

「家族と最後の別れも済んだか、ならばいいだろう」

 ディルオーネはレネオットの頭上に剣を持ち上げた。それはまさに、母娘にとってはこの世で最悪の絶望だろう。


「やめてぇーー!!」

 ロネは叫んだ。しかし、その叫びもむなしく、現実は非情だった。


 一瞬のうちに、それは本当に物を落とす時と同じような速さで、ディルオーネの剣が振り下ろされた。

「いやあああー!」

「あなたー!」

 叫ぶ母と娘の前で、ざしゅ、と嫌な音と共に、ごとり、と頭部が落ちる音。

 レネオットの身体が頭ごと切り落とされたのだ。

 切断面から血が噴き出し、頭を失ったレネオットの身体はその場に崩れ落ちた。

 そして、頭部を失った首から、大量の血が地面にどくどくと流れ出した。

「父さん!父さん!」

 目の前で死骸と化した、父親の姿を見て、ロネは恐怖と悲しみのあまり、足ががくがくと震え、その場で崩れ落ちた。

「父さんー!」

 ロネは叫んだ。大好きな父が、目の前で首を切り落とされる。そんな残酷な場面を見てしまい、現実を認めたくなかった。大好きな父が、笑顔がまぶしかったその父が首を切り落とされ、もう二度と喋ることも動くこともない、血で濡れた無残な姿を目の前にしてしまった。

「あ……あ……」 

 ミリナはその場に立っていられなくなって足から力が抜けたが、部下に背中を掴まれていて倒れることもできない。

 愛する夫と、娘にとっては大事な父親。それが目の前でこんなにも残酷に殺されたのだ。

 血まみれな愛する家族の死体はもう目を向けられない。

「ゆる……せない……! 許せない! お前ら! 許せない!」

 ロネは怒りに震え、涙をボロボロ流しながら子供ながらに精一杯の目つきでディルオーネを睨みつけた。

 なぜこんなに酷いことをなぜするのかと。なぜこんなことをして平気なのだと。

 このディルオーネという男はなんて非道な者なのだろうか、と。

「ふん。小娘が。恨むならお前の父親を怨むんだな。勝手なことをしたからこうなった。自業自得だ」

 子供の前で父親を殺しておきながら、ディルオーネは一切罪悪感を見せることもなかった。

 これが当然だとばかりに、ロネを見下す。

「あなた……」

 ディルオーネに威圧された視線を感じ、ミリナもまた夫を亡くした深い悲しみに、出ない放心していた。

 しかし、怒りにも悲しみに満ちた母娘を見て、ディルオーネは告げた。

「お前らの身柄はこれからどうするか審議にかける。まあ、裏切者のレネオットの家族としていい扱いはされないと思うけどな」

 審議、ということはこれから母娘二人がどんな扱いをされるかの会議だろう。

 ディルオーネの目的であったレネオットへの処罰は終わったのだから、次は残った彼の家族の扱いだ。

「ほら、歩け」

 足をまともに動かすこともできない程に身体が震えあがっている母娘を兵士は無理やり立ち上がらせた。そして、強制的に連行する為に馬車に乗せた。

 兵士たちは家族を失ったばかりの母娘に同情する意識は一切ない。

 目の前でレネオットが殺された以上、この者達は家族である自分達にも何をするかわからない、という恐怖でミリナとロネは震えた。

 しかし、言う通りにするしかない。

もしここで逆らえば自分達も彼ののように殺されるのでは、という恐怖もあるからだ。

 仕方なく、命令通りに従うしかなかった。

この日からこの家族の平穏は永遠に失われたのだ

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