第二部

第一幕

正義

 「教えてくれ、姉さん。なぜ俺たちは詐欺師になったんだ?」


かび臭い屋根裏部屋に揺れる影が二つ。赤髪の少年は規則的に点滅する工場の灯りに見飽きて、ふと呟いた。


「金を稼ぐなら化学工場の従業員でも発電局の職員でも良かったはずだ。危険を冒してまで姉さんが詐欺師になる必要は無かった」

「なんだラヴィ。今更怖くなったか?」


女はガーターベルトを腰より少し低い位置で固定し、留め具でストッキングの端を挟んだ。振り返るわけにはいかないので、代わりにくつくつと喉を鳴らす。


「別に」


少年は肩で切り揃えた髪を絡めとった。


「ただ、考えるより先に手が出る姉さんに詐欺師は向いてないなって思っただけ。姉さんは自警団に入るか、いっそのこと大道芸人にでもなればよかったんだ」

「はははっ。そうかもな。でも俺は詐欺師が良かったんだ」

「なんで?」


変声期を迎えていない甲高い声に、女は姿の無いチェシャ猫のようににやりと笑う。


「詐欺師は正義のヒーロ―だからな」

「はあ?」


予想外な答えに少年は目を丸くした。


「何それ。詐欺は悪だ。正義は悪から一番遠い存在だよ」

「普通なら、な。でも俺たちは悪い貴族からしか金は貰わない。しかも金はみんなに分けてやってる。それは良いことだろ。明日の飯も買えない奴らから金を巻き上げる貴族の方が悪だと思わねえか? だから、俺たちは貴族じゃなくて、えっと――」

「義賊?」

「そう、それ。ギゾクだ!」


女は腰に手を当て、大きなブイサインを作った。ヒビ割れた電灯が作り出した姉の影を見て、少年は肩をすくめた。


「下着姿同然でカッコつけても意味ないよ、姉さん」

「大丈夫だ。あとはドレスを着るだけだ!」

「そういう話じゃないんだけど。それにしても今日は随分と時間がかかるんだね」

「だって今日は公爵の家に行くんだ。成金貴族じゃなくて地主貴族だぞ? 地上のお貴族サマはドレスコードとやらにうるさそうじゃねえか。それにああいう連中はめかし込んだ女を脱がすのが趣味って聞いたことがある。ならこっちも変態文化に合わせてやんなきゃ。というわけで後ろの紐を結んでくれない?」

「顔が良くても知性がなきゃハニートラップは成功しないと思うよ。心配だなあ」


少年はため息を吐く。だが、経験上姉の言うことを聞いておかないと後で碌な目に合わないので、仕方なく女の背後に回った。


 ドレスに縫い付けられたリボンを背骨に沿って結んでいく。


「姉さん。この仕事が終わったらちゃんとした家に引っ越そうね」

「ああ。どうせならシャンデリアがついたバカデカい家が良いな」

「そうだね。そしたら……」


こんな仕事からは足を洗って、二人で静かに暮らそう。


 そこまで言おうとして、少年は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。自分とは違って女は正義感が強い。奪った金を独占しても誰も文句は言わないのに「君が困っているのなら」と見ず知らずの人に渡してしまう。きっと彼女はこの世界から格差が無くなるまで戦い続けるだろう。


 だから少年は「なんでもない」と首を振った。


「さ、できたよ。行こう姉さん。夜が明ける前に全てを終わらせないと」



 「シャンデリア、か」


宝石の煌めきを閉じ込めた照明の下、アドラは呟いた。


「なあ姉さん。俺さ、バカデカくはないけどちゃんとした家には住んだよ。姉さんが死んでから色々あったけど、ズィーもバンもいてくれたし、最近可愛い妹分までできた。相変わらず女神は意味わかんねえけど、徴税官たちとはやっと渡り合えるようになった。みんなといると本当に楽しくて、最低だけど、ヴァイマリこっちに落ちて良かったって思っちゃってさ。だからあいつらもきっと同じだろうって思ってた。……なのに」


他でもない、大事な仲間に裏切られた。


アドラは幾重にも包帯が巻かれた左腕に目を落とした。


 シエルに自分とズィヤードの秘密を教えたあの日。アドラたちは突如、通行人に扮した騎士団たちに襲われた。命からがら月部屋へと戻るも、そこには仲間たちを支配下に置いたバンがいた。バンは躊躇いなく自分を撃ち、シエルに大きなトラウマを植え付けた。ズィヤードにシエルを託したことまでは覚えているが、それ以降の記憶はない。

 だが、そのまま放っておかれれば死ぬはずだったのに、今もこうして生きているということは、自分にはまだ利用価値があるのだろう。それを証拠にどういう訳か自室に監禁されている。


アドラは拳を布団に打ち付ける。電撃を浴びたような鋭い痛みが左腕に走った。


「教えてくれ、姉さん。どうしてこうなった? 俺はどこで間違えたんだ?」

「何を勘違いしているのですか。初めから全てあなたは私の『敵』だったんですよ」


不意に扉が開く音がしたかと思うと、背後から聞きなれた声がした。アドラが振り返ると、扉の前には月部屋の仲間たちを侍らせたバンがいた。だが、口調はいつも通り丁寧なのに対して、声色はドライアイスのように冷ややかで他人行儀だった。


アドラは青筋を立てて、血走った眼でバンを見上げた。


「バン……。どういうつもりだ。なぜ他でもない君が騎士団にいる。シエルを何に使うつもりだ……!!」

「なぜ俺を捕まえたのか、とは聞かないのですか。甘いですね。姉君と同じだ」

「死にてえのかてめぇ」

「死ぬのは貴方ですよ。アドラ――否、王女誘拐犯さん」


そう言ってバンはポケットからタブレット端末を取り出す。そこにでかでかと映っていたのは「アリシエル王女誘拐」の文字と、二枚の写真であった。一枚は赤色の垂れ幕が下がった月部屋の外観。そしてもう一枚は、シエルの手を引いて街道を歩くアドラであった。


「なっ――!!」


事実とは異なる新聞記事を読んで、アドラは息を呑んだ。


「アドラさん。あなたにはアリシエル王女を誘拐した犯人として、地上の法廷に立ってもらいます。あなたは更生不可能と判断された大犯罪者。極刑は免れないでしょう。ああ。ですが今、貴族たちは度重なる敗戦でストレスが溜まっています。娯楽に飢えた蛮族に姿を変えて地下に降りてくるかもしれません。ご自分の命だけで許されると良いですね」


バンはゆるりと唇を上げた。穢れた物でもみるような視線に、ぞわりと全身が粟立つ。


アドラはふらふらと立ち上がった。


「ふざけんなよ」


そして、バンの胸倉を掴み、自分の元へ思い切り引き寄せた。


「俺が死ぬのは構わない。でも、関係の無い人間まで巻き込む必要はないだろ!? そんなの粛清の二の舞だ。バンはそれでいいのかよ。君だって、何年もヴァイマリで暮らしてたじゃねえか!」

「私を侮らないで下さい」


だが、次の瞬間。アドラの視界は百八十度回転した。何かにぶつかったのだろう。後頭部に鈍い痛みが走り、思わず目を瞑る。


 再び目を開けた時、憎しみに満ちた翠色の瞳と目があった。アドラは自分が押し倒されたのだと気づいた。


「私は薄汚れた地下の民など大嫌いだ! 貴方たち犯罪者たちは奪うだけ奪って、奪われた側の気持ちなど知りもしない。ヴァイマリここにいたのは任務のため。それだけだ!」

「ならなんで今まで協力してくれてたんだよ! それに君、実は姉さんのことが」

「黙れえええええっ!」


絶叫にも似た怒声が反響する。バンはアドラにまたがり、女のように細い首を力の限り締めつけた。ギシギシとベッドが軋む音がする。


「いいかよく聞け。私は貴方たちアドラを一度でも好きだと思ったことは無い。むしろ逆だ! 殺したいほど憎んでいる。貴方たちさえ来なければ、妹は、リサはきっと元気になったんだ。アンジュー家も没落しなかったんだ!」

「アン、ジュー?」


どこかで聞いたことがある単語を掠れた声で反芻すれば、バンはふっと鼻で笑った。


「ええ。忘れもしない六年前のあの日。私の家は赤髪の姉弟に襲われました。彼らは多くの家財とIDカードに加え、国王様から賜った貴族の印まで奪っていった。あなたにはありふれた宝石に見えたかもしれませんが、あの雪の結晶はアンジュー家が貴族であるために必要なものだったのです! 印を失ったアンジュー家は没落し、位を失ったことに恥じた両親は首を吊りました。運よくお父様に拾っていただかなければ、私もリサも死んでいたでしょう。ですがそのリサも、もうっ……!!」


低い声を震わせながら、バンは手にさらに力を込めた。彼の顔は蒼白かったが、眼は真っ赤に染まり、こめかみがぴくぴくと痙攣していた。苦痛に表情を歪めるその姿は、家族を奪った者へ憎悪を沸き立たせているようにも見えたし、妹を救えなかった自分への嫌悪を募らせているようにも見えた。だが、決してその目から涙が流れ落ちることは無かった。


「アドラさん。私は貴方たちとは違って目先の利益に捉われません。お父様の指示に従い、自分の仕事を進めます。本当は今すぐにでも地上に送りたいところですが、生憎こちらも人手不足でして。どうか、残された時間を奪われた者たちへの懺悔に費やしてください」


バンは大きく息を吐くと、ゆっくりとアドラから手を離した。咳き込むアドラを一瞥し、もう用は無いとでも言うように扉へ向かう。すっかり冷静さを取り戻した彼は、先ほどの激昂が嘘のように淡々としていた。


「バンッ」


アドラは扉の向こう側へ吸い込まれる背中に手を伸ばす。だが、バンが振り返ることはなかった。バンに付き従った仲間たちもアドラに冷ややかな視線を浴びせただけだった。


 残された部屋で、アドラは血の味がする唾を飲み込んだ。息苦しさからふと天井を見上げれば絢爛なシャンデリアが目に入った。


 その瞬間、アドラの脳内に姉の言葉が響いた。


「詐欺師は正義のヒーロ―だからな」


「嘘だ」


アドラは長い赤髪をかき上げた。姉の仇討ちに失敗して出来た刀傷をそっとなぞる。


「俺たちがバンの家を襲ったせいでバンの家族が死んだ。でも、俺たちが金を配ってやんなきゃスラムのみんなが死んでた。犠牲の上に成り立つ正義なんて偽善だ。姉さん。俺は何を選べばよかった?」

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