幕間②

赤の記憶『依存』

 骨が埋められた丘に酒瓶を手向ける。白いカーネーションじゃないのは、生花もそれを買う金も持っていないことだけが理由だけではない。姉さんは三度の飯より酒が好きな辛党だったからだ。


 姉さんが死んでから一カ月。俺は適当に張り付けられた人工芝に、血で汚れた空の瓶を置いた。


 本当は瓶の九分目までたっぷり入ったものを用意するつもりでいた。だけど思ったより稼ぎが悪くて、一昨日食べたクラッカーに全て費やしてしまった。俺は自他ともに認める美人だ。ついでに我慢強い。だから、大犯罪者ハイラガードを狩りにきた騎士団連中を押し倒して可愛く鳴いてやれば、その隙にIDカードの一つや二つ、盗めると思っていた。だけどあいつらは何も持っていなかった。やられ損だ。


「姉さん、みんな姉さんの帰りを待ってるんだ。戻ってきてくれよ」


地面の中にいる姉さんを見つめる。どんな憂いも消し飛ばす豪快な笑い声は返ってこない。


 その代わり、俺の名前を呼ぶ低音が後ろから聞こえてきた。



声の主は褐色肌の青年だった。黒い髪に、黄金の目。姉さんとタイマン張って唯一勝った、月喰つきばみ最強の男。


「ズィーか。どうした」


俺は空の酒瓶に背を向けた。ズィーは口をもごもごさせた。唇がくっついては離れて、視線を彷徨わす。まるで旧世代のAIが思考しているようなその仕草は、ズィーが何かを考えているときの癖だ。一年付き合ってみて分かった。こいつは戦いは音速だけど、それ以外はカタツムリだ。とろい。


 三度目の欠伸をしかけたところで、やっとズィーは口を開いた。


「みんながあんたを呼んでる。アドラさんの後を誰が継ぐべきか、話し合うと言っていた」


それはひどく申し訳なさそうな声だった。弁護人がいない裁判所で、裁判官に責め立てられているような声。


「そうか。今行く」


俺は軽く頷いて、灰色の街を見下ろした。大犯罪者ハイラガードの最終処分場ではそこかしこに煙が立ち上っていた。姉さんが大半を狩りつくしたとはいえ、処刑人はハエのようにまとわりついてくる。叩き落とすのは簡単だけど、油断していたら刺されて手遅れになる。


 だからまとめて焼き払う炎が必要だった。アドラという、赤髪を靡かせて全てを燃やし尽くす、最強のリーダーが。


 なんで姉さんは死んでしまったんだろう。なんで俺が生き残ったんだろう。俺じゃなくて、姉さんの命の方がみんなには必要だ。


  姉さんはみんなの希望だから。


「なあ、ズィー。あの日、姉さんの代わりに俺が死ねばよかったと思わないか?」


丘を下り、月喰つきばみの隠れ家へと続く道で立ち止まる。前方を歩いていたズィーが、ばっと振り返った。普段のぼんやり顔は、戦ってるときみたいに引き締まっていた。


「バカなことを言うな! 俺はラヴィが生きていてよかったと思っている!」


ズィーは俺のネクタイを掴んで叫んだ。俺は目を見開いた。こいつ、こんな激しい声が出せたんだ。


「お前はな」


 だけど、俺は褐色肌の手を払いのけた。


「ズィーだけだよ、そんな風に言ってくれんのは。お前は異常なんだ。みんなは姉さんを、アドラを求めている。盗みと騙ししかできないガキじゃなくて、最強のリーダーを求めているんだ!」


ああそうだ。生きるか死ぬかの瀬戸際で信じられるのは絶対的な力だけだ。全てをねじ伏せる武力が必要なんだ。


 くつくつと、自然と喉がなった。


「ズィー、お前が姉さんを継げよ。お前は最強だ。誰も文句は言わねえ。それにお前は姉さんの片翼だった。ただの弟の俺より、お前の方がよっぽどリーダーにふさわしいじゃねえか!」

「でもラヴィ。俺は……」

「ああそうだ! んだったよな。この卑怯者がっ!」


死者を悼む沈黙の夕刻に、引き裂くような罵声が響いた。


 ズィーは顔を引きつらせた。眉間に皺をよせ、唇を歪める。だけど、すぐにいつもの無表情に戻っていって。


 ぽつりと。


「すまない」


目を逸らして、俺から距離を取った。悲しそうな声を残して。


 違うんだ、ズィー。俺はお前にそんな顔をしてほしかったんじゃない。俺だって死にたくないよ。奪われたのが左目だけで済んで良かったと思っている。二度とお前と話せないなんて死んでも死にきれない。後悔で墓場から舞い戻って来てやる。


「俺の方こそ、ごめん。今のは言い過ぎた」


俺はズィーの手首を掴んだ。とくとくと静かな脈が伝わって来た。


 ズィーに手を引かれて、ヴァイマリアードの暗闇を歩く。朝方は銃声が鳴り響いていたのに、今は不気味なほど音がしなかった。まるで狩人が得物に狙いを定めているような、嵐の前の静けさだ。


「ズィー。俺を独りにしないでくれ。姉さんみたいに置いて行かないで」


だから、気がついたらそんな言葉が零れ落ちていた。だけど一度壊れてしまった堰は慟哭どうこくを止める術を知らず、言葉は滝のようにあふれ出てくる。


「隣にいるだけじゃダメだ。死ぬまでずっと一緒だ。ずっと俺だけを求めていてくれ。例え俺が死んでも俺を、ラヴィを忘れないでくれ」


我ながらひどい泣き言だと思った。感情の一方的な押し付けだ。ズィーの気持ちすら考慮しない。これじゃ、子供のわがままじゃないか。


 でも、ズィーはそんな俺を咎めなかった。膝を曲げて、目線の高さを俺に合わせてくる。骨ばった指が頬に触れた。


「約束しよう」


俺の涙を拭ったズィーは、優しい微笑を浮かべていた。その月のような黄金の瞳を見て分かった。俺の帰る場所はここにある。ズィーがラヴィを覚えていてくれる。


 俺は姉さんみたいに強くない。姉さんのような圧倒的な力を持っていない。だけど、姉さんを演じることならできる。そうだ。みんながアドラを求めるなら、俺がアドラになればいい。俺は姉さんと同じで自他ともにみとめる美人だ。ついでに我慢強い。


 名前を捨てよう。髪を伸ばそう。ネクタイじゃなくて、リボンタイにしよう。アドラはわがままで、感情に抑えがきかなくて。面倒事に首突っ込んでは、度胸と拳で丸め込む、正義感の強い人だ。語調を強くして、大声で笑えばいい。もっと単純になって、感情豊かに振舞うんだ。ズィー、君が望むなら、姉さんの代わりに俺が正しい答えを与えよう。


 なあ、ズィー。君が『本当の俺』を覚えていてくれれば、俺は誰だって欺けるよ。だって――







 こうした方が、みんなに都合がいいだろう?

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