告白
アドラに連れてこられた建物は、一丁目と二丁目の狭間にある、半地下の建物だった。ヴァイマリアードは太陽から最も遠い街だ。そのため、住人たちはこぞって天井ぎりぎりに建物を建てたがるのだが、地下に向かって建物を作るとは、この建物の主は風変わりな人物らしい。一体どんな店なのだろう、とシエルが立てかけられたモニターを見ると、画面にはポスターが表示されていた。
「劇団『星部屋』?」
月部屋と語呂が似た単語に、シエルは首を傾げた。
「ああ。月部屋の親戚……ぶっちゃけると、前に俺が追い出した仲間たちが作った劇団だよ。もう誰かから聞いたかもしれないけど、昔、俺は問題を起こして彼女たちの居場所を奪ってしまったんだ。だけど、あいつらのことが気になって、探してたら偶然ここを見つけた。そんで今もたまに来てるってわけ。シエルには色々と勉強になると思うぜ。前に君は『役者になりたい』って言ってただろ」
「ああ、そういえばそうでしたね」
シエルの脳裏に、月部屋に来た日の記憶が蘇る。初めてアドラの公演を見たあの日。くらっとするほど艶めかしい
つい二か月前のことなのに、まるで遠い昔のことのように思ってしまう。
「月部屋は分かりやすいストーリーと歌がメインの大衆演劇だからな。エンタメ性が売りなんだが、どうも型にはまってる」
「ここは違うんですか?」
「まあな。ま、見ればわかるよ」
そう言ってアドラは地下への階段を指さした。人が一人通れるか、通れないか程度の狭い通路だ。薄暗いコンクリートの空間を、ぼんやりと蛍光灯の光が照らしている。シエルは躓かないよう壁に手を添えてアドラに続いた。
階段を下りた先には、シエルが想像していたよりも広い空間が広がっていた。座席の数は三十はあるだろう。アドラは受付と書かれた看板を通り過ぎると、入り口の前にいた女に声をかけた。女はアドラの顔を見ると目を丸くした。だが、彼が何かを伝えると、袋を二枚渡してくれた。それは靴を入れるためのもので、どうやら場内は土足厳禁らしい。シエルはアドラから袋を受け取ると、女に軽く会釈をした。
月部屋指定の革靴を脱ぎ、シエルはすぐ目の前に迫った舞台を眺める。開演前は月の刺繍が入った赤い幕を閉じている月部屋と違い、星部屋は舞台装置を露わにしていた。階段や立方体が積み重なったオブジェクト。壁には三角形と四角形が混ざった、幾何学模様が描かれている。
アドラが「見ればわかる」と言っていた理由が、何となく伝わってきた気がする。月部屋とは違う、厳かな芸術性がそこにはあるのだ。
やがて、世界が暗転する。シエルはこれから始まるであろう劇に期待で目を輝かせ――
「『たとえ罪を犯したとしても、それが正しい選択であったと言えるだろうか?』」
ライトに照らされた女の咆哮に、全身を打たれた。
それは力強く、腹の底から湧き上がるような叫びだった。怒りと憎しみ、それに後悔を濃縮した原液を飲み干して、力任せに叫んだような声色。目を血走らせ、こちらを睨みつけるその視線に、劇場内の空気が張り詰める。
(同じ女性なのに、こんな声が出せるんですか……)
シエルは全身を震わせた。体中に稲妻が走った気分だ。
「『欺くことで救えるのだろうか』」
立方体を積み重ねたオブジェクトから、別の女がぬらりと現れる。
「『選択を放棄することは罪なのだろうか』」「『全てを守りたいと願うのは傲慢なのだろうか』」
女が一人増えるたびに、斉唱が重なる。それは怨念にも聞こえるが、聖歌のような崇高さも持ち合わせていた。救いを求める、祝詞だ。
「『ヴァイマリアード・ハイラガード』」
女たちが揃って舞台から姿を消したとき、シエルはすっかり舞台に
「――っと、言うわけで、なんかすっごくすごかったです」
シエルはナプキンでオレンジソースを拭うと、目の前に座るアドラを見上げた。
「それ聞くのこれで十回目だ。でも気に入ってくれたならよかった」
一足先にパンケーキを食べ終えたアドラは、カフェモカを片手に唇を緩めた。
「星部屋の公演は話が難しいんだよな。俺も今日のは七割くらいしかわかんなかった」
「あ、分かります。なんかこう、考えるな! 感じろ! って感じですよね。面白いというよりは、エモかったです」
「えも……?」
「古の東国の言葉です。心が動かされて、何とも言えない気分になった時に使うらしいですよ。バンさんから教えてもらいました」
「なるほど。あいつは古文書とか読むからな」
アドラはカフェモカを口にする。シエルはアドラが思っている以上に、月部屋にすっかりなじんでいた。
「アドラさんは本当に演劇が好きなんですね。てっきり演じるだけかと思ってました」
シエルはアイスティーを飲んで言った。口の中に残っていた、砂糖たっぷりのホイップクリームの甘さが中和される。
「演じるのも観るのも好きだぜ。俺にとって演劇は特別なんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。……姉さんが、好きだったから」
アドラは窓外の常闇を眺めた。紫水晶の目には、寂し気な色が滲んでいた。
窓の向こう側の喧噪とは対照的な、穏やかなボサノバが沈黙の役割を果たす。リズムを主張しない優しいハーモニーが心地よい。
シエルはアイスティーをかき混ぜた。カラン、とガラスと氷がぶつかる音が響く。
「姉さんはさ、一言で言って俺たちの希望だったんだよ」
アドラはそう言うとカフェモカを飲み干した。
「わがままで、感情に抑えがきかなくて、口よりも先に手が出て。でも正義感は強くてさ、困っている奴を見つけると放っておけないんだ。一人称も『俺』だったし、あれは姉というより姐御だったな」
白磁の手を頬に添え、ぼんやりと宙を眺める。
「目を離すと、その辺の男たちと殴りあってるような姉さんだ。あの人の行動パターンに『静かに過ごす』なんてものはない。だけど、唯一座っていられたのが演劇でさ。ヒーローが悪役をばったばったとなぎ倒しているのを見て、『あいつは最強の男だ! 俺とどっちが強いか勝負しろ!』ってわめいてた。
アドラは目を細めて、困ったように笑った。しかし、それは決して嫌な物に向ける負の感情ではなく、むしろ愛する人を懐かしむものだった。
シエルは居住まいを正して、探るような視線を彼に送る。
「だから
「正解。俺も、ズィーもバンも月部屋の皆も、星部屋の女たちも、みんな姉さんが好きだったんだ。だから姉さんの好きなものをしていこうってなった。姉さんは詐欺師というより強盗だったけど、俺はちゃんと誰かを欺いて生きてきたから。ボーイより役者になったんだ」
ちゃんと、って言い方は変かな。アドラはぽりぽりと頬を掻く。シエルは何も言わなかった。犯罪を肯定するのも、彼の生き方を否定する違う気がした。そのかわり――
「僕もお姉さんに会ってみたかったです」
いつも通りに、明るい笑顔を向けた。
「そうだな。俺もそう思うよ。姉さんとシエルが出会っていれば、もう少し粗暴さがマシになったと思う。言葉遣いだけ、おしとやかなお嬢様になったりしてな。『わたくしと勝負なさい!』なんて言ってさ。……それに、俺ももっと早く君に会えていたら――」
ふと、紫色の視線がシエルを射抜いた。長いまつ毛の下で光る瞳は、妖しい熱を帯びている。触れたら一瞬でからめとられてしまいそうな、そんな雰囲気。
「会えていたら……?」
シエルは徐々に早まる胸の鼓動を抑え、オウム返しに彼に尋ねる。
「今よりもっと、シエルのこと好きになってたかも。さ、次の場所に行こうか」
アドラはふふっと柔らかな息を漏らし、おどけた調子で言った。
アドラは机の上に置いてある端末に親指を押し付けて、素早く会計を済ませた。椅子の上にかけてあった淡色のカーディガンを羽織り、席を立つ。硬直するシエルの手を握って、「置いてっちゃうよ」と意地悪く頬をつついてみれば、「ひゃいっ」と可愛らしい声が返って来た。無論置いていくつもりなどない。痛みにならない程度に力を込める。離さない、とでもいうように。
(このままいけば、まあまあかな。シエル、俺は君を幸せにできないけど、愛するフリならいくらでもしてあげるから)
アドラは春風が吹き抜けたように笑った。
COH作戦、
(今日のアドラさんは、なんか雰囲気が違います……!)
アドラに手を引かれ、パンケーキ屋を出た後。シエルは彼の背中を追いながら、胸に手を当てていた。先程から心臓がバクバクと音を立てていて、うるさい。
(服装が違うせいでしょうか? それとも、座長とボーイとしてではなく、アドラとシエルとして、個人的に出かけているから?)
思い返してみれば、昨日からアドラはどこか様子がおかしかった。急にデートに誘ってきたかと思えば、観衆の前で手を握って見せたり。明らかにシエルを女の子扱いしている。
だから、つい勘違いしてしまうのだ。
(アドラさんは私が好きだなんてこと、ありえないのに)
アドラは月部屋の人間を平等に扱っている。座長だからと言って威張ることも、特定の誰かを贔屓することもない。自室にシャンデリアをつけたがる、かわいいワガママを持ったリーダーなのだ。
そんな彼が、アットホームな月部屋の雰囲気を自ら壊すわけない。しかも、かつて苦い経験をした恋愛関係で。
(それに、私はまだ本当の名前も伝えられないような、嘘つきですから。仲間に誠実なアドラさんとは不釣りあいです)
だけど。いつか本当の名前と身分を打ち明けられたら? もしアドラの姉が生きていた頃に出会ってたとしたら? それでも不釣りあいと言えるのだろうか。
少女は、この胸の高鳴りを何と名付けるのだろうか。
ふるふると、雑念を打ち消すようにシエルは首を振る。淡色のカーディガンから目をそらし、視線を宙に投げた。いつの間にか商店街を抜けたようで、けばけばしいネオンの代わりに、合成樹脂でできた木々が目立つようになってきた。緩やかな坂道を上がっていけば、遠くに見える看板たちが、光の点となっていく。
「ついたぞ。ここだ」
アドラは丘の天辺で足を止めると、数歩後ろを歩くシエルを振り返った。闇色のカンバスに、緋色の軌跡が描かれる。
「うわあ。綺麗……!!」
シエルは目の前に広がった絶景に目を丸くした。草花をかき分けて、ヴァイマリアードの街を一望する。それはまるで星空のよう。ネオンの看板と温かなオレンジ色の街灯が混ざって、世界は幻想的な景色を描き出していた。まだ昼だというのに、ロマンティックな夜景を楽しめるのは、ヴァイマリアードの特権だ。地上では決してお目にかかれない。
「こんなきれいな景色が見られるところがあるなんて知りませんでした」
アドラの隣に歩みを進めて、シエルは感嘆の息を漏らした。
「だろう? 俺が知ってる中で、一番きれいな所だ。ごちゃごちゃした商店街も楽しいけど、こういう場所もあるんだってことを、君に知ってほしかった」
アドラは繋いだ左手をゆっくりと解く。指の隙間の寂しさを補うように、シエルの腰に手を回した。繊細なガラス細工でも扱うような手つきで、そっと彼女を抱き寄せる。
「シエル。好きだ。俺の恋人になってくれ」
そして。詐欺師は、無垢な少女に偽りの愛を吐いた。
「ずっと黙っておくつもりだったんだ。でも、君がズィヤードと一緒にいるところを見て、胸が騒いだ。あいつに取られたくない。そう思ってしまった」
白磁の手が、青色の髪に落とされる。自分の柔らかな髪を梳く彼に、シエルは顔を上げた。暗闇の中で、紫水晶の瞳がぼうっと淡い輝きを放つ。
「君を愛すると誓うよ。だから月部屋の皆には秘密にしてほしい。特に、ズィヤードには」
憂いを帯びた声が、享楽の街に溶けて、沈む。
それだけで気づいてしまった。告白はこんな悲しい声ですることじゃない、と。
「アドラさん」
シエルは頬に明るいえくぼを浮かべた。
「ごめんなさい。僕は、あなたの恋人にはなれません」
腰に添えられた白磁の左手に、自身の右手を重ねた。彼を受け入れるためではない。彼の指を、体から剥がすために。
「僕はアドラさんが好きです。でも、それは恋愛的な意味じゃありません。人として好き――そう、もし僕にお兄ちゃんがいたらこんな感じだろうなって、思います」
緩い拘束から、突き放すわけでもなく、するりと抜け出す。アドラは呆気に取られていた。虚を突かれたように、ぽかんと口を開けている。
シエルはアドラの前に立つと、彼の肩に手を伸ばしてその瞳を覗いた。
「アドラさんは他に好きな人がいるでしょう?」
「――っ!!」
アドラの喉の奥から変な息が漏れた。図星だった。気づかれていた。見透かされていた。全部、初めから知られていたんだ。一体いつからだ? いつから、シエルはアドラの演技に気がついていた?
絶対に落とせると思ったのに。
「ハハッ……」
乾いた笑いがアドラの口から零れ落ちる。
「アハハハハハハハハハハ!! ……あーーーーーっ、クソッ!!」
シエルの手を跳ねのけると、アドラは崩れ落ちた。髪を束ねていた紐をほどき、乱暴に投げつける。ばさり、と緋色の髪が人工芝の上に広がった。
「笑えよ」
彼は下唇を噛んだ。血の味が口の中を侵食した。
「ああそうだよ。全部君の言う通りだ。たしかに俺は君が好きだ。でも君と同じで、君を家族のように思っている。恋人になって欲しいなんてこれっぽっちも思っちゃいない。でも、俺は君が邪魔だったから、君にズィーの隣を取られたくなかったから、君を騙した。詐欺師にも戻れない、ただの最低な野郎だよ」
髪を鷲掴みにして、アドラは背中を丸めた。瞳が潤んで視界がぼやける。腹の奥底から熱いものがこみ上げてきて、耳まで熱を持っていることが嫌でも伝わってきた。深いため息をつきながら目を閉じれば、自分の稚拙な行動が蘇ってくる。何が
「笑いませんよ」
しかし、シエルは縮こまったその背中に手を伸ばした。
「たとえアドラさんが僕を騙していたとしても、僕は今日、とっても楽しかったです。見たことのない種類の演劇も、食べたことがないパンケーキの味も、アドラさんが教えてくれなければ僕は知りませんでした。それに――」
シエルは赤色の髪を手に取り、耳元にかける。うずくまる彼の顎を持ち上げ、強引に視界に割り込んだ。「どうか私の目を見てください」と。
「誰かをそこまで愛せるって、素晴らしいことじゃないですか」
紫水晶の瞳に、空よりも青く、まっすぐな少女が映った。それはまるで、
(そうだ。シエルはこういうやつだったな)
アドラは顔を上げ、自分には眩しすぎるその光を見つめた。
「ありがとう。シエル、君は間違いなくいい女だよ。ズィーがいなけりゃマジで落とされてたかも」
「え? ズィーさん……?」
思わぬ告白にシエルは首を傾げた。先程もそうだったが、そういえば昨日からやたらとズィヤードの名前が出てきている。しかも愛称ではなく、本名で。ということはつまり。
「アドラさんが好きな人って……」
「待って! ストップ! 今の聞かなかったことにして」
シエルが気が付くと同時に、アドラの制止が入る。アドラは片手をシエルの前に押し出して、もう片方の手で顔を覆った。その顔は彼の髪色と同じくらい赤く、完全にうっかり口走ってしまったことが分かる。なるほど、道理でズィヤードにこだわっていたわけだ。
ふたりの意外な関係性に、シエルは目を丸くした。
だが、それ以上にシエルは乙女なのだ。狭苦しい王宮ではできなかった「恋バナ」とやらに、体がうずきだしている。
「アドラさーん」
シエルはにやにやと、まるでアドラのように、
「もしかして、僕とズィーさんが一緒にいることが多いから勘違いしたんですか?」
「なっ!?」
「あっ、その目は図星ですね。じゃあ盗られたくないっていうのは僕に? 僕たちただの友達ですよ?」
たじろぐアドラに、シエルは一歩一歩距離を詰める。普段のアドラは余裕たっぷりに振舞っているので、こんなにも動揺する姿は新鮮だ。彼には申し訳ないが、目を泳がせる様子が少しカワイイとも思う。
「ああそうだよ! 悪いか! 言っとくけど渡さないからな!?」
しかし、アドラは開き直って叫んだ。もはやそれは逆ギレの域であった。
「じゃあ告白したら教えてくださいよ。もしくは今、ここで馴れ初めから好きになった理由まで全部聞かせてください」
「なんだそれ。地獄の二択じゃないか」
「えー、いいじゃないですか。僕を騙したお詫びですよ。『笑わない』とは言いましたが、『無条件に許す』とは言ってません」
「シエル……いつの間にしたたかになりやがって!」
シエルのからかいに、アドラが吠える。言葉こそ乱暴だが、二人は声を上げて笑っていた。嘘偽りのない心からの笑顔だ。
義兄妹のじゃれ合いは、本格的に灯りの数が増え始める夕の刻まで続いた。
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