暗躍

 月部屋の居住スペースである二階、その最東端。隣部屋のわがまま座長がすやすやと寝息を立てるなか、蒼碧の男は便箋にペンを走らせていた。厳重なネットワークセキュリティが確立されたこの時代だ。国の機密事項でさえもデータでやり取りするのが一般的である。レターセットなど、懐古趣味に興じる一部の貴族以外は使わない。それでもなおわざわざ紙を選んだのは、彼が風流だからではない。


 ノーランディア騎士団唯一の特殊部隊、第四小隊。通称「空冷」――男の所属する組織の命令だったからだ。


(今月は十七名。先月より二人増加。男が九名、女が八名。なお、男児の輸送途中に月部屋の人間が第九子「ヒュッレム」と交戦。女神の毒による死亡を確認)


淡々と、まるで音声合成機械が原稿を読み上げるように、男は事実を書き連ねていく。月に一度の定期報告文章だ。はじめは誘拐した人数を書くたびに罪悪感という名の棘が心を刺したが、今はその痛みにも慣れてしまった。食料の在庫を数えるのとなんら変わりはない。


 (あと、そうだ。こちらも一応報告しなくては)


男は机の引き出しから金色のを取り出した。先日、彼の部下の一人が昇降機ファールシュトゥール近くで拾ったというものである。「宝箱の鍵だったりして」と思って拾った張本人は冗談交じりに言っていたが、男はこれがそんな生易しいものではないことを知っていた。目印となる王家の証こそ折れてどこかへ行ってしまったが、金色に刻まれた古代文字がその正体を端的に表していた。


(シャルル・ドュ・ノーランディア。ノーランディア王国第三十六代目国王……。間違いありません)


古代文字を再度確認し、男は息を吐く。


 それは、昇降機ファールシュトゥールの鍵だった。


 「自分の持ち物には記名をしよう」という幼稚園児への道徳のような決まりが、ノーランディア王国この国ではそのまま法として施行されている。流石に昇降機ファールシュトゥール本体に名前を書くわけにはいかないから、鍵に刻んだのだろう。地上の貴族学校にいたときは「どんな法律だよ」と、生真面目に解説する教師に突っ込んでいたが、最下層に落とされて役に立つとは。人生何があるかわからないな、と男は自嘲する。


 しかし、問題はなぜそんなものが最下層にあるかということだ。仮にも昇降機ファールシュトゥールは王の所有物である。だが、王は玉座に座り、奇策と称して犬死を命令する暗君だ。


(アリシエル殿下……いえ、シエル君が盗んだのですね)


『今からそうだな……二カ月くらい前だ。王女殿下が突然いなくなったんだよ。アリシエル・ドゥ・ノーランディア様だ。バカでもそんくらい知ってんだろ?』


脳裏に、いつぞやの徴税官の言葉が蘇る。見るからに成金貴族であった彼は、誘拐だなんだとほざいていたが、男ははなから誘拐ではないと思っていた。王女は自分の意思で、あの狭苦しい王宮から逃げ出したのだ。既にヴァイマリアードで大犯罪者ハイラガードに混ざって暮らしている、と。


 その王女がシエルだと気づいたのは、徴税官に異常なまでに怯える彼女の手を握った時だが、それは運が良かったとしか言いようがない。


(上位貴族の娘くらいに思っていましたが、まさか王族だったとは。リサから聞いていた、引きこもりで臆病な殿下像とは全く違います。人は変わるものですね。ですが、最高の不確定要素です)


偶然シエルがヴァイマリアードこの街に来たおかげで、情報が攪乱されている。今や、アドラたちは王女誘拐事件とヴァイマリアードで人が失踪する事件が関連していると思っているのだ。実際はそこに繋がりなどないし、毒を調べたとしても無駄である。なぜなら、あれは他でもない空冷が、口止めも込みで女神に作らせたものだからだ。


 男は報告書を書き終えると、ふう、と息を吐いた。机の上の時計を見れば、時刻はとうに二時を過ぎていた。思わず欠伸が出そうになるが、頬の肉を噛んで気を引き締め直す。まだ眠ってはいけない。むしろ、これからが本番だ。


 男は机の引き出しから新しいレターセットを取り出した。報告書に使った無地の物ではなく、小花柄でレース状の便箋である。宛名はリサ・メイリー・オブ・アンジュー。一文字一文字噛み締めるように、年の離れた妹へ思いを綴っていく。


『お元気ですか。地上はまだ寒いでしょう。体を温めて過ごしてください。

 お兄ちゃんは相変わらず忙しく働いています。食料の備蓄を確認したり、前公演の売り上げを計算したりしていますよ。そうそう、来月に新しい話を上演します。昔の悲劇を元にした、敵対する家同士に生まれた男女の恋物語らしいです。リサもきっと気に入ると思います』


男の妹は生まれつき病を患っていた。彼の裕福だった頃は高額な薬を買い、治療を行っていたが、家が没落した事件をきっかけに、その治療を断念せざる終えなくなった。そのため、今はもう自分の足で歩く力すら残っていない。普段は共に孤児院に住む友人たちと会話に花を咲かせるか、ベッドの上で本を読んでいるだけだ。しかし、彼女が暮らす家にある本は全て、十五になる頃には読み終えてしまったらしい。だから演劇の台本を男が送ると、ありがとう、と長い感想を送って来るのだ。


 空冷という、陰湿で狡猾で、一度入ってしまったら二度と日の当たる世界に戻れなくなる組織に男が入ったのは、このためである。空冷は定期業務さえこなせば、地上と最下層の人間が交わるという違法行為も見逃してくれる。報告書の中に、妹への手紙と製本した台本が混ざっていても、素知らぬ顔で彼女の元へ届けてくれるのだ。


 『リサが十八になったら、必ずお兄ちゃんが迎えに行きます。だからそれまで、お父様の言うことを良く聞いて待っていてください』


変わらない約束を結びの言葉とし、男はペンを置いて、便箋を封筒の中に入れた。シエルと共に倉庫へ行った際に手に入れた台本の残部と共に、手紙をもう二回り大きい封筒の中へ入れる。一週間後には、妹は台本を読んで笑っているだろう。


(これでようやく眠れます……)


ふああ、と男は喉の奥が見えるような大きな欠伸をした。時刻は四時を過ぎていた。起床時間まであと三時間しかないが、貴重な睡眠時間だ。


 布団に手を伸ばし、眼鏡をはずす。だが、ピピッという電子音が彼の眠りを妨げた。


 男は眼鏡をかけ直し、ブリッジをくいっと押し上げた。そして、ごく自然な流れで、つるに取り付けられたを三回連続で押した。瞬間、男の視界に、多数のホログラムが幾重にも重なって出現する。そう、男の眼鏡はただの視力補正器具ではなく、通信端末だったのだ。


「お父様、私です」


男は声を潜めて、電話をかけてきた相手の名を呼んだ。相手は深夜と朝の間に人を呼びつけたのにもかかわらず、詫びの一つも入れず、一方的に切り出した。


「バン。貴方の業務を変更します。諜報から調達に回ってください」

「……お言葉ですがお父様。それではアドラたちへの干渉はどなたが引き継ぐのでしょうか」


男、もといバンは眉をひそめた。バンは自分が特別優秀な人間だとは思っていない。しかし、何の才能もないまま二十歳を超えても生きてこられたのは、彼が求められた役割をこれまでこなせていたからだ。


(お父様の機嫌を損ねましたか?)


もし損ねたら、文字通り首が飛ぶか毒殺されるかの二択である。中途半端な業務変更で許されるはずがない。バンは自分で立てた仮説を否定した。ここは大人しくお父様の言葉を待ったほうがいい。


「引継ぐ者はいませんよ。月部屋は近いうちに解体されますので。それよりも、ヒュッレムが亡くなったでしょう」


(何を他人事に。あなたが殺したのでしょう)


バンは心の中でため息をついた。だがそれ以上に重要なことを聞いてしまった気がする。月部屋解体というのは、聞き捨てならない。


(話が終わったら伺いましょう)


バンはごくりと息を呑んだ。お父様に意見することは、死に直結しかねない。

 

 そんな彼の心のうちも知らず、お父様は話を続ける。


「ヒュッレムは七歳の頃から、私たちの家族でした。少々やんちゃな子でしたが、嫌な顔ひとつせずにをしてくれるので、それも個性だと認めていました。しかし、ここ数年、勝手な行動が目立ってきたのです。私は悲しい。バン、子供に反抗期など不要だと思いませんか?」

「……」


バンは無言の肯定を返す。お父様はそれでこそ正解、とでもいうように芝居がかった笑いを漏らした。


「ええ、貴方もそう思うでしょう? ですから私は考えました。子供たちにをしてもらうのではなく、本格的に大犯罪者ハイラガードの有効活用をしようかと」


(なるほど。それでこの数カ月異常に人が消えていたんですか)


バンは一人合点がいったように頷いた。アドラたちは気づいていなかったが、粛清時代のほとぼりが冷めた三年前から、実は空冷は年に四、五人のペースでヴァイマリアードの住人を攫っていた。そして新兵器の開発と銘打った強化人間の研究に、ヴァイマリアードの住人を使っていた。大犯罪者ハイラガードの巣窟という性質上、くだらないいざこざで人が亡くなることはたまにある。今までは人攫いを「土地柄」でカモフラージュできていたが、唐突に誤魔化しが利かなくなったのには、そういう理由があったようだ。


「バン、なるべく多くの『成人』を地上こちらによこしてください。くれぐれも、ヒュッレムのように勝手な行動は慎んでくださいよ。貴方には期待しています」

「痛み入ります」


バンは通話機、ならぬホログラム越しに頭を下げる。


(今と同じように、地上に出たいと願う者から送れば問題ないでしょう。月部屋にもたしか数名いましたから、彼らを連れていきましょう。それよりも――)


月部屋の解体、とは何をお考えですか。そう、バンが尋ねようとした時だ。


「あと、そうでした。バン、貴方に悪い知らせがあります。――リサさんが亡くなりました」

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