真実
「ようこそ私の茶会へ。君を歓迎するよ、シエル。いや――アリシエル・ドゥ・フォン・ノーランディア」
薄紅色の唇から吐き出された言葉にシエルは凍りついた。目の前に座る、神父服の麗人こと「女神」。何食わぬ顔で庭園を用意した彼女は、初めから自分の正体を知っていたのだ。安易に大丈夫そうだと判断したことを、シエルは今更ながら後悔した。しかし、同時に、ここで狼狽えてはいけないと思った。
(しっかりしなさい、私。皆さんのお役に立つと決めたんです。何か有益な情報を持ち帰りましょう。例えば、私の正体を盾に何を要求するか、とか)
「まさか。私は初めから君とのお話以外求めていないよ」
そんなシエルの思考を読むように、女神はにっこりと微笑んだ。彼女の前で隠し事は出来ないと悟り、シエルの肩は無意識に強張る。
「私を疑いたくなる気持ちもわかるよ。私は君が信頼するアドラに嫌われているからね。でも私は君を害するつもりはない。だから、ゆっくり茶を飲んで欲しいな」
意外と合成するの、意外と大変だったんだから。女神は大袈裟に息を吐くと、砂糖壺から角砂糖を二つ取り出した。琥珀色の紅茶に落とし、ティースプーンでゆっくりとかき混ぜていく。
しばらくして砂糖がすべて溶けると、女神は一気にそれを飲み干した。「毒なんか入ってないよ」本紫色が、言葉なく訴えてくる。
「わかりました」
シエルは恐る恐るティーカップに口をつけた。爽やかな香りが鼻いっぱいに広がる。
「……美味しい」
ぽつりと、そんな言葉が零れ落ちた。かつて王宮で親友と飲んでいた、懐かしい味だ。心なしか肩の力も抜けていく。
「そうだろう?」
女神は頬を緩める。その得意そうな表情が、シエルの緊張と警戒を幾ばくか解きほぐした。……やはり女神は悪い人ではないのかもしれない。
シエルはもう一度紅茶を口にする。琥珀色の水面に移る自分の姿は、
「女神さん」
シエルは
「あなたの知っている『真実』を教えてください。あなたはこの街で何が起こっているのか。誰が黒幕なのか、知っているのでしょう?」
問い詰めるように身を乗り出して、彼女の瞳を覗く。自分の思考がどこまで読まれているか。なぜ自分の正体を知っているのか、女神の全てが謎だらけだ。しかし、それでも神を自称する彼女が解決の糸口であると信じて、深く、深く、彼女の心の奥を探る。
「いいよ。何でも、偽りなく、教えてあげよう」
女神はスコーンを三つ純白の皿に取り分けて、笑った。
「ただし、条件つきだ。ただの説明じゃ面白くないだろう。ゲームをしよう」
「ゲーム?」
「そうだ。チャンスは三回。君は私に質問をする。だけど私はそれにイエスかノーでしか答えない。全ては君の頭脳にかかっているってわけだ」
「本当ですか?」
シエルが質問を重ねると、女神はクロケットクリームを塗りたくったスコーンを、口に運んだ。上半月状に目を細め、口角をあげる。
「イエス。あと二回」
今度はジャムの瓶を開け、女神は言った。
「今のってカウントされているんですか!? ちゃんとスタートって言ってくださいよ」条件反射でそう口走りそうになるが、シエルはあわてて口を覆った。貴重な回数を無駄にしてはいけない。ゲームはもう始まっているのだ。
シエルは口元に手を当てる。イエスかノーでしか答えないと言うことは、こちらからが具体的に質問しなくてはならないだろう。「真実を教えてください」などと抽象的に尋ねても、沈黙が返って来るだけだ。かといって、誘拐事件も「お父様」についても、知っていることは片手で数えられるほど。
故に。
「ヒュッレムさんを殺した毒を作った人、あるいは横流した人は、僕が名前を知っている人ですか?」
初心に帰って、毒について訊くことにした。たとえ女神の知る真実とやらに関係していなくとも、身近に危険な人がいることくらいは分かるだろう。願わくば、ノーと言って欲しかった。王宮での暮らしのように、親友と価値ある金品だけを頼りにして、実父にすら怯える生活はしたくないから。
しかし、彼女の願いを嘲笑うかのように、女神は言い放った。
「イエス」
ぱくり。マーマレードのスコーンが口の奥へと吸い込まれる。
「あと一回」
嬉しくない答えに、シエルは嘆息を漏らした。ヴァイマリアードに来てから日が浅いシエルだ。彼女が名前を知っている人と言えば、月部屋一門と、親衛隊くらいである。自分に良くしてくれる人が、裏で敵と繋がっていることに、心がチクリと痛んだ。
(でも、落ち込んでいる暇はありません。まだ一回、チャンスが残ってますから)
シエルは頬をパン、と叩く。
(毒と同じように、お父様についても尋ねましょうか。でも、私が知らない人だったとしたら? 何の成果も得られません。それよりも、誘拐された人々の居場所とかを教えてもらった方が……って、具体的には答えてもらえないんでした)
顔が次第に熱を帯びる。質問を考えれば考えるほど、目が回っていく。まるで出口のない迷路に迷い込んだ気分だ。何を尋ねればいいかわからない。考えられない。
(私は、子供だから)
シエルは思考を放棄して、目の前に積み上がっているスコーンに手を伸ばした。マーマレードの瓶を開け、割ったスコーンの面に塗る。無表情で口に運ぶと、クリームの濃厚さと、柑橘の爽やかさが口の中に広がった。
「おや、君も食べるのかい?」意外そうな顔をする女神と目が合う。
そして、シエルは気が付いた。
ああそうか。はじめからこう訊聞けば良かったんだ。
「女神さん。あなたは僕の味方見方に――友達になってくれますよね?」
なってくれますか、ではなく、なってくれますよね、と。まるで当たり前の事実を確認するように。咲き誇る花々に負けないよう、満開の笑みを浮かべて。白い椅子から腰を上げ、目いっぱい広げた手を女神に差し出す。
「イエス」
男装の麗人は可憐な少年の手を取ると、顔を綻ばせた。そして、指を擦り、弾く。
「これで質問は終わりだ。君の求めていた答えは手に入ったかい?」
柔らかな光があたりを包むと、優雅な庭園がほろほろと崩れ、生活感に乏しいモデルルームのような部屋が帰って来た。いつの間にか、女神は黒のカウチに座り、シエルは机を挟んで、彼女の目の前に立っていた。もちろんそこにはティーセットもスコーンもない。
「求めていたものかどうかは分かりません。それは僕だけでなく、月部屋の皆さんと一緒に決めますから。ですが、僕は女神さんと友達になれたから、それでいいと思います」
(友達だったら、対価もなくしてくれるかもしれませんし)
シエルがちゃっかりと現金なことを考えていると、女神はクスクス笑った。
「対価は貰うよ。不平等だから。でもそうだね……アリシエル。友として一つ、君個人に忠告しよう」
ふと、女神の顔が真剣なものになる。先程までの、考えが読めない飄々とした態度が消え、代わりに剣呑な雰囲気が彼女を纏う。
「君が『シエル』として過ごせる時間は、あまり長くはなさそうだ」
「……どういうことですか?」
「そこに雪の結晶が入っているだろう」
黒い手袋に包まれた長い指が、シエルのズボンのポケットを示す。男と言い張るににしては華奢な体が、びくりと跳ねた。
「君が探し求めているその鍵の本体は、既に他の者の手に渡っている。君が良く知る、『バン』という人間にね」
「バンって……あの?」
シエルの脳裏に穏やかに笑う彼の姿が浮かんだ。四角いフレームの眼鏡をかけた、理知的な青年。
シエルの直属の上司で、自分と妹が同い年だからと、何かと気をかけてくれる彼には、月部屋に入ってから何度もお世話になっている。時々毒を吐きながらも、月部屋の頭脳担当として、みんなに指示を出したり情報をまとめたりする姿は、とても悪い人には見えない。少なくとも、徴税官からシエルを守ってくれる程度には。
「偶然拾ったんじゃないでしょうか。だって、バンさんはいい人ですから」
「信じるも信じないも、君の自由だ。だけど彼には気をつけた方がいい。君が思っているよりも、周りは敵だらけだ」
「そんな……」
シエルは言葉を失った。いつものように、はにかんでみせようとしても、うまく口角があがらない。歪な四角形になってしまう。反論できないのは、女神が有無を言わさない口調で言い放ったからだろうか。それとも自分が女神よりうんと年下の、子供だから?
「教えてください、女神さん。バンさんは僕の正体を暴こうとしているんですか? 暴いて、僕を地上に送り返して、どうするんですか?」
「さあね。私は知らないよ」
「神様なのに? 奇跡を起こしてくれるのに?」
「アリシエル」
ふと、シエルの唇に柔らかなものが落とされた。わがままな言葉を塞ぐように、それは彼女を
「ここから先は対価を貰うよ。次はアドラにやったことと、同じことをする」
青色の少女から顔を離すと、女神はわざとらしく舌を出して見せた。対価の意味を理解して、シエルの顔が赤く染まる。今にも湯気を立ち昇らせそうに沸き立っていた。
「っの……」
シエルは小刻みに震える。そして、女神にツカツカと歩み寄ると、
「この、大嘘つき!!!」
赤い手跡がつくほど、白磁の頬を思いっきり叩いた。
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