手札
「それで、その話は本当なんだな」
ベッドの布団を跳ねのけてアドラは言った。
「うん。ぼく、どうしても『たいよう』っていうのを見たかったんだ」
アドラの向かい側に座る少年は目を伏せる。首をうなだれるその姿はまるで捨てられた子犬のようだった。しゅん、という擬態語が目に見えるようだ。
「なるほどねえ」
少年の話を聞き終えたアドラは天を仰いだ。座長特権で無理矢理取り付けたシャンデリアの光が目に入る。白とも橙色とも取れないそれは、アドラ、ズィヤード、シエル、バンのおなじみのメンバーに加え、当事者の少年と巻き込まれた元闇医者を平等に照らしていた。
ズィヤードとシエルが帰宅した直後。アドラから子供の話を聞いたバンは、ズィヤードとシエルに着替えるように指示を出し、代わりに子供を引き取った。アドラを治療――もとい、脱走を試みる彼を押さえつけていた元闇医者のボーイに診せたところ、少年の命に別状はないらしい。ただ、精神への影響は分からないため、カウンセリングが必要だそうだ。
だが、少年が目覚めたのを機に、診察と情報共有を兼ねてアドラの部屋に集まったのはいいが、話し合いは思ったよりも難航していた。
「つまり君は太陽見たさに地上に行きたかった。そんな時誘拐犯……ヒュッレムが現れて、君に『地上に連れて行ってあげるから、お父様のお手伝いをしないか』と取引を持ち掛けられた。そして、それに応じたらいきなり路地裏へ手を引かれた、と」
「うん。地上っていうから、ぼく、
シエルと繋いだ左手を握りしめて、少年は鼻水を啜る。五人の中でシエルが最も年が近い人であること、そして自分を助けてくれたのが彼女だったのもあり、少年はこの短期間でシエルにすっかりなついた。まるで母親に甘えるように、ずっと彼女の手を握りしめている。
そんな少年の頭をシエルはそっと撫でた。兄弟も年下の友達もいなかった彼女にとって、少年の存在は新鮮であると共に、母性本能をくすぐる愛おしい存在でもあった。
だからこそ、誘拐犯に対して怒りがふつふつと沸いていた。
「今までもこんな風に誘拐されていたんですね。小さい子を狙うなんて卑怯です。人の命を何だと思っているんですか」
「だけどそのヒュッレムってやつもズィーの前の前で死んだんだろ? 因果応報じゃねえか」
「そうですね。それでも……」
どこか憎みきれないのは、彼女があまりにも凄惨な死に方をしたからだろう。「お父様」に見捨てられ、死にたくないと叫ぶあの声が、シエルの耳にこびりついて離れない。
シャンデリア以外はいたって質素な雰囲気の部屋に、どんよりと重い空気が流れる。
「その『お父様』とやらは謎だらけだけどさ。俺には一つ分かったことがあるぜ」
アドラはベットから飛び降りると、中指をぴんと立てた。
「俺たちは一度あいつに、いや、あいつの部下に世話になってたんだ」
「もしかして『粛清』のお話の中で言っていたことですか?」
シエルがアドラを見上げる。
「そうだ。今回の奴らは、姉さんを殺した奴らと間違いなく同じだ。あいつらも姉さんを殺した後闇を見つめて『お父様』に話しかけていたじゃないか」
「では、今回の事件は『粛清』の続きであると?」
バンの鋭い視線がアドラに向けられた。アドラは自信満々に頷いた。
しかし、普段は彼にひたすら同調するズィヤードが珍しく異を唱えた。
「だがそれでは休戦協定と徴税はどうなる? 金を払う代わりに地上はヴァイマリに干渉しないという取り決めをしたと記憶しているが」
「成金お貴族サマはいつも自分たちの好き勝手にルール変えてんだろ。それで事後通告だ」
「たしかにそういう傾向はありますが、私はズィヤード君に賛成ですよ。その成金が大好きなお金を手に入れる機会を見逃すと思いますか? それに『粛清』の本来の目的はヴァイマリの住人を殺すことでした」
「あ、たしかにそれもそうだな。じゃあ、『お父様』の目的は何なんだ……?」
バンに指摘され、アドラはうーんと喉を鳴らす。その正解を持ち合わせている者は誰もいない。
その代わり、今まで壁の隅っこで黙りこんでいた元闇医者が手を上げた。
「オレは難しい議論とかよくわかんないんですけど、ヒュッレムっつう誘拐犯が気になりやすね」
「おや、アッシュ君。何か思い当たることでも?」
「思い当たるっつーか、おかしいんですよ、色々」
アッシュと呼ばれた元闇医者は目の下の隈をこすった。
「そいつは武器を捨てて、ズィーと殴り合ってたんでしょ。でも失血死した。人間の体にはだいたい体重の八%くらいの量の血液があって、成人だと一リットルも出りゃ死ぬんですけど、ナイフで刺しもしないでそんなに血って流れるもんですかね?」
「というと?」
「凶器は毒っつう可能性があります。ちと、待ってください」
元闇医者はふあああ、とめんどくさそうに欠伸をした。そして、白衣のポケットからタブレット端末を取り出すと、何かを操作し始めた。
しばらくして、全員の端末に着信音がした。シエルはメッセージアプリを起動し、アッシュの名前をタップする。送られてきたのは一枚の写真だった。真っ黒な、何かの布切れだろうか?
「今送ったのはヒュッレムが着ていた服の一部です」
シエルが質問するのを先回りして、元闇医者が答えた。
「さっき掃除班のダチが女の遺体死体を回収したらしいんで、なるべく血が染み込んでそうなところを切り取って貰いやした。オレは医学なら多少わかるけど、毒の鑑識まではできないんでそれ渡しやす。鑑識できる奴探すなり、さらに議論するなり好きにしてくだせえ」
「なるほど。毒の種類を特定して、入手経路を辿るのですね。もしかしたらそこに、一連の誘拐事件の犯人がいるかもしれません。ですが、アッシュ君は協力してくれないのですか? 可能でしたら、彼女を解剖していただきたいのですが」
「バンさんマジですか? どっかのわがまま座長に付き合わされて、夜通しで台本読まされてるんすけど。オレ、ボーイなのに!!」
元闇医者が恨めしそうにアドラを見つめる。アドラは苦々しく笑ったかと思えば、舌を出して、ウィンクを飛ばした。俗にいうてへぺろ――完全なる開き直りである。
「わかりました。そういうことなら、ひとまず解散しましょう。私たちはその子を帰さなくてはなりませんからね」
バンの視線がアドラから少年に移った。少年はきょとんと首を傾げ、眼鏡の奥の切れ長の目を見つめている。
「お兄ちゃんと一緒に、おうちに帰りましょうか。あなたのお父さんとお母さんは誰ですか?」
シエルがそう付け加えると、少年はさらに不思議そうな顔をした。
「パパとママはいないよ。ぼく、ニェンねえとバーバラねえとカザハナねえと、十人のきょうだいで住んでるの。『こじいん』って言うおうちに住んでるんだ。お兄ちゃんも、こじ?」
曇りのない澄んだ瞳がシエルの青を捉える。突如飛び出した親衛隊の名前に驚くと共に、シエルは申し訳ないような気持ちでいっぱいになった。月部屋という疑似的な家族内で暮らしているため忘れがちだが、やはりここは
しかし、安易に憐れんではいけないことを彼女は知っていおる。
「いいえ。孤児なのかどうかすら……。僕は、何も覚えていませんから」
シエルは胸いっぱいの申し訳なさを押し殺して、偽りの少年を演じた。
それからシエルたちは少年を孤児院に送り届けた。突然の
「夕飯後の争奪戦に巻き込まれないうちに二、三個拝借しましょうか」
バンがドーナツを手に取ると、通話越しのアドラがずるいと抗議した。オレの分がなかったら辞職しやすからね、と疲労困憊のかすれ声が追従する。元闇医者は今、どうしても外に行きたいと言うアドラを自室に押さえつけていた。
「これからどうしますか?」
そんな彼らの声を無視してバンはドーナツを取った。抹茶味だ。
「ヒュッレムさんの服の端を鑑識してもらうのはどうでしょうか」
バンから紙袋を受け取ったシエルが袋の中を見る。星屑ドーナツはなかったので、車道側を歩いていたズィヤードに回した。
「鑑識できる奴は月部屋にいたか?」
スパイシーレモン味を咥え、ズィヤードがバンの携帯を覗き込む。
「俺の記憶じゃいない」「オレも知りませんよ」
アドラと元闇医者が口をそろえて言った。
「なら、他に鑑識できる人をさがしますか。得体の知れぬ『お父様』を探すより、ヒュッレムの死因から何かわかる気がします」
「ズィー、君は誰か心当たりは?」
「いない」
「あーじゃあだったら神に聞きゃ良んじゃないんすか?」
ふと、終わりの見えない会話に元闇医者が会話に割り込だ。「神」。この二十二世紀におおよそ相応しくないその単語に、シエルは首をひねる。先の大戦を機に、ノーランディア王国は争いの火種となる宗教を捨て、代わりに生産性のある科学の発展を選んだずだ。時代遅れの存在に今更何を問えと言うのか。
しかし、シエルと押し黙る幹部たちに対し、元闇医者は「今思いついたんすけどね」と前置きしてから話を続ける。
「オレも詳しくはしらないんですけど、ヴァイマリには『神』がいるって噂をこの前きいたんすよ。概念じゃなく、物理的に。なんでも対価を渡せばどんな奇跡でも起こしてくれるらしいっすから、案外丸っと解決できるんじゃありやせん?」
「そんなに簡単に解決できるんでしょうか」
「さあ? でも何もしないはマシでしょ」
元闇医者と電話越しのやり取りをしながら、シエルは脳内に髭を蓄えた白髪の老人を思い浮かべる。神と名乗るのだから、やはり不思議な力が使えるのだろう。綿菓子のような雲に乗り、ふぉっふぉと笑っていそうだ、と彼女は思った。しかし、それでは神というより仙人ではないでしょうか? とも遅れて気づく。
一方で、和気あいあいとした会話をしている二人をよそに、月部屋幹部たちの表情は暗かった。
「もしあの人のところへ行くならアドラさんが行ってください」
先に口を開いたのはバンだった。
「この前俺が行っただろ。バンが行け」
「私では力不足ですよ。それに、彼女も私よりあなたの来訪を心待ちにしています」
「もっともらしいこと言ってんじゃねえよ。それにあいつが何を要求するかわかってんのか? 俺だって何されるかわからない」
「キスまでした仲なのに?」
「き、キス!?」
思わぬ爆弾発言だ。シエルがバンを見上げると、彼は「本当ですよ」と柔和な目をした。瞬間、シエルの脳裏に老人とアドラが唇を重ね合う光景が浮かぶ。
「誤解だシエル。断じて、断じて好きでやったわけじゃないからな!? 対価に求められたんだ!! それにあれは演技だ!」
アドラは元闇医者から携帯電話を奪い取った。つんのめるようにして、一語一語バンの言葉を訂正していく。スピーカーモードにしているため、シエルから彼の表情は見えないが、慌てふためくその姿が目に浮かんだ。
「恨むぞバン。俺の黒歴史を晒しやがって。罰として行ってこい」
「拒否します」
「座長命令だ! いいから行け! 俺は病人だぞ」
「都合の良いときにだけ体調不良を持ち出さないでください。ああ、でも……」
ふと、バンの目がすっと細まる。彼は唇をにっこりと上げて、電話越しのアドラに取引を持ち掛けた。
「ゲームに勝ったら行ってあげますよ。そうですね、大富豪にしましょう。あなたはかつて富豪たちから財を盗み、地に落とされましたから」
「何の皮肉だよ。てかなんで勝手に決めてんだ。
「ズィヤード君にべったりな我儘座長はアドラさんの方でしょう。ああ、それとも可愛いだけが取り柄のアドラちゃんは負けるのが怖いと?」
バンがそれはもうわかりやすく挑発する。いくら血が頭に上りやすいアドラとは言え、普段の彼ならばここで引くだろう。月部屋のブレインに頭脳戦を挑むほど馬鹿ではない。
しかし、今の彼は自分の黒歴史を蒸し返されたのがたまらなく恥ずかしかったようだ。
「いいぜ、やってやんよ。帰ってきたらひねりつぶしてやる」
電話越しに、アドラはバンに威勢よく宣戦布告する。近くにいた元闇医者が冷たい視線を送ったが、鼻息を荒くしたアドラは気づいていなかった。
しかしその勇ましさも虚しく、というか案の定。アドラは手元に十枚以上のカードを残してバンに負けた。革命や八切りを何度も起こされ、見ている観客も胃が痛くなる程の惨敗だった。とあるボーイ曰く、「サディスティックに笑うバンはまるで悪魔そのものだった」そうだとか。
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