星屑
商店街は月部屋から車で三十分ほど走った所にある。
「買った物を積み込むため、今日はバイクではなく軽自動車で行く」。出発前、ズィヤードにそう言われ助手席に座ったシエルだったが、気が付くと「ふわあ」と欠伸を漏らしていた。ズィヤードは元々口数が少ない無口な青年だが、誰かから話を振られない限り話さないらしい。音楽もかけずにハンドルを握り、渋滞気味の道路を見据えている。
シエルは褐色肌の青年をちらりと見上げると、片手で口を覆った。
(そういえば今までズィーさんと直接話したことはあまりありませんね。このまま寝るのはもったいない気がしますし、何か良い話題はないでしょうか)
そうは言っても、咄嗟に共通の話題など思いつくわけがない。シエルはズィヤードの好きなものも嫌いなものも知らない。そもそもズィヤードとは同じボーイであるということ以外接点がないのだ。だが、彼は普段アドラの護衛という特殊な仕事をしているので、シエルが公演のチケットをさばいているときでさえも、目が合えば会釈をする程度である。直属の上司であるバンや、何かと面倒を見てくれるアドラの方が、よっぽど人柄を知っている。
(ズィーさんはずっとアドラさんと一緒にいますよね……あっ)
そこまで考えたところで、シエルは思い出した。そういえばずっと気になっていたことがあったのだ。日々の仕事や親衛隊との付き合いですっかり忘れていた、この違和感。
シエルは居住まいを正し、口を開いた。無音の空間に「あの」と遠慮がちな声が落ちる。
「何で月部屋は男性しかいないんですか?」
それは初めてアドラの公演を始めて観見た後に抱いた疑問だった。
アドラ曰く、月部屋は男性のみで構成されている劇団である。アドラ以外にも女性を演じる役者がいるので公演に支障はないらしい。だが、だったら初めから男女混合でも問題はないのではないか? むしろそうした方が性別を偽るアドラたちの負担も少なくなるはずだ。
そんな今更過ぎる質問に、ズィーはたらたらと車を走らせながら答えた。
「昔血みどろの争いがあったからだ」
「え!?」
思わぬ答えに、シエルは素っ頓狂な声を上げた。
「血みどろって何があったんですか? まさかまた地上との争い、なんてことは……」
「違う。あれは完全にアドラを巡った月部屋内での戦いだった」
「アドラさんを……? アドラさんが何かをしたんですか?」
ますます訳が分からなくなる。シエルの頭に疑問詞が三つ浮かぶ。
ズィヤードは傍らに座る少女を一瞥すると、少し悩んだ後に語り出した。
「先頭集団『
「女性の方々は大丈夫だったんでしょうか。でも、アドラさんが動かないなんて珍しいですね」
「ああ。当時のあいつは『演技でなら言葉も体も貸してやるが、
「なるほど。ちょっと意外ですけど、月部屋の事情は分かりました。じゃあ、ズィーさんの仕事がアドラさんの護衛なのは、恋愛関係のいざこざから守るためですか?」
「半分はアドラわがままが理由だが、おおむねそれで間違いない」
「わかりました。ありがとうございます。大体わかりました」
そう言うとシエルはにっこりと笑った。それと同時に、やはりズィヤードは亡き親友に似ていると思った。守る理由は違えど、彼女もまたずっと大切な人の傍にいたのだ。そう思うと胸に温かい気持ちがじんわりと広がっていく。
「他にも何かあれば、この機会に質問すればいい」
ズィヤードはアクセルを踏み込んだ。
「俺も自分が知っていることなら説明できる。アドラやバンさんも快く答えてくれるはずだ」
車は十字路を右折し、大通りの裏側に抜ける。目が痛くなるような蛍光黄色の文字を映し出したモニターたちが、お辞儀をするかわりにチカチカと瞬いた。歓楽の二丁目と呼ばれる――噂の商店街だ。
「じゃあ早速買い物しがてら色々教えてください。ズィーさんの好きなものも、嫌いなものも、趣味も、たくさんです」
「……俺の?」
「はい。だって、同じボーイなのに僕はズィーさんのことをあまり知りませんから。違いますか?」
青色の少女は助手席から身を乗り出した。黄金の瞳に映る彼女の青い目は、夜空の星々を閉じ込めたように輝いていた。
ズィヤードは唇をわずかに緩めた。
「わかった。答えられる範囲で答えよう」
立体駐車場に車を止め、商店街をぐるりと一周した後。シエルとズィヤードの両手は大量のビニール袋でふさがっていた。買い物がてら「ヴァイマリアードの住民が消える理由に心当たりはあるか?」とも尋ね回ってもみたが、店員たちは皆そろって首を横に振った。手がかりなしである。
しかし、シエルがズィヤードのことを知るためには十分な時間だった。
矢継ぎ早に繰り出されるシエルの質問に、ズィヤードはひとつひとつ丁寧に答えていった。
アドラとは十年前に出会ったこと。香辛料の効いた料理が好きで、たまに調理班に混ざってみんなの食事を作っていること。アドラのわがままに付き合っているうちに、ズィヤードは機械の整備や改造が得意になったこと。実はお化けや妖怪の類が苦手なこと。そして、ノーランディア王国からはるか遠く離れた、南の地域出身であること。
それらを聞くたびに、おぼろげだったシエルの中のズィヤード像がはっきりと形を成していった。こころなしか、彼との会話も弾んでいるように思え、シエルはすっかり上機嫌だ。思わず、いつか親友から教わった歌を口ずさんでしまう程度には。
「これからどうしますか? 一応、頼まれた物は全部買いましたよね?」
メモに書かれた最後のチェックボックスに印をつけると、シエルは左隣を歩くズィヤードを見上げた。
「このまま帰っても良いが、中途半端な時間だ。シエルはどうしたい?」
ズィヤードは現在時刻時間が映し出されたホログラムを表示する。見れば、数字が五十九からゼロに変わり、時刻は丁度十五時になった。夕飯まであと三時間ある。
「そうですね、一旦荷物を置きましょう。それから一丁目の
「何か思い当たることでもあるのか?」
「ええと。なんていうか、気になる物があった気がして。多分僕に関わることだとは思うんですけど。そう、例えば僕の記憶について、とか……」
シエルは目を泳がせる。我ながら抽象的すぎる理由だと彼女は思った。言い訳にしてはあまりにもお粗末だ。バンがここにいたら、間違いなく詳しく話せと言われていただろう。
しかし、ズィヤードはそんな彼女の態度を言及せずに、短く「ああ」と頷いた。ちらりとその表情を伺えば、別段変わった所もない。シエルはほっと息を吐くと、心の中で優しい彼に心の中で感謝した。自然と足取りが軽くなり、改めて商店街をぐるりと見渡す。
月部屋一門御用達の仕立て屋に、なぜかトマトスープしか売らない缶詰屋。温室栽培された遺伝子組み換え作物を売る食品店、値段が時価だという雑貨店。蛍光ピンクの看板を背景に、女装したアドラ顔負けの美人が客引きをする店はそういう店である。ヴァイマリアードにはよくあるものだが、温室育ちのシエルは咄嗟に目をそらし、何も見なかったことにした。
そんなネオンの世界の中で、シエルはある名前を見つけた。行きはメモばかり見ていたので、きっと見落としていたのだろう。
「ドーナツ……」
懐かしい響きを口にすると、隣から静かな低音が返って来た。
「小麦粉に卵や砂糖を加えた揚げ菓子だな。ヴァイマリでは有名なおかしの一つだ。知らないのか?」
「いえ、そういう訳ではなくて……」
(カーネリアンがくれましたから)
シエルの脳裏に柘榴石の彼女が浮かんだ。王女の剣にして、たった一人の友達。毎週木曜日の十三時にやってくる近衛騎士は、しばしば従者に内緒でおやつを持ってきた。「王宮から出られないシエルに民の暮らしを理解してもらう」というのが表向きであるが、実際はふたりだけの秘密のお茶会である。シエルが出したお世辞にも美味しいとは言えない渋い紅茶の味を紛らわすため、カーネリアンが作った吐くほど甘いドーナツをお茶うけにし――。
「シエル?」
自分の名前を呼ばれ、シエルははっと我に返った。どうやらいつの間にか亡き友人との思い出に浸っていたらしい。
「ええと」
シエルが適当な言葉を探していると、不意に両手が軽くなった。ズィヤードが、彼女の持っていた荷物を引き受けたのだ。
「気になるなら買いに行けばいい」
「いいんですか?」
「時間にはまだ余裕がある。ここから一丁目に行くのには十分もかからない」
「ならズィーさんも一緒に来てください」
「問題はないが……」
一体なぜだ? とでも言いたそうにズィヤードは不思議そうに首を傾げる。
しかし、シエルはその問に答える代わりに褐色の手を取った。
「さ、行きましょう。ドーナツが逃げてしまいます」
「早々に売り切れないと思うが?」
「僕の心の問題です」
シエルははにかんで頬を赤らめた。照れ隠しと言わんばかりに、早足でアスファルトの坂道を上る。一歩看板に近づくたびにバターの豊かな香りが胸いっぱいに広がった。食欲を刺激する、恋しい匂いだ。
「うわあ。色々な種類があるんですね」
坂を上り切り、看板のシールから読み取ったメニューデータを見て、シエルは目を見開いた。ざっと数えて二十種類以上。プレーンやチョコレート味と言った定番のものから、エナジードリンク味など変わり種まである。立体ホログラムとして映されるのドーナツはどれも美味しそうで目移りしてしまう。
「ズィーさんはどうしますか? 僕はマンゴーにしようと思いますが」
シエルはくるりと振り返ると、ズィヤードの目線の高さに合わせて、メニューをスワイプした。
「俺のことは気にしなくていい」
「あ、もしかして甘いものは苦手ですか? そういえば辛い物が好きだってさっき教えてくれましたよね」
「いや、そうじゃない」
申し訳なさそうにうなだれるシエルに、ズィヤードは首を振った。
「選べないんだ」
「あ、わかります。どれも美味しそうですもんね。でも、ズィーさんさえよければ僕と半分こ――」
「違う。俺には何を選べば正しいのか、わからない」
シエルの言葉を遮って、ズィヤードはきっぱりと言い放つ。一丁目の喧噪から隔離するように、ふたりの間に寂とした帳が下りた。
「俺は誰かに命令されていたり、あらかじめ解を用意してもらったりしなければ動けない。いつもはアドラが決めてくれるが、今ここにあいつはいないだろう。そして俺は『どのドーナツを食べれば良いか』という解を持ち合わせていない」
「ズィーさんは難しく考えすぎですよ。メニューを見て、これだって思うものを選べばいいと思います」
「しかしそれでは正しい答えにいつまでたってもたどり着けないだろう。正しい選択でなければ意味がない」
「そんな……ドーナツですよ?」
味の好みに正しいも何もないじゃないですか。そこまで言いかけて、シエルは言葉を飲み込んだ。平行線上の議論に嫌気がさしたからではない。珍しく饒舌なズィヤードに驚いたからでもない。
いつもは大樹のようにどっしりと構えている彼が、わずかに震えていたからだ。まるで、見えない何かに怯えるように。
「わかりました」
そう言ってシエルはホログラムを閉じると、つま先に力を入れてうんと背を伸ばした。なるべくズィヤードと同じ目線になるよう、高く、高く。
「じゃあこうしましょう。僕がズィーさんのドーナツを選びます。その代わりにズィーさんは僕のドーナツを選んでください」
「俺が、シエルの……?」
「はい、そうです。ちなみに僕はスパイシーレモンを選びます。甘くなさそうだけど、名前的に香辛料が効いてそうじゃないですか。ズィーさん、香辛料が好きってさっき教えてくれまでしたよね?」
再びホログラムを表示し、シエルは黄色いドーナツをカートに入れる。指紋認証で料金を払えば、数分後に店員に呼ばれるかドローンが届けてくれるという仕組みだ。
「どうしてそんなことをする?」
ズィヤードはドーナツの到着を心待ちにする少女を、訝しげに見つめた。
「僕のわがままです。今日、僕はズィーさんについて色々なことを知りました。過激な話もあったけど、知れてうれしかった。だからズィーさんにも僕のことを知って欲しいんです。知ってますか? 美味しいものは人と分けて食べたほうがもっと美味しくなるんですよ」
だからほら、ズィーさんも早く選んでください。シエルはウィンドウをメニュー画面に切り替えると、ズィヤードにそれを押し付けた。
ズィヤードは未だに困惑していた。彼の記憶ではシエルは控えめな少女である。皆と共に仕事をしようという意識は高いし、やる気や積極性も申し分ないが、アドラのように自分の意見を押し通しはしない。人を導くというより、どちらかというと人に寄り添うタイプだと記憶している。そんな彼女が、今日はやけに押しが強い。
しかし、嫌かと問われればそうではなかった。むしろ逆だ。今までアドラとバン以外とは深くかかわりを持とうとしなかったため、ズィヤードに踏み込んでくる相手は少なかった。それで特に問題はないと思っていたが、物寂しさを感じていなかったと言えば嘘になる。そんな自分を知りたいと言ってくれた新しい「友達」が、十歳近く離れた少女というのは新鮮だが、ここはヴァイマリアードだ。地上の常識が通じない、享楽の街であると思えば納得出来るかもしれない。
「わかった。なら、選ばせてもらう」
ズィヤードは差し出されたメニュー表をじっと眺める。そして、目の前の少女とドーナツを照らし合わせた。
(プレーンはいつでも食べられるので却下。シエルはイチゴジャムよりマーマレードを好むためイチゴも却下。全面チョコレートは溶けて手につく可能性が高いので却下……)
脳内でメニュー表にバツ印をつけていく。シエルのように一発で選べないので、消去法で対処するがどうにもスピードが遅い。その間にもスパイシーレモンドーナツは出来上がったようで、シエルは店のカウンターへと走っていった。
(他人のものとはいえ、常に誰かから与えられるだけの俺に、やはり何かを選ぶことなどできないのでは?)
ズィヤードが諦めかけた、そのときだ。自分にドーナツを差し出すシエルを見て彼は思い出した。
そういえば、車の中で自分のことを教えろと言った彼女の目は、夜空に瞬く星々のように煌めていてきれいだったことを。
「シエル。俺はこれにする」
ズィヤードが選んだドーナツは、青いシュガーコーティングの上に、黄色いカラースプレーが散りばめられたものだった。
「わあ。星屑ドーナツですね! 可愛いです。選んだ理由を聞いてもいいですか?」
「あんたの目みたいにが綺麗だと思ったからだ。いつもの澄んだ青色も見ていて気持ちがいい色だが、車内で俺のことを教えてくれと言った時のは特に美しかった」
「ズィーさん……」
シエルは目を丸くした。と同時に、体の温度が上昇して行くのを感じた。青髪の少女の頬ははじめは桃色に、しかし徐々にさくらんぼ色に色付いていく。
「ズィーさんって意外とロマンチストなんですね」
「そうか? 機械的、無機質、他人に興味がない人、とは評価されていることは多いが、そういう風に言われたのは初めてだ」
「本当に人に興味がないなら、僕の目をそんな風に観察してはいませんよ」
シエルは目を細めて笑う。そんな彼女につられるように、ズィヤードはゆっくりと、しかし確かに彼女の前で初めて、笑った。
それは全てを見守るような、優しい微笑だった。
「これを食べたら一丁目に行こう。用事があるんだろ?」
ズィヤードは青色のドーナツをカートに入れる。シエルは嬉しそうに「はいっ」と笑った。
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