円環

「さて、騎士団の奴らからに課された三億円だがな……」


 シエルとバンがアドラを囲む円環に加わると、アドラはおもむろに口を開いた。目を光らせ、顔を引き締める彼の表情にシエルは固唾を呑む。窃盗、薬物売買、あるいは――殺人。口にしたくはない言葉が次々と心に浮かんだ。だが、それと同時に「どんな仕事でも目を背けはしない」という強い思いが心の底から湧き上がった。


王宮かんごくから抜け出してきた身とはいえ、それが、自分が、かつての王族が犯した罪への償いになるならば。は決して逃げません)


 そんな彼女の決意が伝わったのだろう。


 アドラは真っ直ぐシエルの青い目を見据え


「実は今すぐにでも払えるんだよね〜」


とあっけらかんと言った。けろりと。平然と。まるで今日の朝ごはんの献立を伝えるように、何事もなく。


「え、ええええええええええ!?」


数秒遅れて、シャンデリアが輝く空間に、甲高い声が響き渡った。


「どういうことですか。だって、三億円ですよ? 三億、三億!」


ツカツカと革靴がホールに打ちつけられる。シエルはうんと背伸びをして紫水晶の瞳を覗き込んだ。いや、ほとんど睨みつけていた。


 慌てふためく彼女に、アドラはやれやれと肩をすくめた。


「言っただろ。何億円でも払ってやるって」

「調達先の当てはあるんですか。きっと僕らは危険な仕事をしなければならないのでしょう?」

「シエルは何を勘違いしてんのさ。あるにも何も、既にそれなりの額は手元にあるよ」

「ええ?」


シエルは怪訝そうに眉をひそめた。意味がわからない。あどけなさが残る顔に正直にそう書いてある。


 しかし、シエル以外の月部屋一門は皆アドラと同じように鷹揚に構えていた。それどころか、シエルの反応が新鮮だと言わんばかりに目を三日月型に釣り上げている。


「こう見えて月部屋の資金は潤沢なんだよ」


口元を緩ませながら、シエルの真正面にいた青年が言った。


「手元にあるので十兆円。預けてあんのも含めると……確か百兆円だったか?」

「はっきりいって国家予算並みだな」

「三年前くらいに株価を操作して儲けたんだっけ」

「そういやこの前も役者連中がカジノでカウンティングしてたな」

「それだけじゃないよ。我らが座長、麗しきアドラちゃんが女優業だけでなくアイドルやったり裏稼業で儲けたりしているだろう?」


青年の発言を皮切りに、ホールに次々と言葉が飛び交う。さらっと危ない発言が混じっていたが誰も気に留めないようだ。


「あいつらの言うことは全部本当だぜ?」


ふと、隣でははっと笑う声がした。見上げてみれば、シエルの隣には徴税官相手に啖呵を切った張本人、アドラがいた。


「黙ってたのは謝るよ。でも、もしうっかり徴税官の耳に入ったらもっと金を巻き上げられるだろ? そうしたら地上の成金風情がもっと潤っちまう。わかるか?」


アドラがシエルの頭を軽く撫でる。引き締まったその表情に、シエルはただ頷くしかなかった。


 「それよりみんな。俺は三億円云々より気になることがあるね」


男たちが地上相手に金を巻き上げた自慢を披露し合った後。再び円環に囲まれるようにアドラは、やや足を引きずりながら前へと進み出た。


「気になることですか?」

「その、……『粛清』だよな」


シエルの質問に、彼女の隣に立っていた男が神妙な面持ちで答える。だが、その解答を否定する柔らかい声があった。


「それも忘れてはいけませんが、今は違いますね。私が思うに、『アリシエル王女誘拐事件』が彼の気がかりなのかと。違いますか? アドラさん」

「ご名答。さすがはバン。月部屋のブレインは伊達じゃないな」


アドラがにっこりと微笑みを返す。


「今バンが言った通り、俺は『王女誘拐事件』が気になる。なあ君たち。誘拐、もしくは謎の失踪と聞いて心当たりはないか?」


紫色の視線がぐるりと一周、月部屋一門を駆ける。


 誰もが沈黙を貫く中で、ソファ付近にいた青年がはっと声を上げた。


「そういえば最近やたらとヴァイマリから人がいなくなるな。そういやこの前だって受付のニアがいなくなった!」

「そういうこと。俺もあいつは元ヤク薬中だから、またどっかで薬買ってスパスパやってると思っていた。でも、それにしては帰って来るのが遅いと思わないか? まあ受付は新しくシエルを連れてきたから問題ないけどさ」


アドラに急に名前を呼ばれ、シエルはびくりと肩を震わせる。


(このまま自分の正体に気が付かれたら厄介です。なんとか話をそらさないと)


そう思った彼女は曖昧に笑って、「何人くらい消えたんですか?」と尋ねた。


「私が知る限り、姿が見えないのが七名ですね」


バンが眼鏡のフレームをくいっと持ち上げた。しかし、シエルはその言葉に引っ掛かりを覚えた。


「『今』ってことは、昔も失踪してたんですか?」

「ええ。ですが正確には『失踪していたが帰った来た人』が多数いるのです」

「バンの言う通りだ。だけど帰って来た奴らはみんな揃って記憶が抜け落ちててさ。誘拐された時のことはもちろん、ヴァイマリでの暮らしも、自分が何の罪で送られてきたかもわからないんだ。かろうじて日常生活の仕方と自分の名前を覚えているって感じだな」


バンの説明にアドラが付け加える。なるほど、とシエルは思った。だから出会った時に「実は僕、自分の名前以外何も覚えてなくて」と言っても、アドラたちは驚かなかったのだろう。あれは咄嗟に答えた、完全なでまかせだったが、なんだか救われた気がする。


「だから俺はヴァイマリの仲間をさらった奴と、王女様を誘拐した奴が同じだと思ってる」


語気を強めて、アドラはきっぱりと言った。


「地上と最下層ヴァイマリじゃ色々違うってことは分かってるけどさ、これはチャンスだと思わないか? 王女様を捜すことが仲間を取り戻すヒントになるかもしれない。もし俺たちが王女様を見つけたら、地上の連中も少しはヴァイマリを見直すかもしれない。君たちはどう思う?」


アドラは月部屋のメンバー一人一人を見据えて問う。しかし、ある者は視線をそらし、またある者は苦虫をかみつぶしたような顔をした。


 どんよりとした静寂を破ったのは、意外にも、それまでずっと沈黙を続けていたズィヤードだった。


「それが命令だと言うなら従おう。あんたの命令なら俺は何でもやる」


ズィヤードは円環から一歩踏み出してアドラの隣に並んだ。そのまま己の肩を指さし、自分より十cm以上背が低い青年を抱き寄せる。ズィヤードの言葉足らずの気づかいに気が付いたのだろう。アドラはズィヤードの肩に腕を回すと、「ありがとな」と体重を預けた。


 しかし、月部屋のナンバーツーである男の表情は暗かった。


「かも、かも、と随分不確定要素の多い話ですね。それに地上嫌いのアドラさんにしては珍しい。王女様を探すと言うことは、あなたの大嫌いな王族を助けると言うことですよ」


メガネの奥の切れ長の目がすっと細まる。うっと言葉に詰まる声が中心から聞こえた。


「確かに王族は嫌いだ。だけどそれ以上に俺は仲間を助けたい。あいつらを取り戻したいんだ」

「その仲間がどこにいるかもわからないのに? 下手に動いたら地上に目をつけられる可能性もありますよ。むしろその方が高い。シエル君ではありませんが、当てはあるのですか?」

「それはそうだけど……でも何とかするって!」


その言葉とは裏腹にアドラは視線を彷徨わせた。いくら考えてもバンに反論できる根拠は持ち合わせていなかった。やはり粛清時代に作戦を立案していた男は侮れない。意気軒昂な青年はがっくりとうなだれる。


 だが、その詰問はアドラが思っていたよりも速く終わった。


 他でもなく、バンが柔らかな声で諭したからだ。


「アドラさん、顔を上げてください。そう落ち込む必要はありません。私はあなたの意見に反対とは一言も言っていませんよ」


バンはフレームの位置を微調整すると、にっこりと笑った。


「誤解を招く言い方で申し訳ありませんでした。私はむしろあなたの意見に賛成ですよ。私も妹と離れ離れになってここにいます。家族と再会したい気持ちは誰よりも理解しているつもりです。ですが、あなたはいささか早計すぎるきらいがあるでしょう?」


穏やかな青年の口から毒を含んだセリフがさらりと漏れる。アドラはまたぐうの音も出なかった。しかし、不思議と先ほどのような焦りは感じなかった。それはバンが続ける言葉をアドラが予想していたからだろう。


「だから私もあなたの王女様探しとやらに協力しますよ。あなたが突っ走る分、私が考えればいい。これまでも月部屋はそうやって回ってきましたから」

「バンさんとズィーだけじゃないぜ。俺も協力する」


バンの隣に立っていた青年がアドラの元に駆け寄った。


「俺はこのとおり特別見た目も頭も良くないが、月部屋一門のためにならなんだってやるぜ」

「僕もそうしようかな。人手はあるに越したことはないでしょ?」

「ならオレも」


それまで押し黙っていた男たちが次々とアドラの元に集まる。大きな円環がほろほろと崩れ、アドラ、ズィヤード、バンを中心に、新たな小さな円を作った。


 「シエル。君はどうする? 強制はしないから安心しな」


アドラはほとんど意味をなさなくなった大きな円環に取り残された少女に目をやった。


「僕は……」


シエルは口元に手を当てる。正直、月部屋の仲間を探すことは彼女の利益には決してならない。それどころか、「シエル」として暮らしていける時間や年月を削るだけだ。


 しかし、王女誘拐事件の真相は徴税官の妄想とはかけ離れているわけで。うまい具合にシエル自身が誤魔化せば問題ないはずなので。何より――


(仲間を思うみなさんの力に少しでもなりたいですから)


「はい。僕も先輩探し、頑張ります!」


明るい声がホールに反響した。


 「よし。それじゃ決まりだな。とは言ってもまだ何もわかんないから、とりあえず各自外に出て何かあったら報告してくれ。それでいいか?」


アドラがバンに視線を送る。バンは少し考えた素振りをすると、「ええ」と短く答えた。


「ただし、アドラさんは外出禁止です。病み上がりは大人しく寝ていてください。色々とお話ししたいこともありますので」

「……わかった」


にっこりと有無を言わさない笑顔をシエルに向けられてアドラはしぶしぶと頷く。これは後で長々と説教させられそうだな、と彼は肩をすくめた。


 そんな彼らの傍らで「アドラ」と親友の名を呼ぶ低い声があった。


「俺は何をすればいい? あんたの介抱か?」

「いや。ズィーは外に出てくれ。今は少しでも情報が欲しい」

「ついでに買い物も頼まれてくれると助かります。少々缶詰めの類の量が不足しているのです。必要なものをメモしますから――」

「それなら、僕にも行かせてください!」


シエルは小さな円環の中心に割って入った。ホログラムのキーボードを叩いていたバンの指が止まった。


「シエル君? 珍しいですね、あなたが自分から何かしたいと言うなんて」


バンは不思議そうにシエルを見つめる。


「そ、そうですか? 僕も役に立ちたいんです」


シエルはなるべく不自然にならないように笑った。「本当は自分が落としただろう鍵を探しに行きたいだけです」などとは口が裂けても言えなかったからだ。


「別にいいんじゃねえの? さっきも言ったけど情報が欲しいし、ズィーが一緒なら安全だと思う。ズィー、頼めるか?」


アドラは黄金の瞳を覗く。


「それは命令か?」

「ああ。二人で協力し合え。そして何があってもシエルを守れ」

「了解した」


ズィヤードはアドラの腕を解くと、軽々と彼を抱きかかえた。そのまま階段の方へ足を向け、赤いカーペットを登っていく。どうやらアドラを部屋に置いてから外へ行くようだ。


 その間にシエルはバンから買い物リストを受け取った。ヴァイマリアードの商店街はざっと案内されただけなので、少女は頬にえくぼを浮かべた。

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