幕間

青の記憶『子供』

毎日の勉強は難しくて、お仕事も退屈で、正直今すぐにでも逃げ出したいくらい憂鬱だけど、木曜日の午後だけはほんのちょっとだけ楽しみだ。なぜなら――


「王女殿下。失礼します」


十三時きっかり、執務室の扉がかちゃりと開いた。は外国語がびっしり表示されたタブレットから顔を上げ、凛とした声が聞こえた方向に目を向ける。

 私と同じ髪色のマントに、この国のシンボルである雪の結晶のブローチが付いた隊服。腰から舞用の飾り剣を下げた、私より少し背の高い少女は、思った通り大好きな私の友達だった。


「カーネリアン! 待ってました!」


私はタブレットをスリープモードに切り替え、彼女に駆け寄った。そのまま力いっぱい抱きしめると、ふわりと石鹸のいいにおいがする。


「殿下。第一王女たる者が臣下の前ではしたないですよ」


柘榴石ガーネットの瞳がわずかに細まった。カーネリアンは私の乳母子なので、他の使用人や騎士たちに比べ遠慮がない。でも、義姉妹だからこそわかる。この目は怒っているのではない。ちょっと照れているのだ。


私は彼女から手を離し、ぽりぽりと頬を掻く。


「一週間ぶりですから、嬉しくて」

「そうですか。一週間なんてあっという間だと思いますが」


カーネリアンは声のトーンを変えずに淡々と言う。だけど、その淡々とした言葉とは裏腹に、彼女の頬がほんのりと赤くなっていることのを私は見逃さなかった。カーリアンは昔から素直じゃないのだ。


 私は部屋に控えていた使用人たちに「さがっていい」と手で合図をする。白いエプロンをつけた彼女たちは、皆同じように腰を四十五度に斜めに曲げると、長い紐を翻しながら出ていった。


 「なにあれ子供っぽい」。入り口付近で誰かが吐き捨てるように言った。

 

私は顔を項垂れて、聞こえないフリをした。自分でも子供っぽいってわかっているから。自分が次の王様にふさわしくないことくらい、知ってるから。


 でも、カーネリアンは違ったらしい。わざと彼女たちに聞こえるようにわざと咳ばらいをすると、私の頭を優しくなでてくれた。

「ああいう輩はすぐ解雇されますから」。なんて、赤い目が物語っている気がする。


 日々の鍛錬のせいで彼女の手は豆だらけで硬いが、私は誰よりも温かいその手が好きだった。


 「それで今日は何をいたしましょうか」


私が再び椅子に戻ったのを確認すると、カーネリアンは口を開いた。


「私、また外のお話が聞きたいです」

「そう言うと思いました。一応、この時間は殿下に護身術を身に着けていただく時間なのですが」

「いいじゃないですか。だって、カーネリアンは私だけの剣。いつでも私のことを守ってくれるのでしょう?」


私は彼女が腰から下げているた舞剣を指さす。


 だけど、返って来たのは「ええ、まあ」という曖昧な返事だった。カーネリアンにしては珍しく歯切れが悪い。


「実は……そのことでお話があります。本当はもっと早く言うべきでした」


そして彼女は意を決したように、私の青色の瞳を見つめた。


「アリシエル・ドゥ・ノーランディア王女殿下。私はかつて七つの頃に、貴女の近衛騎士として一生この身をささげると誓いました。ですが、その誓いを果たせそうにありません。理由はこちらです」


何故、と私が質問するより早く、カーネリアンは腕時計の形をした端末を操作した。ほどなくしてピロンと私のタブレットに一通のメッセージが届く。


 そして、私は画面に映し出された文字に目を疑った。


「対モルニィヤ帝国地上奪還作戦」。昨年ノーランディア王国に大勝した東の大国の名前がそこにあったからだ。


「戦争に行ってしまうのですか?」


私の声は、自分でも驚くほど震えていた。


「はい。初陣になります」

「カーネリアンは私の近衛騎士です! 近衛騎士は王族の身辺警護が任務だと聞きました」

「それについては後任の者を後でご紹介します。私より一つ歳が下ですが伯爵家出身の者です。品性に問題はありません」

「でも、カーネリアンは私の剣で、大切な友達で、あなたのお父様だって内大臣なのです。名家の娘は他の貴族に嫁ぐことはあれど、戦場に行くことはないって、教えてくれたのはカーネリアンでしょう? だから――」

「人手が足りないのです」


続きの言葉を遮るように、カーネリアンはぴしゃりと言い放った。


「これは王命です。先の大戦で我が国は地上の領土の大半を奪われ、騎士団の三分の二が壊滅しました。残された兵として私は責務を果たします。それが、亡き母と兄の意思でもあるのです」


だからこれ以上言わせないでください。消え入りそうな声で彼女はそう呟いた。


 私は涙を呑むしかなかった。私が泣いたらカーネリアンに迷惑がかかってしまう。王女様らしく、笑顔で「いってらっしゃい」って言わなくちゃいけないんだ。


でも私の体はあまのじゃくで、私が気持ちを押し殺せば押し殺すほど、喉がきゅっとしまっていく。口の中はどこも切っていないのに血の味がする。心臓が締め付けられるように、痛くて、苦しい。


「殿下。お顔を上げてください」


カーネリアンの柔らかい手が私の頬に触れた。


「私は必ず殿下の元へ帰ってまいります。別れなんてあっという間です。一週間から半年に伸びただけです。殿下の十六歳の誕生日までには勝利の軍旗を掲げて戻ります」

「嘘、つかないでくださいね」

「もちろん。私が殿下に嘘をついたことがありますか?」

「……四つの頃に私をドーナツを盗み食いしたとき以外は」

「そうでした」


ふふっと、自然に笑いが零れる。私たちは目を見合わせて手を取り合った。互いの小指を絡め、「指切りげんまん」と唱える。幼いころから変わらない、二人だけの約束の印だ。


 温かな春風が私たちの間を吹き抜ける。カーネリアンは私の髪についた桃色の花びらをつまむと、目を細めて静かに笑った。


「殿下。あなたのご命令とあらば、また地下旅行の話をしましょうか」

「私たちが二十歳になったら、お互いに身分を隠して遊びに行く話ですよね」

「はい。温暖化の影響で人が住める大地が少なくなり、富や権力を持たない民たちは地下で暮らすことを余儀なくされた、とこれまでお話してきました。ですが、実は別の理由で地下に追いやられた者がいるのです。多くの民に知られていることでもありますが、一応騎士団内の機密事項なので、内緒にしてくださいね?」


カーネリアンが自身の唇を指さした。私は目を輝かせて頷いた。


「その街の名前はヴァイマリアード。大犯罪者ハイラガードが暮らす、最下層にある街で――」




 「ふえっ」


何かに突き落とされる感覚がして、私は目を覚ました。おぼろげな視界に、白い雲を背景に眩しい朝日が飛び込んでくる。いや、違う。朝日ではなく、天井から吊り下げられたランプだ。と、いうことは白い雲は天井か。


「いてて……」


私はゆっくりと体を起こし、頭をさすった。私は寝相が悪い。だから、王宮にいた頃は朝起きるごとに天と地がひっくり返っていたが、それは地下でも変わらないらしい。今日で六度目だ。


向こうにいた時はカーネリアンが笑って髪をとかしてくれたのにな。


姿見ではねっ返った青い髪を見て、ふとそんな言葉が浮かんだ。


 カーネリアンは誠実で優しくて、騎士の鑑のような自慢のお義姉ねえちゃんだったけど、最後の最後はひどい人だった。

 

 誕生日からちょうど二週間後の日。私は自分宛ての贈り物も無視して、ずっとバルコニーの外を眺めていた。カーネリアンは約束通り戻って来る。そう信じて、騎士たちの帰りを待っていた。だけど、お昼を過ぎても、夕方になっても、ノーランディア王国の雪の結晶の旗は見えなかった。夜が明けて、また日が昇って、また落ちて。それを一週間くらい繰り返しても戻ってこない。


しびれを切らした私は父上の元に行った。「カーネリアンはどこですか」と喉から声を絞り出して、青い玉座にどっかりと座った父を睨みつけた。


父上は何も言わなかった。ただ、おもむろに臣下に何かを言うと、王の間の奥から剣を持ってこさせた。血のついた細長い舞剣を見て私は悟った。


カーネリアンは私を置いて行ったのだ。


 ひどいと思う。私の剣だったのに。私のただ一人の友達だったのに。生まれた時からずっと一緒にいた、義姉妹きょうだいだったのに。


 一緒に最下層ヴァイマリアードまで旅行しようって、約束したのに。こんなの、あんまりだ。


 でも、私がもっと大人だったら。魅力的な王女様だったら、父上を説得して戦争をとめられたのかな。


 私は窓の外を見上げる。地下は地上と違って太陽も月も見えない。あるのは自己主張の激しい、けばけばしいネオンだけだ。


(カーネリアン。決して美しいとは言えませんが、私は――)


「あなたと一緒にこの光を見たかったです」


ぽつりと、そんな言葉が零れ落ちた。


 ヴァイマリアードに来てから早や一週間。記憶喪失の「シエル」として暮らしていても、かつて隣にあったのぬくもりはまだ忘れられそうになかった。

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