邂逅
あなたの声をきかせて。この気温に負けないくらい、熱く、熱く、愛してちょうだい。細胞膜から脳下垂体前葉まで、あなたの全てを
「そんな冷感剤くさい女を捨てて、あたしを選んでちょうだい……って、あからさまに狙ってるよなあ」
常闇の世界を流星のごとく突っ走るバイクが一台。後方に座るアドラは、街の至る所に設置された大型モニターに映る己の姿にため息をついた。
「ヴァイマリ一のモテ男ことアドラちゃんが、女の子の格好して『愛して』なんて囁いた日にゃあ、街の連中は性別問わずコロッといっちまうってのに。バンのやつ、したたかなのはいいけどよ、趣味悪いぜ。なあ? ズィー」
モニターから目を離し、前方に視線を投げる。だが、アドラの目の前に座る褐色肌の男は、肯定も否定もしなかった。まっすぐ前を見据え、法外のスピードで爆走する改造バイクのハンドルを握っている。
「ちぇ、なんか言えよ」
アドラはぬっと身を乗り出すと、ひび割れた画面を連打した。タブレットでギアをもう一段階上げると、モーターはうんうんと唸り声を上げる。
「壊れるぞ」
「いーのいーの。ズィーも俺がぶっ飛ばす方が好きなの、知ってるだろ? それに壊れたらまた買えばいい。金ならいくらでもある」
「改造するのは俺だ」
「そこはほらあ、ズィヤード君、お・ね・が・いっ」
アドラは上目遣いでズィヤードを見つめた。
振り向けば、ズィヤードの瞳にわざとらしく目を潤ませる男の姿が映る。長い赤毛を一本に編み、分厚い前髪で左目を隠したこの男は、ヴァイマリアード一の役者だ。おまけに顔もとびきり良い。本人が冗談交じりに「俺にお願いされたら誰も断れないだろうな」と言うように、一般人なら簡単に頷いてしまうだろう。
だが、ズィヤードはアドラと五年以上の付き合いだ。わがままな親友の性格はよくわかっている。
「バンさんが良いって言ったらな」
「なんでそこにバンが出てくんだよ」
「最近人手不足だと言っていた。金は潤沢だとはいえ、アドラの浪費癖を見張れ、とも命令されている」
「バイクは余計な物じゃないし! てか座長は俺だし! バンより偉いし! ……まあいいや」
アドラは再び座席に腰を下ろし、ぼんやりと街中を流れる音楽に耳を傾けた。ヴァイマリアード・ハイラガード! 享楽の町へようこそ。ヴァイマリアード・ハイラガード! 犯罪者たちの楽園さ――。リズムは単調だが、耳に残るメロディーだ。バンにこれを歌え、と言われた時は「冗談だろ」と眉をひそめたが、案外このテクノポップも悪くないと思い始めている。
あ、そうだ。あそこの角でドーナツ買って帰らないか? 俺とズィーだけじゃなく、バンや月部屋の皆の分も。
そう、アドラが言おうとした時だ。
「た、助けて……!」
ふと、
「ズィー。今のって」
「ああ」
二人は顔を見合わせた。ズィヤードはブレーキをかけ、停車するためにスイッチを押す。火花を飛び散らせていたバイクは徐々に速度を落とし、ピタリと止まった。が、二、三秒するとふわりと宙に浮いた。プシュープシューと少々不安になる音を出しながら、折りたたまれるようにして、タイヤが車体にしまわれていく。
「あそこだ!」
重力制御装置が取り付けられた天井すれすれに頭を近づけて、アドラは言った。見れば、車線沿いにずらりと並ぶ店の裏側で、誰かが揉めていた。豆粒ほどの大きさなのでよくわからないが、三人のうち一人は子供だろう。
ズィヤードはレバーを握り、ペダルを押し下げた。空高く浮遊していたバイクのマフラーが蛍光色の火を吹く。
刹那、常闇の地下に再び星が流れた。路地裏めがけて、バイクは一直線に宙を駆ける。
「ズィー! この高さならいけるだろ。行け。俺は後で追いつく」
「あんたいつの間に運転できるようになったんだ?」
「できねえよ。でも何とかする。俺じゃなくて、このタブレットが」
アドラがひび割れたタブレットを指さす。液晶が半分死んでいるタブレットは気がかりでしかなかったが、アドラが何とかすると言ったら不思議と何とかなることが多いのだ。
「わかった」
ズィヤードはアドラを一瞥すると、こくりと頷いた。そしてハンドルから手を離すと――思い切り車体を蹴った。
常闇の世界を褐色肌の青年が滑空する。風にあおられてスーツの裾がパタパタと音をたてた。ズィヤードは目を細め、アドラが指さした方角をじっと見つめる。やはり三人のうちの一人は子供だった。大人二人に追いかけられて涙目になっている。歳は十五、六といったところだろう。派手な装飾こそないが、身なりはヴァイマリアードに似つかわしくないほど綺麗だと分かる。シャラン、と子供のポケットから金色に光る何かが落ちた。
(ここの治安が悪いのは元からだが、
ズィヤードはつま先に意識を集中させる。
闇を縫うようにビルとビルを渡っていく。そして、三人に一番近いビルに降り立った時、一際大きな跳躍をした。
「あんたらそこで何をやっている」
砂埃をわずかに立てて、ズィヤードは三人の間に割り込んだ。
「なにって……って、うわあ! おま、お前どこから湧きやがった!?」
振り返ったのは髭を生やした男だった。みすぼらしい衣服に身を包んだ彼は、ヴァイマリアードによくいる、いかにも無法者らしい姿だった。
「どこって、そこから」
「屋上じゃねえか。何言ってんだお前」
もう一人の男が眉間に皺を寄せる。彼もまた、いかにも血に飢えたような風貌だった。肩にかけた鉄パイプがそれを証明している。ただし、左の男よりは身長が低く、腹に脂肪を蓄えていたが。
「屋上じゃない。天井の近くからだ」
ズィヤードは子供を庇うように両手を広げた。
「天井? あんなところから落ちたら死ぬだろうが。まあいいや。お前ナニモンだ」
「ズィヤード」
「ズィヤードぉ?」
「ああ。月部屋のみんなは『ズィー』と呼ぶ」
「げっ。自警団じゃねえか。どうしますかい、兄貴」
髭の男が隣の男を見上げる。兄貴と呼ばれた彼は、顎の贅肉をたぷたぷと揺らしながら、ズィヤードの後ろの子供に目をやった。
「騒がれたら面倒だ。とりあえずこいつを殺して、そのガキを売っぱらおう」
「? 俺は自警団ではない。月部屋に所属しているが、俺の仕事はアドラの護衛だ。市民間のトラブルには……」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
太った男がすっとポケットからナイフを取り出す。そして、間髪入れずにズィヤードめがけて振り下ろした。フン、と空気が切れる音がする。
だが、ナイフの先にズィヤードはいなかった。怯える子供を抱きかかえ、先ほどまでいたビルの屋上に立っていたのだ。
「話が通じていないようなので、もう一度説明する。俺はズィヤード。月部屋に所属しているが、自警団には所属していない。仕事はアドラの護衛であり、市民間のトラブルには関与しない」
「話が通じてねえのはお前の方だ! この化け物め! と、いうか市民トラブルは出さないとか言っておきながら矛盾してんぞ!」
「あー、それは俺の命令だから」
その時だ。ふと、ズィヤードの後ろでくくくと笑う声がした。ズィヤードが振り向くと、そこにはタブレットを持った青年が浮遊するバイクに乗っていた。一本に編んだ赤毛に、透き通るような紫水晶の右目――アドラだ。
「ズィー。こういう時はな『俺はズィー。子供をいじめる悪党を懲らしめに来た正義の味方だ』って言えばいいんだよ」
「なるほど。次回からはそうする」
「まあ、ズィーの口下手は予想してたからいいんだけど」
「おいそこのお前ら! 何話してんだよ! 下りてこい!」
下の方で怒鳴り散らす男たちと目が合う。他に術がないのだろう。彼らはビルを鉄パイプで殴っている。
「アドラ。教えてくれ。俺はどうすればいい?」
「死なない程度に蹴っておいて。あとついでに殴る」
「わかった」
短く返事をすると、再びズィヤードは地面に降り立った。ふたりの男たちは待ってましたとばかりににやりと笑った。目を血走らせ、へこんだ鉄パイプを投げ捨てる。そして、互いに目配せすると、ナイフを構えて走り出した。
だが瞬きするころには二人ともその場にはいなかった。ふたりまとめてビルの壁に叩きつけられていたからだ。
遅れて、ドシャァッと、けたたましい音が路地裏に響く。ズィヤードは軽く腕を回すと、折り重なって倒れている男たちに手を伸ばした。はじめは太った男を、次に髭の男を。それぞれ右頬を一発ずつ殴ると、彼らは血を吐いて白目をむいた。
そんな光景を子供は屋上から身を乗り出して眺めていた。
「あ、あのっ。男の人たちはどうなっちゃうんですか」
洋服の裾をきゅっと握り、子供は言った。その声は震えており、微かに上ずっている。
「ん~? 後で俺の部下が回収しに来て『子供に手を出すのはご法度だろ』って叱る、だな」
「そうですか。……命だけは助かるのですね」
「自警団は治安維持組織であって処刑人のあつまりではないからな。それより君、自分より他人の心配するなんて面白いね」
アドラは素早く立ち上がった。そそくさと子供のうしろに回り込み、危ないからと、その洋服の襟ぐりを引っ張る。ばっと子供が振り返ると、その子の青い瞳と目があった。
(見かけない顔だな。新入り……にしては小綺麗すぎる。訳アリってところかな)
薄紅色の唇がにっとあがる。紫色の右目に妖しい光が灯った。
「俺は通りすがりの美青年、アドラ。で、下の運動神経が良いのがズィー。ねえ君、名前は? 何の罪を犯してここに来たの?」
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