第3話 10月24日 土曜日

 結局、総合しても俺は二時間ほどしか眠れなかった。

 明け方、俺も落ち着いて寝ようと思った頃だ。賢治が帰ってきて、何があったか詳しく話させられるし、話も一通り終わり、賢治と二人寝付いた頃、小嶋さんが起きたのだ。

 良く寝たせいだろうか、彼女はやたら元気で賢治の部屋の片づけをし始めた。

 いや、ビールの缶は散乱してるし、基本的に汚い賢治の部屋を掃除してくれるのは有り難いが、俺は眠い。

 渋々起きた賢治は、台所でベコベコと空き缶を潰す彼女を呼び、座らせ説教を始めた。

 毎度のことなのだろうか。

 仕方なく俺も起きて、賢治の隣に座った。いや、言いたいことは山ほどある。だけどどれも言っても意味のないことで、今はとりあえず頭を整理する。寝ぼけてるしな。

 しかし、姿は昨日と違う。

 色白だが血色の良い頬。まだ少し腫れているが、鋭いほどの二重まぶたと双眸。黒光りするストレートヘアは、後ろで一つにまとめられていた。

「泣くのは良い、自傷行為はするなって、前言ったよね」

 賢治が言う。

 自傷行為……。嫌な響きだ。瞬間的に小嶋さんの左手首に目がいってしまう。包帯は巻き直されていた。

「……うん」

 視線を逸らし、しょんぼりしながら小嶋さんは答える。反省の色はあるのか……わからない。

「今回は俺だけじゃなくて、カズにも迷惑かけたんだから、もう二度としないって誓え」

 迷惑……ではないけど、まあいいか。

「……うん。誓うよ。浅井くん、ごめんなさい」

 なんかあんまり心がこもってないように聞こえるのは俺だけだろうか?

「いや、俺なら良いよ。それより一つ質問良い?」

 おそらく一つでは終わらないと思うけど。

「……はい」

 あまりこの問題に踏み込まれたくないのかもしれない。でもはっきりさせておきたいことがある。

「彼氏がいるんだよね? 遠距離なの?」

 なかなか会えない、のは何か障害があるからなのだろう。それを解決すれば良いのでは? 俺の単純な思考回路が導いた結論だ。

「いや。亜希ちゃんの彼氏のアパートは、ここから駅四つくらい。同じ小田急線」

 賢治が先に答えた。

「近いじゃん。なんで会いに行かないの?」

「忙しいんだと」

 また賢治が答える。

 もうこの質問は賢治がしたのだろう。

 忙しくて会えない。男の勝手な都合にも聞こえる。何かちゃんとした理由があったとしても、そう聞こえる。

「何してる人なの?」

「ゲーム会社でCG書いてる。亜希ちゃんと同じ高校出身で、岐阜から一緒に上京してきたんだ」

 またしても賢治が答える。

「お前は亜希ちゃんか?」

「保護者のようなものだ」

 ったく。

 クリエーターか……。忙しいつっても休みくらいはちゃんとあるだろ。それに同郷なら同郷同士でしか話せないこともあるはず。

「どれくらい会ってないの?」

 しばらくの沈黙。

 賢治も知らないようだ。俺も、賢治も、コチコチと時を刻む時計も、小嶋さんを待つ。

「半年……くらい」

「「はあ?」」

 俺と賢治も驚きの声を上げた。ついでに眉も上がった。

 半年? それは付き合ってるというのか? 彼氏は何がそんなに忙しいんだよ。

「わ……別れる気はないの?」

 小嶋さん自身は、それでも好きなのだろう。それは昨日を見れば分かる。しかし……客観的に見ても、これは別れることを勧めたくなる。

 おそらく賢治も言いたかったことだろう。

 隣を見れば大きく頷いてる。

「…………」

 小さな唇を少しとがらせるだけで、小嶋さんは何も言わない。

 会えないから、会いたくても会えないからこそ、思いが募ってしまうんだろう。その気持ちは分かるが……。

「一回彼氏と会いな。何が何でも。それでちゃんと話をする。手首のことも。な?」

 賢治が優しく、しかし力強く言う。

「俺もそうした方が良いと思うよ」

「……うん」


 話を終えて、小嶋さんは自分のアパートへ帰って行った。

「どう思う賢治?」

 ベコベコ。

「ん? 話さないんじゃない」

 ベコベコ。

「やっぱりそう思う」

 空き缶潰しの続きをしながら、野郎二人考えていた。

「今までも、亜希ちゃんが泣く度に俺は彼氏に会いなって言ってたんだけどね。会ってなかったか……」

 怒りではなく、残念そうな表情。そうだろうな……。賢治の思いは届かなかった。まあメールとかはしたのかもしれないが。

 ベコ……ベコ……。

「怖いんだろうな、きっと。会って、これからももっと会いたい、って言って断られるかもしれない、嫌われるかもしれない。手首のことだって、言ったら引かれるかもしれない。それが怖くて言えないんだろ。それだったら、今の会えない方を選ぶ」

 でも……。

 ベコ……。

「そしたら、亜希ちゃんはどんどん悪い方へ行くな。鬱も治らなくなるし悪化する!」

 ベキョ!

 賢治は怒りを空き缶にぶつける。

 そうなんだ。悪循環だ。

 さっき小嶋さんが反省してないように見えたのは、おそらく小嶋さん自身も話す気はなくて、自傷行為をしない、という自信が自分でも持てないからなんだろう。

「……なんとか、してやりたいな……」

 ……ベコベコ。

「ん? 亜希ちゃんに惚れたか?」

 賢治が目を輝かせて聞く。

 ベコ! ベコ!

「……わかんね」

 好き、とかじゃないな。この気持ちは……。良く分かんないけど。

「そういうお父さんはどうなんだよ?」

 もちろん親心に目覚めた賢治のことだ。

「ん~、とりあえず亜希ちゃんの彼氏をぶん殴りたい」

 ベキョ!

「同感」

 ベキョ!

 あったことはなくて、どういうヤツか知らないけど、俺は男として許せない。

「カズ、やっぱ亜希ちゃんに惚れたな?」

「わかんねっつってんだろ! おし、空き缶潰し終了。寝ようぜ」

「同感」

 結局翌日まで忘れていたが、今日10月24日は俺の誕生日だったりする。

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