第2話 アボガロンのサラダ



3時間を費やして修正したプログラムを起動させる。

結果は見慣れたエラー。


「修正終わんないですよおぉぉ……どんだけバグ残ってるんですかこれぇぇ……」


彼女はメガネを外してデスクにうつ伏す。納期にはまだ余裕があるが、抱えている仕事タスクはこれだけではない。遅くとも今日明日中に終わらせようと奮闘していた彼女だったが、現在時刻は夜10時。定時などうの昔に過ぎており、集中力は限界に達していた。


「疲れたなぁ……うぅ、目ぇぼやけてきた……」


「ご苦労さんだな三木みき。仕事は順調か?」


悲壮感溢れる三木の背後から声をかけたのは、彼女の先輩にあたる男性社員。

最近まで実年齢より明らかに老け顔だった彼だが、とあるストレス発散方法を知ってから背筋は伸び、顔色も良くなり、年相応の外見年齢まで若返っていた。


「せんぱい……私はもう、だめです。むりです。つかれました。おなかがすきました!」


「なら今日はもう上がっとけ。無理して体壊しても、お前の仕事を引き継いでくれる心優しい人間はこの会社にいない。自分の首絞めるだけだ」


「そこは嘘でも『俺が引き継いてやる』って言ってほしかったです」


だね」


「ふぁーっく……」


力なく先輩を罵りながら、三木はバッグを取り出し帰宅の準備をする。

彼の言う通り、三木が病気になろうが事故で大怪我しようが代わりに仕事をやってくれる人はいない。それほどの人手不足な会社なのだ。諦めが肝心にならざるを得ない時もある。


切り替えよう。しっかり休息をとって明日がんばろうと三木は心に決める。今考えることはバグの修正方法ではなく、今日の晩ごはんの献立だと言い聞かせ、彼女は席を立つ。


「ハァ、わかりました、今日は諦めて上がります」


「おー、そうしろ。俺も上がる。帰りに飯食ってくけど一緒に来るか?」


「えぇー。先輩とのごはんはお酒がメインになっちゃうので嫌です」


「今日は飲まねぇよ、明日仕事だし朝も早いし。せっかく良い居酒屋紹介してやろう思ったのに」


「居酒屋て。飲む気満々じゃないですか!」


「いやいや、あそこは単純に飯が美味いんだって。財布にも優しいし」


「ふぅーん…」


三木は顎に手を当てて考える。


冷蔵庫には余り食材が入っていないため、自炊するならスーパーに寄るしかしない。しかし、今から買い物して帰って料理すると時間が遅くなる。それはちょっと嫌だ。


なら外食やコンビニはどうか。時間の節約はできるがお金の節約はできない。唯でさえ安月給の会社だから、なるべく出費は抑えたい。


それならば、先輩と一緒にご飯を食べに行って、奢ってもらうのが最適解では? ちょっとお酒を飲ませてちょっとおだてれば『俺、先輩だからね。後輩にお金出させるわけにはいかないってね』的な感じで奢ってもらえる可能性は高い。


たった一秒間の思考。

よし、これでいこう。そう三木は決め、両手を合わせながら彼に頭を下げる。


「では先輩、ゴチになります」


「支払いは各自な」


今の発言、忘れさせるほど飲ませてみせる。

そう心の中で誓う三木であった。











「先輩。聞いていた話と違うんですけど」


トウキョウ駅から5分圏内に位置する木造一軒家。

居酒屋"魔王城"。2人はその入り口に立っていた。


ここまで来る道中、彼は三木に多く語らなかった。唯一教えた情報は『魔王城がコンセプトテーマのちょっと変わった居酒屋』のみ。それだけ聞くと『けっこうお高めのお店なのでは?』と三木は疑心を抱いたが、そんな疑心がどうでもよくなるほど現代的で魔王城の外観に、彼女は怪訝な顔で先輩を見た。


「違うって、どこが」


「これのどの辺が魔王城なんですか、ふっつーの居酒屋じゃないですか。私もっと、わぁお異世界っ!って感じのを想像してたのに、入る前からコンセプトテーマが破綻してますよ。せっかく非日常感が楽しめると思ったのに、私のワクワクを返してください」


「安心しろ。お前が求めてる非日常感とやらはちゃんと店内にある」


「ほんとうですー?」


ここで彼が何を言っても、三木の疑心が晴れることはない。

これはもう店に入った方が手っ取り早い。そう思った彼は三木の疑いの眼差しを無視してとの引き戸を開く。


店内に一歩入れば、そこはもうニホンではなく異世界"ンヴェルテァンツォンガ"。常識の中に魔術が存在する世界であり、三木が期待する以上に非日常感に満ちた世界である。



「いらっしゃいませ。ようこそ、魔王城へ」


「―――歓 迎 す る ぞ 、人 間 共 よ」



瞬間、三木は口を半開きにしたまま固まる。

そんな彼女を様子を見た彼は「初見じゃそうなるわな」と呟いた。


和な外観からは想像できない程に洋な内装。

燕尾服を着こなすイケメン系女子のレディ。

何度聞いても恐ろしい低音ボイスと外見の魔王様。


一瞬で押し寄せてきた大量の非日常感により彼女の脳はキャパオーバー、三木は処理能力の低いパソコンのようにフリーズした。そんな固まった彼女の背中をズルズルと押しながら、彼は店の奥へと進む。



「今日はお連れの方がいるのですね」


「会社の後輩でして。カウンター席空いてます?」


「はい、こちらへどうぞ」


「おらいくぞ歩け三木。いつまで固まってんだ」


「ッはっ!?」



彼が頭を軽くチョップすると、三木は我を取り戻す。

目の前に広がる情景を改めて受け入れ、理解し、呑み込み、そして力強く吐き出す。


「ひ、非日常ォおおおおーーーッ!!」


子供のように目を輝かせ、我を忘れて三木は叫んだ。


彼女、三木みき詩織しおりは根っからのオタク気質。

漫画やアニメが大大大好きな社会人二年目である。


突然の発狂にキョトンとするレディと"いつもの発作か……"と頭を抱える彼。"なんかテンションの高い客が来たなぁ"とざわつく店内と魔王様を気に留めることなく、三木は暴走を始める。


「うひゃああ!! すごいですねすごいですね! 雰囲気まんま魔王城じゃないですか! 異世界転移したみたいでテンション上がりますねぇ!! 店員さん、一緒に写真撮ってもらっていいですか!? いえーい!!」


「い、いえーい??」


了承を聞くより早く、レディの隣に立ってツーショット写真を撮る三木。レディは混乱しながらも三木に合わせるようにピースサインを取る。


「貴方様が魔王様ですね! 最高にカッコいいポーズお願いします! はいっ!」


「―――ふ ん ッ!!」


今度は厨房に立つ魔王に向かって無茶振りを言いながらスマホを構える三木。そんな彼女の期待に応えるかの如く、魔王はポーズを決める。魔術を駆使したカッコいい紫色の稲妻を背景に添えて。


「す、すごっ! 何かカッコよすぎてエフェクトまで見えた気がします! じゃあ今度は私とのツーショットを」


「やめろバカ」


「痛ッ!?」


三木の頭を勢いよくチョップする彼。

その痛みに頭を抱えてしゃがみ込む三木。場を弁えす暴走した当然報いである。


後輩のやらかしは先輩の責任。

彼はレディと魔王に深々と頭を下げる。


「すみません、うちの後輩が御迷惑を。お前も謝れ」


「す、すみませんでした……」


「いえいえ、お気になさらず。楽しんでいただけたなら何よりです」


2人の謝罪に社交辞令のような笑顔を返すレディ。その内心は初めて同性と2ショット写真を撮った(撮られた)嬉しさと恥ずかしさで少しドキドキしていた。


そんな感情を表に出すのを必死に我慢しながら、レディは改めて2人をカウンター席に案内するのであった。





*------*




「ところで魔王様。追及されなかったからよかったものの、人間の前で魔術を使わないでください」


「―――済 ま ぬ。だが魔王たる者、何時如何なる時もその威厳を示さねば」


「使わな、ないで、ください。 ねっ?」


「―――す、すまぬ」




*------*







2人が魔王城に入店して数十分。


「かーッ!! たまらん゛ッ!! この一杯を飲むために俺は生きているッ!!」


三木が勧めるまでもなく、彼は自発的に出来上がっていた。

目尻に喜びの涙を溜め、4杯目の大ジョッキ黒ビールを飲み干す。つまり、彼のこのセリフも4回目である。ご満悦であった。


「けっきょく飲んでるじゃないですか先輩」


「バカだなぁ三木くん、実にバカだね君は。居酒屋に来て飲まないやつがいるか? いやいないね!! 飲まなきゃ失礼だよね!! 飲まない奴はよっぽどのバカだね! すみまぜんレディさん! うちのバカがまだ飲めないバカでずみまぜん!!」


「バカは先輩ですよバカ。すみませんレディさん、うちのバカ先輩が飲みすぎちゃうおバカですみません」


号泣しながら頭をカウンターに打ち付ける彼と、本当に申し訳なさそうに頭を下げる三木。そんな二人にレディは思わず「あはは」と苦笑い。


三木が飲まないのは、彼女がまだ未成年、19歳だからである。

異世界"ンヴェルテァンツォンガ"においても、お酒は20歳からと魔王が制定した法に示されている。未成年の飲酒は身体に悪影響、魔王様はそれを許さない。


「それにしても、ンヴェルテァンツォンガ……長いからンヴェルでいいです? ンヴェル料理って変わったものが多いですね。食材も見たことないモノがほとんどです」


「環境の違いでしょう。ンヴェルでは1年で四季が3回廻るので、育てられる作物が地球ニホンと異なるものが多いのです」


「ほぇー。凝った設定」


まぁ美味しいですけどね、そう言って三木は煮物の具材を箸で一つ摘み口に運ぶ。


あくまで居酒屋『魔王城』を"異世界からやってきた魔王軍が経営している設定の居酒屋"と思っている三木。当然扱われている食材は極普通のモノが扱われいると信じて疑わないが、実際は全てンヴェル産。正確には魔王城菜園で育てられた魔王城産である。


三木が大根だと思って食べたものは、大根によく似たンヴェルの野菜"コダ"。しっかり煮込めば皮ごと柔らかく食べられる根菜であり、煮込まれる前から茶色いンヴェルでは一般的な食材である。


「ンヴェルの食材や料理は癖の強いモノが多いので、ニホン人向けの味付けで提供させていただいております。追加のオーダーはいかがでしょう?」


「そうだなぁ……じゃあ、サラダをお願いします。あ、できればンヴェル人向けの味付けで。 本場のンヴェル料理を食べてみたいです!」


「そういうことでしたら。 魔王様! お客様はアボガロンのサラダをご所望です!」


「―――腕 が 鳴 る」


魔王の持つ魔剣ほうちょうが魔力を帯び、緋色の淡い光を纏う。特に何の意味もないただの演出であるが、それを見た三木は大いに興奮した。


アボガロンはンヴェルでは一般的な葉物の野菜。見た目はレタス、色は桃、味と風味はハーブやスパイスに近い。


魔王はアボガロンの葉を一枚一枚丁寧に剥き、素早く切り刻む。2mを優に超える大男が繰り出す手慣れた魔剣ほうちょう捌きを目の前で見て、三木は思わず「おぉー」と声を漏らした。


「やっぱ料理のできる男の人ってカッコいいなぁ。あぼがろんってアボカド的なものかと思ったけど、葉っぱ系なんだ。せんぱい食べたことあります?」


「ぐがあぁ……」


「寝てるし」


明日も仕事があることを忘れ、何時になくハイペースで飲んでいた彼は、カウンター席にうつ伏しいびきをかいていた。


三木はやれやれと思いながらも、ハンガーにかけられていた彼のコートを手に取り、眠っている彼の肩にかける。


「一つ貸しですからねー。せんぱい」


「―――調 理 完 了。さぁ『アボガロンのサラダ』、篤と味わえ」


「待ってました! 」


調理を終えた魔王から差し出される一品、アボガロンのサラダ。


見た目はとてもシンプルで、一口大に刻まれたアボガロンの葉の上に、荒く削られた多めのチーズと半熟の卵が乗っている。


それを見た三木の初見の感想は『シーザーサラダみたい』。そして2つ目に口から零れた感想は、


「半熟卵でかっ!! ダチョウ!?」


皿の上で一番の存在感を放つ、半熟卵の圧倒的サイズ感であった。


「それはンヴェルテァンツォンガに生息する怪鳥『ギア』の卵です」


「か、怪鳥?」


「怪鳥とはンヴェルテァンツォンガで『肉食の鳥類』を意味します。ギアはお肉も美味ですが、それ以上に卵の味が良質なのです」


「にくしょく……」


三木の脳内にギアのイメージ図が浮かぶ。全長五メートル、飛ぶスピードは飛行機以上、爪は岩を砕くほど硬く鋭く、嘴の中に大量の牙を隠した巨大なモンスター。三木は震えた。しかし、ギアの実態はンヴェルの環境に適応したダチョウそのものである。


ンヴェルテァンツォンガは魔力が日常に組み込まれた異世界。魔力を帯びたダチョウは進化を遂げ『ギア』と呼ばれる生物へと成った。ダチョウよりも一回り大きな体格に強靭な脚力、そしてつぶらな瞳と人懐っこい性格。跳べても飛べない怪鳥ギアは三木の想像とは違い、愛嬌のある生物である。


「た、大切なのは味ですよね味。では、いただきます」


三木は自分の想像したギアのイメージを振り払って両手を合わせる。


巨大な半熟卵をフォークで割り、アボガロンの葉に絡めて、一口。


「うまっ……か、辛っ!! でもうまっ!!」


アボガロンの桃色の葉とトロトロの半熟卵、そしてチーズ。まろやな味が連想される見た目とは真反対の辛味が三木の口内を弾ける。


サラダの主役はあくまでアボガロン。ギアの卵とチーズはアボガロンの辛味を中和させるものではなく、それと旨味を引き立てる役割を果たしている。


「これ、すごい!すごくすごいおいしいです魔王様! この癖になる辛さ、サラダなのに白米が欲しくなってきました!」


未知の美味しさを体験し、三木は目を輝かせる。

作った料理を褒められて嬉しくない料理人まおうなどいるはずもなく、


「―――な ら ば 喰 ら う が 良 い ッ!!」


「こちら、サービスのライスです」


「ありがとうございます! ん-っ、魔王様の料理最高っ!」


「―――ラ イ ス。お か わ り も 無 料 だ」



気を良くした魔王の奉仕魂に火をつけるのであった。








*------*








「いやー、楽しいひと時でしたね。そんなにすねないでくださいよ、せんぱい」


「すねてねぇ。すねてねぇやい」



防寒着を纏い帰路につく2人。


料理は美味しい、お財布にも優しい、何よりファンタジー。自分にとって得しかない居酒屋を知ることが三木はとても上機嫌だった。一方、今日も黒ビールを大量に買い占めた彼はブツブツと小言を言いながら拗ねていた。


「俺も食いたかったそのサラダ。白米に合うってことはビールにも合うってことだろ。何故起こさなかった」


彼が起こされたのはお会計の直前。寝起きの上にアルコールで頭の回らなかった彼は三木に誘導されるがまま支払いをし、魔王城を出た。そして冬の夜風の冷たさによって醒めてきた思考回路が、今になって彼を後悔させている。


「だって気持ちよさそうに寝ていたのですもん。食べたいならまた明日行けばいいじゃないですか」


「明日から出張なんだよ。しばらくは行けねぇ」


「えっ、初耳です」


「今日決まったから」


彼らが働くIT企業は俗にいう”大手”。トウキョウに本社を構え、各都道府県に支社がある。急な出張は珍しいことではなった。


「3月の第2金曜日に帰ってくる。それまではこれで我慢だ」


「だから大量に買ってたんですねビール。ちなみに出張先は?」


「オーサカ」


「おみやげはたこ焼き味のおせんべいが良いです」


「買わねぇ。絶対買わねぇ」


彼は力強くそう言うが、三木は知っている。

先輩はなんだかんだで優しいから買ってきてくれる、と。


「帰ってきたらまた一緒に行きましょう。今度はわたしがおごります」


「言ったな? 魔王城の開店も、俺たちの定時も18時。その日の残業は認めねぇから、今から死ぬ気で仕事を片付けろよ」


「承知ですっ、がんばりますっ!」


三木はいたずらっぽくニカッっと笑いながら返事をする。



後日。

それまで苦労していたのが嘘だったかのように、今まで滞っていたバグ修正の案件をあっさりと解決させた三木は『良くやったねぇ三木くん! その調子でこれもよろしくね!』と上長に仕事を追加されたのは、また別のお話。





*------*





魔王城・玉座の間。

仕事と後片付けを終えた魔王。魔王として残っている業務は、身体を休めることのみ。


の、はずだった。


「魔王様。先日考案した新メニュー『怪鳥ギアの親子丼』の総評が出ました」


「―――あれは何時になく会心の一品だった。聴かせるがいい」


「『肉が固い』『味付けが単調』『口の中で親子喧嘩されてるような味』『まずくないけどなんだかなぁ』『不味い』50点中14点です」


「―――………………ほぅ、改善の余地あり、か。良 か ろ う」


立ち上がり、玉座の間を後にする魔王。

その後ろ姿には覇気に満ち溢れていた。


彼の向かう先は自室………とは反対方向にある厨房。


「(これは徹夜で試行錯誤コースですね、お夜食の準備をしておきましょう)」


異世界ンヴェルテァンツォンガの夜は長い。

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居酒屋"魔王城" ニホン支店 サマーソルト @assist11

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