第10話 隠し事とダンボールさん

 保健室にやってきた二人は、保健医の先生に頼んで体操服を貸してもらった。

 貸し出し用の制服は無いため、体育でもないのにこの格好することは我慢するしかない。

 乾かすからと制服を持っていかれて顔を隠すものを失ったダンさんは、カーテンを締めたまま頼斗らいとの言葉に耳を傾けた。


「ねえ、ダンさん」

「……」

「あのさ、隠しても仕方ないから言うね。ごめん、見えちゃったんだ」

「……知ってる」

「こんなこと聞いてもいいのか分からないけど、ダンさんって日本人じゃないの?」

「……」

「ごめん、答えたくないよね」

「……頼斗の言うとおり。私は日本人じゃない」


 返ってきた答えは頼斗の思った通りではあったけれど、彼女の声はまるで知られてしまったことで苦しんでいるように聞こえた。


「正確にはハーフ。父親は日本人」

「そうだったんだ。もしかしてだけど、ここに引っ越してくる前って……」

「母親の生まれた国に居た。タルステツトっていう小さな北の国」

「タルステツト……」


 国には詳しい方では無いが、それでも有名な国でないことは分かる。

 ダンさんが言うには、タルステツトは国であって国でないような場所で、ほとんどの国が国家であることを承認してくれていないらしい。

 だから、地図を見ても名前は載っていないし、誰も知らないからネットにも情報はない。

 ただ、タルステツト人の特徴である銀色の美しい髪と黄金色に輝く瞳は、闇の世界で高く取引されるらしい。

 頼斗のような普通の人間は一生関わることの無い遠い世界の話だ。

 彼女の母親の両親は、母親を産んだ数年後に髪と瞳を狙った違法者に襲われて亡くなった。

 父親は昔から付き合いのあった日本人の悪い友人に騙され、借金を背負って逃げ出した。

 こんな悲惨な人生の話は一度聞いただけで受け入れられるようなものでもないが、ダンさんが嘘をついているとは思えない。

 何より、異常なほど顔を隠そうとしていた普段の行動に説得力が有り過ぎた。


「もしかして、日本に来たのは逃げるため?」

「それは違う。私はお母さんを置いて行きたくなかった。でも、来れば安全な地域に引越しする費用をくれるって……」

「それで校長先生に連れて来られたんだね」

「そう」


 確かに日本ならタルステツトのような無法地帯と違って安全ではある。

 ただ、それでも狙われることに対する恐怖が無くなるわけでは無いのだろう。

 これだけ近くにいても、彼女はカーテンを開けようとはしてくれないのだから。


「お母さんは一緒に来れなかったの?」

「パスポートが無かった。私もお母さんも」

「じゃあ、ダンさんはどうやって……」

「ダンボールに入って荷物に紛れた。タルステツトは人身売買よくある。簡単に抜けれた」

「なるほど。あまり信じたくは無いね」

「それに、お母さんは足腰が悪い。箱の中に丸まっていられない」

「離れ離れになるしか無かったんだ」


 話を聞いていて分かったのだが、校長先生はかなり顔が広い人間らしい。

 ただの学校の校長の割に運転手とは贅沢だなと思ってはいたが、到着した日本側の空港での検査は簡単にすり抜けられないため、予め話を通しておいてくれたんだとか。

 国際便の検査は厳しい。ましてや違法入国を許可させるとは、果たしてどれほどの力があるのだろう。


「大変だったんだね」

「一年、日本で過ごしたら帰れる。それが叔父さんとの約束」

「ダンさんは帰りたいの?」

「あんな生活には帰りたくない。でも、お母さんのところには帰りたい」

「……そっか」


 頼斗には到底想像も出来ないような世界に彼女は生きてきたのだろう。

 今思えば、あの時聞いたおとぎ話も、そんな境遇の中で生まれたものなのかもしれない。

 知らない方が幸せなこともある。自分が特別不幸な生活をしていことは、知ってしまわない方が苦しまなくて済むのだと。

 そんな彼女に言っていいことでは無いのは分かっている。だけれど、込み上げてくるものを頼斗にはもう抑えられなかった。


「ねえ、ダンさん」

「……なに」

「今度、正面から素顔を見せてくれないかな」

「……」


 ずっと脅えて生きてきた彼女を救いたい。そう言ったら何の力もない人間のくせにと笑われるかもしれない。

 けれど、心の底からそう思った。少しだけでもいいから、ダンさんが自分を出せる相手になってあげたい……いや、なりたい。


「僕が危険な人物じゃないなんて言っても信じて貰えないかもしれないけど、本当に本当にそう思ってるんだ」

「……頼斗」

「もしみんながダンさんを狙っても、僕が君を守るから。絶対に守って見せるから」

「……」

「どうか、僕を頼って欲しい!」


 カーテンに隠れた彼女の顔は見えない。けれど、自分の気持ちはしっかりと伝えた。

 後は答えを待つだけ。待つだけなのだけれど、このどちらも言葉を発さない無言の時間がものすごく気まずかった。


「……」

「……」

「……ごめん、こんなの迷惑―――――――」

「頼斗」

「は、はい!」


 名前を呼ばれて背筋が伸びる。ダンさんはカーテンの隙間から手を伸ばすと、彼の頬にそっと手を添えて震える声で聞いた。


「い、今のは……その、告白というやつか?」


 その後、彼女の言葉を理解するのに30秒ほど時間を要した頼斗が、理解しても尚いつの間にそんな話になっていたのかと驚きを隠せなかったことは言うまでもない。


「告白なら、もう少し時間が欲しい」

「え、あ、待ちますけれども……」

「私が答えを出せた時、まだ同じ気持ちでいてくれたら考える」

「わかった」


 割と本気で考えさせてしまったようで、彼女の指先の震えを頬に感じてしまったせいで今更引き返せない。

 それにずっと守ってあげたいという気持ちは本物ではあるし、恋心なのかと聞かれればよく分からないけれど―――――――――。


(自分のこの気持ちはなんなのか……)


 心の中でそんな質問を呟いて、それ以上は何も話さないまま、制服が乾くまでベッドの上で寝転んでおく頼斗であった。

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