第二話 愛が強すぎる

「……柊四」

「なんでしょう」

「その……。……足が折れてて、ズボンが履けない」

「は?」

 は?

 時間を置いてもう一度同じ音を発し、素早く患部を確認する。逃げないようにと、今回の外出に当たって折られたらしい。ヤンデレ男を庇いながらも坊ちゃんが説明した。

 青筋を立てながらも丁寧に服を着せ、向き合う。

「坊ちゃん、お家にお戻りください」

「でもっ!」

「坊ちゃんが本当に、彼のことを愛しているとしても。彼は、あなたを傷つけた。監禁という特殊な状況では、人は人をコントロールしやすいものです。食事に薬を盛られたかも。逆に、部屋に薬物を散布しておいて、彼が食事を持ってくるたびに解毒されていたかもしれない。あなたのその愛が、条件付けの産物ではないと言い切れますか?」

「そんなこと……」

「あなたは、彼に傷つけられた。あなたのご友人の……そうだな、女性にしましょうか。彼女は恋人に足を折られて部屋に閉じ込められて強姦され、大学を何日も休んだ。でも愛しているからいい、なんて……坊ちゃんは見過ごすことが出来ますか」

「……。……でも、俺はあいつと……」

「強姦されて、傷つけられてから初めて彼の思いを知ったのでしょう。本当に愛しているというのなら、どうか一度離れて、洗脳ではないと胸を張って、もう一度おっしゃってください」

 俺は言葉にはしなかったが、自己防衛から相手のことを好きだと自分自身を洗脳した可能性も普通にありえる訳である。

「……嫌だ。俺は、あいつと、離れたくない……。親父が怒ったら、あいつがどんな目に遭わされるか。その時に俺が離れてたら、守ってやれない。もしかしたら殺されるかも……」

 ……まあ拷問からの死亡か廃人ルートだろうな。

 金持ちの権力、こあいので……。

 しかし坊ちゃんの不屈の意志が強すぎる。……だが、それが逆に、今回は良い方向に作用したかもしれない。

「……柊四」

「はい」

「柊四、なんとかして」

「はい?」

 困惑した俺を他所に、坊ちゃんは俺に言い募った。

「柊四、強いだろ。お前の言うことなら親父も聞き入れる。俺、薬とか……ちょっとだけ、心当たり、あるけど。あいつのこと、本当に、本当に好きだから。だから、このまま終わりにしたくない」

 その意見には、実のところ俺も賛成だった。このまま強固に連れ戻したところで、ヤンデレどもは恋愛対象補正なのか、愛のためなら、国家重鎮守護の任に就くようなSPを出し抜くことが出来るクソハイスペック野郎ばかり。再犯が行われ、次こそ坊ちゃんはバッドエンドルートで殺される恐れがある。

 まあ足折られてる時点で俺の中で坊ちゃんを連れ帰る選択は確定したが。警察を巻き込んで二十四時間体制で守れば、流石に手出しできまい。

「柊四が、なんとかしてよ。約束してくれたら、帰るから」

 坊ちゃんは涙で潤み、充血した目で俺を見つめる。俺は男に欲情しないが、年下で長い付き合いの子供に絆される程度の情はあった。

「……しゃーねぇなあ。さっきまで餓鬼みてぇに泣いてた癖に、俺の事便利なロボットみたいに……。調子いい奴だわ」

「柊四……!」

 嘆息し受諾すると、坊ちゃんは目を輝かせた。

「危ねえからって全部シャットアウトするんじゃ、監禁場所が変わっただけだしな。……俺と約束したってこと、親父さんには内緒だぞ」

「うん!」

「あーどうすっか……。とりあえず、経過観察な。坊ちゃんが薬物検査受けて、安全な場所で飯食って、傷ついた心身どっちも治ってからまた考えるわ」

「別に心は傷ついてないし!」

「肉体の傷は精神に反映されるんだよ。お前、今急に俺に足折られて『痛い! 嫌だ!』って思わねーのか? 嫌なことイコール十分ストレスだわ」

「……何日ぐらいかかるの?」

「カウンセラーに聞きな」

 背中を向け、おぶさるように指示を出す。俺に対して絶大過ぎる信頼を置いている坊ちゃんは、すっかりクソガキ染みた態度で唇を尖らせながら「あーあ、俺赤ちゃんじゃん」などと拗ねる余裕すら取り戻していた。

(ひょっとして、青葉の一族がやけに無防備なのって、針葉のせいなんじゃ……)

「なあ、あいつと接触する時、ちゃんと柊四から言っといてくれよ。俺は逃げた訳じゃないって……」

「凶悪犯相手にお話する余裕なんてありますかね」

「柊四ならいけるだろ」

「そこはダーリンを信じてやれよ。……というか私はSPであって警察ではないので、彼の捕縛には関りませんよ」

「そこは職務外で会いに行ってくれよ。あ~! 心配だな……警察から逃げられるかな? あいつ」

「樅二を出し抜いた方なら大丈夫じゃないですか?」

 ぺちゃくちゃと話しながら車に戻ると、坊ちゃんは眠そうに目をしょぼしょぼさせて、後部座席で丸まった。付けておいてよかった。車内にはエアコンの冷えた空気が充満している。

「う……あしいたい」

「鎮痛剤ならありますが、お薬を盛られていたなら、飲み合わせが……。……坊ちゃん、血を頂けますか?」

「うん……」

 眠りを痛みに妨げられている様子が気の毒で、差し出された坊ちゃんの指先を歯で噛みちぎった。俺の第六感は『蛇化ミューテーション』である。その血を舐めれば、数多の耐性のある体と能力を応用して、鑑定することが出来るのだ。護衛向きすぎて泣ける。

「い、っ……」

「ふむ……特に薬剤の反応は無し。体内から抜けきっていますね。どうやら薬漬けにはされていないようで安心しました」

 ぱちん、と坊ちゃんに何の薬か見えるようシートから錠剤を取り出し、鎮痛剤を渡す。坊ちゃんは寝ぼけ眼で、あむあむと俺の指ごと薬を舐めとると、そのまま撃沈した。

「ねる……」

「おやすみなさい、良い夢を。……次に目が覚めた時には、傍にご家族が大集合しているでしょう。たくさんお話してさしあげてください」

「ふふ……また、つかれ、ちゃう、じゃん……」

 夢見心地でほほ笑んでいる坊ちゃんは、さながら昼寝で良い夢を見ている犬のようだった。頭をわしゃわしゃと撫で、俺は一度車から出た。

「こちら柊四。緑様を保護。これより帰還します」

『こちら樅二。よくやった!! 周辺部隊には撤収させる。相手は殺していないだろうな? 半殺しで留めたか?』

「人を危険人物みたいに言うなよ! というか、犯人はいなかった。坊ちゃんを連れてた男を脅したが雇われだとよ。自白作用のある毒を使ったが、何も知らないようだった」

『……ッチ。針葉の威信にかけて探すぞ。戻ったら作戦会議だ』

「知んねーよ警察に任せとけよ。俺は首突っ込まねぇぞ。そもそも俺は本来なら黄緑様の護衛のはず、」

 言葉を千切られた電話が空しくツーツーと鳴いた。怒り心頭の義兄は、咄嗟についた俺の嘘には気が付かなかったようだ。

 携帯をしまい、車から出てロックをかける。再びの灼熱。アスファルトから陽炎が立ち上る。

 例の公衆トイレの辺りにまで戻り、入り口に立ち尽くす男に向き合った。坊っちゃんを連れていた男だ。何の変哲もない男。顔の整った、普通の男。

――でも、俺には見覚えのある男。

 妹のやっていたBLゲームの、攻略対象の男だ。

「よお、誘拐犯さん。っつー訳で、坊ちゃんは連れ帰らせてもらうぞ」

「……っ!」

「立ち聞きしてたんなら分かるよな? 健気な話だよなあ。泣けるよ。レイプして足折って、一方的に傷つけまくったガキに庇われて……どんな気分だよ、ええ?」

 悔し涙さえ浮かべる美丈夫に思わず舌打ちが零れる。体の何処か、シャーシャーと蛇の威嚇音に似た音まで鳴り始めた。指先に震えるような違和感を覚える。良くない兆候だった。

「てめぇ、責任感が足りねぇんだよ。最近多いよなあ、碌に調べずに犬や猫を飼う奴。お前はあいつらと一緒だ」

「何の話だ……!」

「――手放してんじゃねぇよ」

 やり場のない苛立ちに壁を殴った。男は体を強張らせたが反抗的な目を止めない。

「大事なもん閉じ込めるなら、一生世話しろ。大切な宝もんなんだろ? じゃあ相応の扱いってもんがあるだろ。セックスするのは良いわ。三大欲求の一つだもんな。飯食わせて良く眠らせて、相手に尽くして尽くして尽くしまくって性欲満たしてやれ。欲しいもんがあるなら全部かき集めて、てめぇの自由も人権も明け渡せ。“部屋から出られない”以外何の不自由もない生活をさせてやるんだよ。それが相手から全部を奪った以上、筋ってもんだろ」

「お、前……お前、まさか、お前も、俺と同じ……」

「は? 一緒にすんじゃねえ。俺は一般論の話をしてるんだよ。お前も分かってんだろ? 監禁で収めないと、何しでかすか自分でも分かんねえ癖に。泣き喚いても絶望させてでも、逃がしたくないぐらい――閉じ込めたいくらい好きになっちまってんなら、抑えなんてとっくに効かなくなってんだろ。そこまで愛したい奴が出来ちまったんなら、広くて住みやすい部屋で可愛い可愛いする。それしかもうねえだろうが」

 今のところ幸いにも俺に好かれた哀れな人間は居ないが、もしも惚れた相手が出来たらそうするつもりだ。お前もそうするべきだった――そう締めると、男は惚けたように俺を見ていた。

「じゃあ、俺が緑を傷つけてなければ……」

「見逃してやってもよかったぞ。ましてや同意の上だ。馬に蹴られるつもりはなかったな」

「っなん、何なんだよお前……!?」

 慄いた男が俺から一歩退く。未練がましく坊ちゃんの乗る車を見ながらも、妙なところで理性を残しているらしい。異常者を見るような目で俺を凝視している。

「同意の上!? 何が同意だ……!! 俺は閉じ込めて犯して傷つけただけだ! 例え怪我をさせなくたって、お前が言うように尽くしたって、監禁されている緑が俺を好きになる訳がない!! 普通嫌われるとは思わないのか!?」

「意味わかんねえやつだな……惚れられるまで部屋から出さなきゃいいだけの話だろ」

「お前、イカれてるのか?」

 何故俺は犯罪者にドン引きされているんだ? こっちは逮捕歴もない真っ当な優良市民だぞ。

「……四六時中、自分以外ずっと俺しか居ない空間なら、狂わないために勝手に惚れてくれるだろ? 勿論、好いてもらえるよう努力はするがな」

 我ながら実感の籠りすぎた言葉に男は目を見開いた。話過ぎたようだ。遅まきながら口を閉じ、顎を摩った。

 人を監禁し、絶望させておきながら、このような半端なやり方で緑坊ちゃんを傷つけるだけ傷つけ、自分のみ気持ち良くなっていたこの男に腹が立っていた。……だが、それでも彼は坊ちゃんの思い人なのだという。

「おい、次は上手くやれよ」

「っ……わ、かった」

 頷いた男の目をじっと見つめ、その言葉に嘘がないことを確認する。誠意は感じる。この男、白樺 恵五しらかば けいごの第六感は『転移メタスタシス』だ。望めば何処へでも逃げられるし、何処へでも侵入できる。俺から逃げずに話を聞いているだけ、まだこの男には取引するだけの信用があると認めよう。

「ほらよ、俺の名刺だ。ここにコールすれば盗聴のリスクもない」

「……ああ」

「すぐにとはいかないが、俺が緑坊ちゃんとお前を取り持ってやる。精々愛想尽かされないように頑張るんだな」

「!! あ、ありがとう……!」

 大切そうに名刺を仕舞い込むのを見届け、踵を返す。車を出す直前にふと振り返ると、寂しそうな顔でいつまでも、白樺はこちらを――スモークガラス越しに、坊ちゃんを見つめていた。

「大事なもんは抱え込んで大切にしなきゃいけない。……何でどいつもこいつも分かんねえのかな」

 変な話だ、と呟きながら、俺は自身のコレクション部屋を思い浮かべた。

 綺麗な宝石、希少なコイン、稀覯本。大切なものを全て詰め込んだ部屋。誰にも入れない。傷つけられたくないものは全て隠して閉じ込めて、最上級のお世話をする。

 それが普通だろうに。

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