第三話 俺もヤンデレられる側
坊ちゃんに関する報告を終え、自宅に戻った頃には夜明けが近かった。
邪魔なスーツや装備を脱ぎ捨て、蛇に変化したままの指先を苦々しく見る。俺の第六感は幅の広い使い方が出来るが、その代償にオンオフの切り替えが上手く出来ない。
第六感という超能力は、それぞれの能力に対応した空気中の“何らかの素粒子”を取り込むことで発動する。炎を興すやつ同士が同時に火の素粒子を使用しようとしたら奪い合いになるが、その横で水を出そうとしても、水の素粒子は独占できる。そんな具合だ。
俺に至っては何を取り込んでいるんだか分からないが、その素粒子――学会ではシックスと呼ばれている――を一度使うと、暫く体に定着して離れなくなる。
医者には「多用すると二度と人間に戻れなくなりますよ」と忠告されたこともあった。自分では制御しきれない能力なのだ。
変化したままの指先からシューシューと不機嫌な音が鳴る。人間のものとも思えない鱗に右腕の半ばまで覆われ切っていた。そのせいで、こんな時期だというのに――
「寒い……」
エアコンのスイッチを切り、腕を抱え込む。緑坊ちゃんを送って運転している時から、車内の冷気のせいで眠くて堪らなかった。変温動物の性質が反映されているのだろうか? 真夏に使用者を凍えさせるなど、最悪の第六感で笑いも出ない。
湯船に湯を注ぎ、入浴することで血液を巡らせようと画策する。温度は悩んだ末に35度だ。経験則からして生身の方の体温に合わせれば何とかなる。だが、鱗のある部分に湯がしみ込むように温度が変わっていく感覚は気色悪く、風呂に入るのは憂鬱だ。
うつらうつらと眠気を耐えながらソファーに座って湯が貯まるのを待っていると、正面のバルコニーの戸が開く音がする。
はっと身を起こすより早く、外の熱気を連れて黒衣の男がソファーに乗り上げていた。
「ひさびさ、ぶり」
「……アセビか」
身構えた体を戻すと、アセビは状況を察したように俺の鱗を何度か撫でた。
「ご飯、食べ、た?」
「食ってない」
「作る」
勝手知ったる足取りでキッチンへ消えた背中を見送り、戸が開いたお陰で温度が上がってきた肩を回す。コンロに火が付く音、包丁が規則的にまな板を叩く音。
アセビ――馬酔木はその名の通り、毒使いの殺し屋である。無論、攻略対象である。キャラが立っているやつは基本的に緑坊ちゃんの恋人候補だ。
青葉の一族に「無能力者」が生まれたことを切っ掛けに、青葉の前当主が海外から呼び寄せた殺し屋だ。この「無能力者」というのが曲者で、なんと他者の能力を消すことが出来る。我が国の国防の要である結界は王族に代々伝わる第六感で保たれており、無能力者――緑坊ちゃんは青葉一族の地位を揺るがす危険因子として、前当主から疎まれていた。
まあ俺も詳しくは知らないが、『アセビが坊ちゃんに毒を盛りまくって自分に依存させて「捨て、ないで。おれのこと、必要、でしょう……っ?」って聞くところがめっちゃ萌える』らしい。違法性が最も高く、愛した相手をぶっ殺しかねない薬の盛り方が衝撃だったので覚えている。
――そんなアセビが何で俺んちで飯を作っているのか。これに関してはマジで俺も分からん。
「できる、た」
「ああ、うん……」
冷蔵庫の中身を生かした焼きそばが、皿に乗って目の前にやって来る。その天辺にあたかも「食べられますよ」とばかりに載せられているのはゴマに酷似した種子だ。
麺を引っ張り出し、口に含む。ソースの濃い味と、青のりや鰹節の風味が口に広がる。そしてふわりと香るこの薫り――
「ケシの実だな……」
「うま、い?」
「ああ、うん……」
ポピーシード自体には何ら問題はない。それをアセビが出してくるから異常に不安を掻き立てられるだけだ――などと思いながら食べ進めていると、舌に独特の痺れを感じ、すぐさま第六感を使う。
「おい、マジでやめろって。明日も出勤前に検査があるんだぞ」
「ちょと、だけ。どうせ、効かない」
「効かないからって人にアヘン盛るんじゃねえ。お前のせいで明日俺はスプリットタンだぞ!?」
口内は蛇に似た構造に変わり、舌は先が割れ細くなっている。毒液の滴る牙を剥きだして睨むが、アセビは悪びれる様子もなく「あーん」と焼きそばを突っ込んだ。
「食べなきゃ、元気、出ない。シュウジ、いっぱい食べろ」
「っぐ。作ってくれたことには感謝するが、一服盛るのはやめてくれ……」
再び食事に戻ると、アセビは満足げに俺の横に座り、腕を温め始めた。
「ヤク盛っても、怒らない。ちょろい」
「は?」
「あっためる。許せ」
「……ハァ」
アセビのこの鍛え上げられた体は、人を殺すためのものだ。人外寄りの俺に勝るとも劣らない筋肉質な体。所々妙な輪郭を描く足には、一体幾つ刃物が仕込まれていることか。おちおち微睡むこともできず、感じていた眠気はすっかり吹き飛んでいた。
――まあ……第六感使ったらどうせ刃物刺さらないし、別にいいか。
代償として一生人型に戻れなくなる説があることを除けば、アセビによる暴力は特に恐ろしくもなんともなかった。
「シュウジ、いつ、蛇になる」
「さあな。俺が戻れなくなるの知ってるの医者とお前だけだし、オーバーワークでその内デカめの蛇になって……戻れなくなって、業者とかに知らずに害獣駆除されるんじゃないか」
「大丈夫、アセビが飼う」
「結構です……」
「大丈夫、アセビに毒、効かない」
お前の心配をしている訳ではない。そう言い放つには、焼きそばがあまりに美味しすぎた。俺はそれを食べながらにして製作者をディスるほど、厚顔無恥ではなかった。
「シュウジが。蛇に、なったら、
「誘拐すな。通関には気を付けろよ」
「抜かり、ない。海、から、小さい船、で、出て。シュウジ、あったかい、とこで、アセビと、暮らす」
焼きそばを食べ進める間も、アセビの妄言は続いた。
――シュウジはアセビ以外とは居られない。その毒は人を傷つける。嫌われて、疎まれて、殺されるから。
――アセビだけが傍に居られる。シュウジが蛇だと分かるのも、そのお世話が出来るのも世界でアセビだけ。
――早く戻れなくなってしまえ。シュウジは蛇。シュウジは毒蛇。シュウジは怪物。アセビと同じ、人を殺すのが得意な生き物になる。一緒になろう。早く、一緒に。化け物になって。
呪いに近い願望が耳から流し込まれる。黙って食事を摂る内に、腕は人のものに戻っていた。
「もう温めなくていい。俺は風呂入って寝るから、お前ももう帰れ」
「あー、あ。戻った。シュウジ、もっと働け」
「そんなに働くの好きじゃないから嫌だな……」
「なら、待てない、くなった、ら。アセビが、シュウジのこと、半殺し、にする、な」
「宣言やめろ。いいから帰れ」
しっしっと手で払うと、アセビは最後に懐から何かを取り出し、俺の手に握らせた。
「やる」
「おお……おおお……!!」
人間の目玉ほどのサイズの宝石だった。俺の目に狂いがなければ上等なピンクダイヤモンドである。照明に翳して覗き込むと眩しいほどの煌めきが光を反射し、俺の視神経を刺した。
長期出張中に世話が出来ず、第六感のせいで時々毒を垂れ流す俺にペットは飼えない。生来の愛玩欲求を受け止めるのに無生物は最適で、磨いて削って装飾品に加工できる宝石類は特に好ましかった。
アセビの持って来るものはみな鑑賞に堪えるものばかりで、今回のものも至極美しいものだった。
「アセビ……!」
「おう」
「愛してるぞ……ッ!!」
軽くハグをしてやると、アセビは「へへ……」と笑いながら俺に応えた。これが俺が、アセビが殺し屋であり犯罪者であり――何故か俺に薬を盛るくらい邪な気持ちを抱いていると知りつつも、彼を拒めない理由の内の一つである。
ちなみに二つ目の理由は――彼の飯が、単純に美味いからだった。
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