第3話

 結局、寝たのか寝ていないのかよくわからないままアラームが鳴り、無情にも朝を迎えてしまった。

 顔を洗って少しは頭がはっきりしたものの、欠伸が出るのは抑えられなかった。昨晩のやり取りを思い出して、不意ににやけてしまったが、その顔が鏡に映って気色悪い。そのままダイニングに向かうのははばかられたので、顔にきゅっと力をいれて無表情を装うと、朝食を用意している母に、なに変な顔してるの? と怪訝そうな顔をされて、一日が思いやられた。


 ホームルーム前の教室はいつも通りだったが、僕は自然と赤澤さんを探してしまう。彼女は入ってきた僕に小さく手を上げて挨拶すると、女子達の会話に戻ってしまった。中にはいまの挙動を見て、どうしたのかと僕の方に視線をなげかける子もいたが、誰に向けたのかわからなかったのだろう、すぐに輪に戻っていった。

 僕もまさか、おはようなんて挨拶をしにきてくれることまで期待したわけではない。好きなのは僕の方で、向こうは違うのだ。残念なことに。

 赤澤さんの席は昨日いたのと同じ、窓際の前の方で、僕はほぼ教室のど真ん中という位置関係なので、左斜めやや前方に視線をやれば、彼女の後ろ姿がながめられた。

 ホームルーム中、担任が話しているのは聞こえたが、僕は見るともなしに彼女の背中と茶色い髪を視界の片隅に入れていて、まったく頭に入ってこない。露骨に見ていたわけではなかったと自分では思うが、何をボケッとしている? と名指しで注意されてしまって、不本意ながら注目を浴びてしまった。その時、振り向いた彼女と目があってしまって、あわてて視線をそらす。こちらを向いた赤澤さんは、注意されたのが僕だと認識すると、一瞬、にやりとしてすぐ前を向いた。

 ふられる、ということにはどれほどの辛さがあるだろうかと僕は思う。昨日、赤澤さんは泣いていたし、僕だって恋を諦める時にはそれなりの苦しみがあった。

 けれど、彼女を見ていると、普通に元気で、友達ともしゃべって笑って、そんな素振りはみじんも見せない。家に帰ったらまた泣いたりするのだろうか? それとも自分の都合の良いよう解釈するならば、僕と話したことで本当に救われたのか。そんな単純であるはずはないけれど。

 はためには赤澤さんはいつも通りで、周囲も変わった様子がない。あの想いは彼女一人しか知らなかったのだろうか。確かに大迫君は人気がある。だからこそ誰にも言えなかったのかも知れない。

 やがてチャイムが鳴って、一限目がはじまった。


 帰りのホームルームも終わって、三々五々と皆が帰り支度を始めた頃だった。遅ればせながら、僕もカバンを持って席を立つと、帰るらしい赤澤さんが女子三人で連れ立って、教室を出ていくのが見えた。

 僕はその後ろを追うようなかたちになって、下駄箱を過ぎ、通学路を歩いていく。何となく赤澤さんをつけているようで居心地が悪くて、もっと後で教室をでれば良かったと後悔した。

 やがて十字路で彼女が手をふると、道が違うのだろう、また明日という声が聞こえて、二人が別方向に歩いていく。一人になった赤澤さんは、くるりと後ろの僕を振り返って、手招きした。

「加賀見君、一緒に帰ろうよ」

 後ろを歩いているのは知っていたらしいが、僕の方はその申し出に戸惑って、あたふたしてしまう。

「お礼、してないでしょ?」

「礼なんて、いいよ」

 じゃっかん、顔が熱くなるのを感じながら返事をした。

「昨日もLINE送りまくったら気が晴れたし、お礼させてよ。たいしたことじゃないから」

 気が晴れたのなら、それは結構な事だ。いつまでもめそめそしているイメージはない子だったが、それでも僕が役に立ていたのなら嬉しい。

 僕がうなすくと、彼女は少し嬉しそうな顔をした。

「コンビニ寄ろうよ。アイスおごってあげる」

 アイス、まあそれくらいかな、と僕は思う。自分の下心を計算に入れれば、本当にたいしたことはしていないのだ。


 コンビニのベンチで、一人分の間を空けて、並んで座った。カップルに見えるだろうかと益体もないことを考える。

 僕はあずきの、赤澤さんはミルク味のアイスバーを黙々と口に入れている。

 やがて赤澤さんは食べ終えると、ポツリと言葉をもらした。

「なんかさ、見た目だけで決めるのはよくないよなって思った」

 僕はその言葉にどきりとする。自分の事を見透かされているような気がしたのだが、続く言葉でそれは打ち消された。

「かっこいいなって、それだけだったんだよね。顔が良かったからかな、話しても面白く感じたんだけど、贔屓目ってやつ? いま思えばたいして面白くなかったかも」

 最後は笑っていた。

「彼女がいるし、いなくてもその気にならないとか言って、ひどくない? 最後、余計だっつうの」

 確かに余計だと思う。その言葉がたぶん、彼女に涙を流せる事になったのだろう。僕にはその無神経さが許せなかったが、これも贔屓目というやつだ。そもそも涙がなければ僕は一目惚れなんてしなかった。

「結局、たいして好きでもなかったんだなって、今は思うけどね」

「でも、行動に移せるのはうらやましいかな」

 僕のこれは、本音だ。そもそも僕は行動を起こしたことがない。

「誰か気になる人いるの?」

「いや…」

 そんなことを聞かれても、言葉を濁すしかない。今まさに見た目で好きになってしまうことの愚かしさを拝聴している最中なのだ。

「できたら相談するよ」

 その相談は、たぶんできそうにないと思いながら、追求を逃れるためにてきとうな事を言う。

 彼女が、絶対だよ、と頼もしそうに破顔しているのがまぶしかった。


 

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