6-2 告解

「ラキア、お茶入ったよ」

「ありがとう」

 ぼんやりと窓の外を眺めていたラキアは芳しい紅茶の香りに振り返った。

 盆に三人分のティーカップを持ったサラの本日の髪型はお団子。『可愛いでしょ、可愛いでしょ』と朝からメリルに感想を追及された。可愛いと恥じらいながら言ったところ、『もっとないの、ぎゅっと抱きしめたくなるとか』とダメ出しをくらった。今でいっぱいいっぱいなのに、そんなこと言えるはずないとラキアは苦笑を漏らした。

 その髪が間近で揺れ、カップが静かに置かれる。

「晴れないね」

 さっきまでラキアが見ていた窓を見つめ、サラがぽつりと呟く。がたがたと桟が嫌な音を立てている。泣いた日以来、外は吹雪に見舞われていた。一歩先はもう白く塗りつぶされ、歩くこともままならない。

『いつまでもいたらいい』

 メリルのその言葉に甘え三日目。止む気配はない。

「いつまでも長引くとさすがにね」

「うん……」

 サラの声は重い。顔が晴れないのは、この天気が終わればメリルとお別れになるからだと安易に想像できた。記憶を失ってからの初めての友達なのだ。サラの中でいつまでもお世話になってはいけない、もっと一緒にお喋りをしていたいがせめぎ合っていた。

「サラ……」

 何か話しかけてあげたいと腕に手を伸ばす。

「いい匂いー」

 タイミングよく、ラキアにとっては悪く、豪快にメリルが扉を開けた。二人の様子をまばたきもなく見つめ、にたぁと笑う。

「あらいやだ、お邪魔でした?」

 そのまま扉に手をかけ、廊下に出ようとする。

「邪魔なんて思ってないよ! 誤解しないで!」

「ラキアさん顔真っ赤ですよ。大丈夫、扉の隙間からそろりと見てますから」

「全然大丈夫じゃないよ!?」

 いつの間にかラキアはツッコミのスキルを上げていた。

 サラは上目でそんな二人の様子を見ながら、一人紅茶を啜る。喋らないのは『触らぬ神に祟りなし』と本能的に理解したからだ。

(もう少ししたら話し掛けよう)

「いいですか! そういうのはヘタレというんですよ!」

 メリルが人差し指を突き立て、捲し立てる姿に思わず笑ってしまった。

 ラキアは内心で早く話題が逸れてと叫んでいた。




 蝋燭の揺れる下、二人の少女がベッドの上で向かい合っていた。

「サラちゃん……」

 指を絡め、メリルは視線を落とす。

 彼女の部屋で就寝を共にして数日、こんな顔を見たのはサラにとって初めてだった。シーツをぎゅっと掴み、メリルは決意し猫目のような瞳を真っ直ぐサラに向けた。

「お願いがあるの」

「なに?」

 メリルは胸元のボタンを外し、中から大切そうに金色に輝く楕円形の物を取り出す。鎖の音が余韻として耳に残る。

「この人を見つけたら、早く帰ってきてって言ってほしいの」

 楕円形のペンダントはロケットだった。中には同じぐらいの歳の青年が一人、子供っぽい笑みを浮かべていた。

「この人は?」

 訊きながらサラは微かに感じ取った。メリルは愛おしそうにロケットを抱えている。無意識にラキアの顔が浮かんだ。彼女にとってこの人は。

「キメっていうの、婚約者なの」

 サラの瞳が見開かれる。

「ラキア君が使ってる部屋ね、キメの部屋なの……全く、あいつはどこをほっつき歩いてるのよ!」

「えっ!?」

「ありえない! もう一か月になるのよ! 探しに行ったらあんなことになるし、まぁサラちゃんと会えたからいいけど。でもさ、一週間ぐらいで帰ってくるって言ったんだから、それ以上になるなら連絡ぐらいよこしなさいって、そう思うよね!」

「あ……えっと、うん」

 しんみりした空気で話が進むと思ったが、見事に裏切られた。実に彼女らしい話展開。サラは目を泳がせながら、どうにか自分を場に馴染ませる。

 笑顔を向けている写真に、メリルは舌を突き出した。

(婚約者か……)

 サラは微かな光に照らされる自分の薬指を見つめ、渡されるかもしれない指輪を思い描く。彼のことだから、そんなに派手な物ではないだろう。控えめなシルバーリング、ちょっとレリーフが彫られていて――

(何考えてるんだろ、私)

 妄想に思わず赤面してしまう。

 何もついていない左手を握って開いて、それでもと思う。

 脳裏で彼が微笑む。

(私は、ラキア、貴方から貰いたい)

「お? いい笑顔してますね。もしやラキア君のことでも考えてました?」

「何で分かるの!?」

「恋する乙女のことは手にとるように分かりますから。で、何でそんなに好きなのに告白しないの」

「……私に記憶がないから」

 言葉を零した唇に手を添える。思えばラキア以外にこのことを言うのは初めてだった。面と向かってはっきりと、自分の内情を喋る友が出来るなんて、想像してなかった。

 メリルは猫のような目をぱちくりさせ、サラの言葉をゆっくり理解している。

 そっと手を握られた。

「何も覚えてないの?」

「何も」

「それって寂しくない?」

 眉をハの字にしたメリルの顔が、静かにサラの心へ浸透していく。彼女の言葉を反芻する。寂しいなんて……。

「思ったこともなかった」

 驚くほどに負の感情を持っていない自分がいた。旅を続け、記憶に対しての執着が段々と薄れている。過去の自分を取り戻すための道なのに、今は彼が隣にいてほしいと願うばかりだ。

「サラちゃんってラキア君のこと好きなんだよね」

「……うん」

 肯定するのはいつも恥ずかしい。

 火照る顔を手で覆いながら、それでも指の隙間からメリルの顔を覗く。彼女は頬を掻き、何かを考えている。

「あたし思うんだけどさ……サラちゃんって好きな人はいないよね」

「えっ……ラキアのこと……」

「ラキア君が好きなことは見るからに分かるから。そうじゃなくて記憶を失う前にってこと」

 霧のかかる先に恋い焦がれる人は、いない。

 瞳を閉じ、霧の中に誰かいないかと探る。手を伸ばし、爪を立て、深い乳白色を切り裂き、誰かと叫ぶ。

 愛するそんな人は……。

「心の記憶と身体の記憶ってよく言うじゃん。きっと好きな人がいたら、ラキア君にはなびかないと思うんだよね。今のサラちゃんみたいな恋をしているのなら、なおさら」

「私……そうなのかな……」

「そうだよ。サラちゃんこの恋成就させなよ! 告白だよ、告白!!」

 メリルがサラの両肩を掴み揺さぶる。もう彼女の中ではカップルになった二人しか想像していない。

 サラはその煌々とした目線から顔を逸らし、ぽつりと呟いた。本当にいないのかと自問自答しながら。

「私ね、ラキアに重なって懐かしい顔を見た気がするの」

「お、新情報」

 メリルはふむふむとメモをとるフリをする。

 あの時と同じようにサラは胸を撫でた。ラキアと会って、初めて顔を合わせた時、見た幻影に浮かんだ感情は追憶と恋慕だった。誰かを愛していた可能性はあるのだ。

「もうその人の顔はどんなに足掻いても思い出せないけど、確かに見た。ラキアとどこかに通じる何かがあったような……」

「それって……」

 悲鳴が静かな夜に響いた。メリルの頬は高揚している。

「きっとそれ、ラキア君が初恋の人なのよ。物語の中みたい。再び逢った二人はまた互いに惹かれ合い、愛に落ち、やがては……素敵!」

 テンションの上がった彼女は執拗にサラの肩を叩く。どこまで妄想が暴走しているのか、寸劇まで始まり、苦笑を漏らすしかなかった。内容はアレだし、モチーフになっている二人のキャラは違う……ラキアはそんなこと言わない。

(…………初恋)

 忘れてしまった相手はそんなに幼かっただろうか。

 もし過去から繋がり惹かれているのなら、こんなに幸せなことはないだろう。

『本当ニ?』

 はっとして、閉じかけた瞳を見開いた。

 今、誰かが霧の向こうから問いかけた。嘲笑う声が聞こえる。顔は見えない。それでも見下し、愚かだと言っていた。

 冷汗が落ちる。その先を知りたくないと、自分の意志で高笑う声を封じる。記憶に関わることだったかもしれないが、今は消したくて仕方ない。

 息が詰まる、呼吸ができない。

「で、サラちゃんが」

 音が聞こえるようになった耳にメリルの言葉が滑り込む。自分を落ち着かせるためにその声を聴いていると、途端に恥ずかしさが込み上げた。

 嘲笑う声も忘れ、サラは叫んだ。

「何想像してるの!」

 不穏な声を封じた次は、メリルの口を封じる番だった。




 雪が止んだ。

 空を見上げれば青が広がり、地面は雪の照り返しで眩しい。

 目を細めたラキアの前へ荷馬車が止まった。中から中肉の男が慣れた手つきで飛び降りる。

「準備はできたぞ」

「すみません。ありがとうございます」

「いいのさ、目的地が同じ王都なんだから」

 この男がメリル宅に訪れたのは朝方のことだった。三人で談笑している時、といってもメリルが一方的にラキア達をいじっていたのだが、外で微かに物音がしたかと認識した時には、メリルは玄関へ飛び出していた。そして落胆して戻ってきたメリルの後ろに付いて入ってきたのがこの人だった。

『目覚めてたのか、良かった良かった』

 第一声がこちらを知っている感じだったが、ラキアは全く思い出せない。

『お久しぶりです』

 対照的にサラは一目見ただけで男が誰なのか分かっていた。ラキアはそっと彼女に耳打ちをする。

『誰……?』

『ラキアをここまで運んでくれた人』

 記憶が抜け落ちたあたりの話かと、ラキアは姿勢を正し男に頭を下げる。その時の記憶はまだ戻っていない。まるで別の何かが自分の身体を動かしたみたいだ。

『あの時はありがとうございました』

『こっちこそメリルを助けてくれてありがとう』

 その謝辞にラキアは苦笑を浮かべるしかなかった。

『で、何?』

 脱力したメリルは椅子に品なく座り、ひらひらと手を振る。

『やっと晴れたから、俺は王都に向かおうと思ってな。それでお前らの目的地と方向が一緒なら送っていこうと思ったんだ。どうだ?』

『出発はいつなのよ』

『今日の午後だ』

『は!? 今日!?』

 テーブルを叩き、メリルは立ち上がる。真っ先に見たのはサラの顔だった。

『急だからな。ま、相談だよ、相談。ちゃんとお前の件は確認してくるから』

『…………』

 すとんと座ったメリルはサラから目線を外せなかった。サラもまた、友の顔色を窺っている。

 ラキアは言葉を紡げなかった。雪道に馬車を出してもらえるなんて通常なら飛びつく話だが、彼女らの顔を見れば勝手なことなど言えない。突然訪れた別れは場に拒絶されつつある。

『すみません、考える時間を』

『お願いします』

 声が遮られ、ラキアは声の主に驚愕する。サラは意志のこもった瞳をしていた。

『おお、いいのか?』

『はい、また会いにきますから』

 早々と言葉を残し、サラは席を立った。忙しく扉の向こうに消えた彼女を慌ててラキアは追った。

『サラ』

 彼女がいつも使っていたメリルの自室をノックもなしに入る。女子の部屋のため、ラキアは極力近づくことはなかったが今はいいだろう。

 初めて入った部屋で、サラは床に座り込み荷造りを始めていた。

『いいの?』

 質問に怪訝な表情が返ってくる。

『何で?』

『何でって……急だし、サラとメリルさんは』

『ずっとは居られないから』

 笑った顔には少しばかり苦みが混ざっていた。

『こんな風に押す何かがないと、きっと私はずるずると居続けるかもしれない。丁度いいの』

『サラがそう言うなら』

『また会いにくればいいもん』

『その時はラキア君と一緒よ!』

 背後から声がして、振り返るといつの間にかメリルが立っていた。憂い顔はない、いつものいじりたそうな表情だ。

『午後まで時間あるし、話しながら荷造りしましょ。それから台詞の練習ね』

『台詞?』

『ラキア君はしっかり自分の荷造りしててね』

 質問には答えてもらえず、問答無用で部屋から追い出された。

(結局、台詞ってなんだろう……)

 荷物を持ち直しながら、サラが出てくるのを待つ。やがて黄色い声がして、二人が家から出てきた。

「待ちましたか?」

「いやいや、メリルと出た時に比べれば早いよ」

「ちょっと、あたしを引き合いに出さないでくれます?」

「忘れ物とかない?」

「うん……」

 サラの目が泳ぎだし、メリルの方へ流れていく。追って彼女の方を向くと、何故か笑顔で威圧感を放っていた。

「あ、あのね!」

 メリルの視線を気にしながら、サラは言った。

「ずっと一緒にいようね」

「あ、うん」

 あっさりとしたその物言いに横からちくちくと刺す視線があった。ラキアはそちらにいる人物に恐怖を覚える。自分は何かを間違えたらしい。そろりと目線を向け、見てしまった彼女に肩が震えた。

 メリルは心底つまらそうな顔で睨んでいた。

 しっかりと一字一句きってゆっくりと、声のない言葉がラキアに浴びせられる。

 ど・ん・か・ん・や・ろ・う・が。

「えっ……何かごめんなさい」

「どうしたんですか、ラキア君? 急に謝りだしてぇ……」

 何かを背負ったメリルが近づき、腕を掴む。力がこもっているのは気のせいではない。

「サラちゃん!」

「はい!」

 ラキアの死角でメリルは口だけの言葉をサラに贈る。頑張れ、と。

 穏やかに二人は笑い出す。

「そろそろいいか?」

「はいはい、行った行った」

 ぐいぐいとメリルに押され、転びそうになりながらもラキアは荷馬車に乗り込む。引き上げるために差し出した手に、白く細い手が重なり強く握り返される。触れても構わない、その事実がとても愛おしかった。

「メリルちゃん、じゃあね」

 外の風景が動き出す。車輪の跡がメリルの横、真っ直ぐに雪の上に残り、彼女が小さくなる。

「またね!」

 勢いよく挙げた手が左右に振られる。

「あ、あれ?」

 隙間から外を眺めていたサラが不意に驚きの声を漏らす。

「何でこんなに涙が溢れるんだろ……」

 掌で懸命に拭うが、止まること忘れたのか黒曜の瞳からは絶えず涙が零れ落ちる。

 そっとラキアは空いた手で彼女の頭を抱いた。いつもは真っ赤になってできないことだが、この時ばかりは自然と恥ずかしさは込み上げてこなかった。

 サラはその温度に抱かれ、瞳を閉じた。




 不意に荷馬車が大きく揺れ、止まった。その音と動きにラキアの意識は闇から引きずり出される。起きた彼の腕の中ではサラが静かに寝ていた。

 黒髪に指をとおし梳く。ぼんやりと彼女の寝顔を眺めていると途端に外が騒がしくなった。

 寝ぼけていた脳が覚醒する。

 彼女を起こさないように身をよじり離れるが、瞼が震えサラは薄く瞳を開いた。唇が出しづらそうながらも言葉を紡ぐ。

「どうかしたの?」

「分からない」

「キメじゃねぇか!」

 くぐもっていながらも聞こえた声にサラの身が反応する。重く垂れ下がった幕を持ち上げ、荷馬車から這い出て見たのは、月のない空と雪の消えた地面だった。相当な時間、二人して寝ていたらしい。

 闇の中で交わされる、男二人の声は穏やかではなかった。

「どうしたんですか?」

 サラの声は緊張で震えていた。

「お前ら……すまねぇがここからは徒歩でもいいか……」

「キメさんって聞こえたんですが、何があったんですか」

「嬢ちゃん、メリルから話聞いてたのか」

 サラの微かな頷きに、男は半身横にずれる。隠れていた背の低い男がばつの悪い笑みを浮かべ頭を掻いた。背後には彼のサイズに合わせたような小さな荷馬車。その荷台には物がなく、男一人毛布に包まり横たわっていた。

 瞳は固く閉ざされている。

 サラは嫌な予感に、喉の奥で悲鳴を上げた。

「寝ているだけだ。でも、一向に目を覚まさない」

 男の言葉に、合わせたわけでもないのにラキアと目線がぶつかる。二人の心はひとつだった。

 少年は待たせた罪悪感。少女は押しつぶされる不安。

 このことがメリルに降りかかるのか、とサラは手を握った。

「すまねぇ、本当にすまねぇ……」

「メリルちゃんのところに、早く連れて行ってあげてください」

 早く目覚めてほしいと願う。王子様のキスならぬ、お姫様のビンタでもなんでもいいから、と。

 東の空が明るい。朝が来る。

 瞼はまだ持ち上がらない。




 ノックの音はした。しかし相手は返事も聞かず、悠然と客間に入ってきた。

「入っていいと言った覚えはないぞ」

「待っても返事はないでしょう」

 イオの言い草にメキアラは眉根を顰める。彼の顔にはいつもどおり妙な笑みが張り付いていた。メキアラは城に来てから、この顔か何かを含んだ表情しか見ていない。

 人間味があまりにも欠落している。

 どうしてこうも欠落した人間ばかり周りに集まるのか。メキアラはこれ見よがしに溜め息を吐く。あの青年も、この男も笑顔で感情を塗り固め、なくしたものをひた隠しにしている。

(神の方が人間臭いとは)

 メキアラは目線を合わせたくないがため、窓の方を向いた。雲がゆっくりと流れ、穏やかなことを伝えている。

「メキアラ様」

「馴れ馴れしく呼ぶな」

「死神と呼ばれた青年と記憶のない少女、どちらが『敵』ですか」

「……敵……」

 脚を組み替える。

「どこからそんな結論が」

「人間を嘗めないで下さい。簡単なことです」

「お前は変なところで頭が回るようだな、人間としては些か不備があるようだが」

「不備とは何ですか? 私はいたって普通の人間ですよ」

「嘘を吐くな」

「なら貴女は真実を喋ってください。誰を庇っているのですか」

「庇うだと」

「メキアラ様は『均衡を望む』と仰いましたが、私には考えても庇っているようにしか見えなかったのです。あの時の笑みもわざとでしょう」

「常にわざとのお前が言うな」

 誰よりも虚実くさいお前がその台詞を吐くのか。真実を見せない奴が事実を教えろと。

 苦手だ、嫌いだ。

 穏やかだった空が赤く染まってきた。城下では家から煙が立ち上り、子供は帰路を急ぐのだろう。それに比べてここはどこまでも対極の場所にあった。待つ者などいない。互いに腹を探り合い、見つけ次第抉る。これから舞踏会に向かう貴婦人みたいだ。

「お前、もしもその二人が関係なかったらどうするんだ。庇っているかもしれない者のためにそいつらを差し出すかもしれないぞ」

「それはありませんね」

 メキアラの顔がいっそう険しいものになる。

「人を救った貴女様が人を生贄にするなんて。それとも『神』はそれも厭わないのでしょうか」

「神への供物なんて人間の自己満足だ」

 腹を晒しているは自分だ、とメキアラは胸中で舌打ちした。イオはもう二人のうちどちらかが敵だと確信している。否定の言葉をメキアラは最初に言っていない。

「そろそろ日も暮れてきたことですし、回答をいただけますか。死を振り撒いた少年と世にも珍しい黒髪と黒曜の瞳を持つ少女か。でなければ、二人とも処刑ですよ」

「どちらだと思う?」

「私は答えしか聞いてません」

 窓の外が紅い。

 叫びが耳の奥でこだまする。あの時の大地は夕暮れで染まっていなかった。本物の赤い、人々の醜い血と放たれた炎が大地を覆い尽くしていた。

「勝手なことを言うな……」

 暇つぶしなのか悪戯にページを捲るイオの手が止まった。メキアラは窓から目線を離さない。

「今の事態は人間達が自分で自分の首を絞めた結果だろう」

 それ故に彼らはこの舞台に引きずり出された。枷を付けられ、運命さだめという鎖に雁字搦めにされ、逢うことは最初から決まっていたのだ。

(私があの時仕留めてさえいれば……)

「メキアラ様が黙秘を続けるのなら、当人達に話を訊くまでです」

「来るのか」

「王都に向けて進路をとってますから、近々には」

「……人間のすることには手を出さん」

 イオが明らかに嫌な笑みを浮かべる。

「問いただすとき、犠牲者が出なければいいのですけど」

 くすりと零れた言葉はメキアラの耳にこびりつき不快感を残す。音を立てて閉まった扉の向こうではもう指示がとんでいるのだろう。

「お前はこの舞台に立つべき人間ではなかった……」

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哀しみ鎮魂歌 紅藤あらん @soukialan

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