3-1 隠し事
金物の当たる音と人々の話し声。女給達は忙しそうに動きまわり、宿屋と合併した食堂は繁盛していた。
その中で、ラキアとサラは端の席に座った。目敏く見つけた女将が注文を承るためにすっとんでくる。ほどよくついた贅肉が揺れた。
「ハーブティーを二つ」
「はいはい、うん?」
伝票に書きこんでいた女将はその手を止め、注文したサラの顔を見た。そして、彼女の服装と目線でなぞる。
「令嬢様……じゃないのかい?」
女将は完全に誤解していた。サラを令嬢、ラキアを護衛を兼ねた使用人と見ていた。確かにサラの容姿ならそう思われても仕方ないとラキアは思う。
あと、考えられるのが……。
「……まぁ頑張りな」
「はい」
ラキアに目線をやりながら、女将はそそくさと伝票を持って逃げた。返事したサラはきょとんとして首を傾げる。
ラキアは嘆息を吐き出した。もう一つの結論にいきついたみたいだ。
令嬢と平民の駆け落ち。
そんなんじゃないんだけどな、と心中で呟きながらサラに向かって苦笑を漏らす。彼女はただただ無垢な笑みで答えた。
ラキアはざわめきに目線を向ける。
数分後、さっきとは別の女性が二人の前にハーブティーを置いた。
彼女は意味深げにサラの顔を見ると、二人に向かってある意味でいい笑顔を浮かべ去っていった。
ラキアは女将と自分の考えが完全に一致していたことに再び嘆息を漏らす。普通こういう場所では品物と注文したテーブルを間違えないように同じ者が運びにくる。しかし女将は代わり、後者は意味深げな笑みを投げかけた。多分、面倒事を避けたのだろう。あの女将は。
恋人でさえないのに。
ラキアはハーブティーに手を伸ばすと同時に、サラの方を見た。彼女はちょうどラキアから目線を外すところだった。伏せた顔はやはり人形じみて美しかった。
令嬢と言われるのも納得できるとラキアは思った。なら、これから行くのは。
「ラキア」
サラに呼ばれ、ラキアは思考を中断した。彼女の心配そうな瞳はある一点を見ている。
「肩、大丈夫?」
「うん」
ラキアは笑顔で答え、軽く肩を回した。残ってしまった傷跡が張る感覚はあったが、痛みは消えている。応急処置がよかったと医者は言っていた。今のラキアの目線から見えないが、サラの服にはひどく破れた箇所があった。
「ごめんね、旅を頓挫させちゃって」
「いいよ、それより……」
サラの口がまごつく。ラキアもある人物を思い浮かべた。
紅い瞳が印象的だった女性。あんなに綺麗なアルビノなら記憶に残っていてもおかしくはないのに全く思い出せない。
彼女の言葉を反芻する。
『……幸せのためだ……』
ラキアの中に不穏な風が流れる。
幸せの為。
あの人はあそこにいたのか。思い出せない。
あの人は僕のことを知っているのか。判らない。
あの人は、僕の。
「ラキア?」
身を震わせ意識を彼女に戻すと黒い双眸と目線が合った。慌てて笑顔を浮かべる。
何かを悟られたくないと表面に浮かべる笑み。前は浮かべると吐き気が襲ってきて気持ち悪かったが、今は慣れた。仮面の下で浮かべる冷笑さえ、自分に向けられるようになった。彼女にあれを悟られるわけにはいかない。
サラは喋るのを止め、紅茶に手を伸ばす。ラキアに目線を合わせたまま、その整った唇で軽く口づける。
「ねぇ、ラキア。次はどこに行こっか」
カップが置かれる。彼女は全てを包み込むような、ラキアの隠していることさえ優しく抱擁してくれるような笑みを浮かべた。
「えっあ、うん」
ラキアの仮面がずれた。素っ頓狂な声を上げ、慌てて繕う。
「僕は王都に行こうと思うんだけど、どうかな」
「うん、私はどこでもいいよ」
「じゃあ、王都方面へ進路をとろう。通過点にある村や町ではできるかぎり訊いてまわるでいいかな」
サラは首を縦に振り、同意を示す。
ラキアの仮面はずれたままだった。とても今の状態では直せない。何も悟られないように口づけた紅茶はぬるく、ひどく曖昧な温度を身体に沁みこませた。
「ごめんなさい、知らないわ」
鼻を刺激する香水の匂いをラキアに残して女は去っていった。ごてごてに塗った化粧のせいで、実年齢と玉の輿を狙っているという事実がありありと分かってしまう人だった。
ラキアは何度も言われた『知らない』『分からない』の言葉に軽く溜め息をこぼした。サラも浮かない顔でラキアの元に戻ってくる。
「手掛かり無いね」
「うん……でも」
「でも? どうかしたの?」
「あ、なんでもない」
サラは慌てて首を振り、この旅がずっとずっと続けばいいなんて言葉は呑み込む。そろりと彼の顔を覗きこんだ。
ラキアはサラを不安にさせないように微笑むと、本日泊まる宿へと歩を進める。
数歩進んだところでラキアは不意に足を止めた。彼女の足音が聞こえない。何か考えているのかな、と思いながら振り返ると、サラの姿はどこにもいなかった。
慌てて辺りを見回すと、サラはある店の前で品物を見ていた。布を手にとっては平置きの台に戻し、また別の物をとる。
近づいていくと段々と彼女が何を見ているのかラキアに理解できた。彼女の裂けて太腿が覗いている服に目線を送る。
「サラ」
声をかけるとサラは声にならない悲鳴を上げた。
「驚かせてごめん」
「ううん、気にしないで」
サラはラキアに笑顔を浮かべながら、後ろ手で見ていた服を台に隠し戻す。
「宿に行こう」
「服、欲しいの?」
サラの声を遮って、ラキアは問う。
「ううん、いいのいいの」
ラキアの体を押し、サラはその場の退散を願う。しかし彼にはそれが届かなかった。サラの細い肢体を避け、店番として機能していない寝ている老人に声を掛けた。
「気持ちよく寝ているところすみません。服が欲しいんですけど」
軽く揺さぶると、老人は呻きゆっくりと目を開いた。
「服が欲しい……?」
「はい」
「お前さんがかい?」
首の骨を鳴らし、老人は椅子から立ち上がる。関節が鳴っていそうな足取りは少々不安を煽る。
「いえ、僕じゃなくて、こっちの女の子に」
「私いらないよ!」
サラは全身全霊をもって否定したが、ラキアは聞く耳を持たずある一点を見つめた。サラはそれに気づき、慌てて手で隠す。
「これは綺麗な子だね……ばあさん、客、客だ」
「あの……私、私」
サラがたじろいでいるうちに、店の中から老婆が出てきた。彼女を一目見て驚いたあと、心底楽しそうな表情になる。
「この子の服を見繕ってやってくれ」
「こんな綺麗な子をかい。あたししゃ張り切ってやっちゃうよ」
老婆はうきうきを隠さずサラの腕を掴むと、軽い身のこなしで店の中へ連れていく。サラは観念して老婆に引かれるままだったが、その足取りは決して重くなかった。
ラキアは微笑み、その背中を見送る。
「ほっほっほっ、恋人さんのプレゼントかの」
ラキアの目線の意味を勘違いして老人は言う。途端に彼の顔は驚きに転じ赤くなった。
「ちっ違いますよ! 恋人じゃありません!」
「違います! そんなんじゃありません!」
また、こちらも赤くなっていた。
おばあさんはその返答に年寄り独特の笑い声で返す。布の塊から一着引き抜いては、鏡の前に立つサラに合わせた。
「可愛いね、可愛いね」
合わせた服が可愛いのか、サラの返答が可愛かったのか、どちらともとれる言葉をおばあさんは繰り返す。
サラは赤くなった頬を見ないように鏡から視線を外した。心がばくばくする。頬は熱を帯びている。
「これなんか、いいんじゃないかい?」
おばあさんの言葉にはっとして、思わす鏡に視線を戻す。大人しい色合いのワンピースを着た少女がそこにいた。
「……これなら、ラキアの隣を歩いていても、違和感ないかな……」
彼女は自分の呟いている言葉の意味を理解していなかった。物色しているおばあさんはその言葉を意味までしっかりと聞き取り、喉の奥で笑う。
「お似合いだよ」
おばあさんの言葉にやっとサラは何を呟いたのか気づいた。さっきよりも顔を真っ赤にさせ、思わず頬を手で覆う。持っていたワンピースが板張りの床に落ちた。
「あ、ごめんなさい!」
慌てて拾おうとするサラの横で、おばあさんは物色していた物を置く。踵の当たる音でサラは視線を上げた。
「いらない物だから、あんたにあげる。その靴じゃ道中歩きづらいだろうし、安っぽいこの服じゃ合わないからね」
自嘲を浮かべた老婆の瞳がサラの足元を映す。ヒールの高い、黒光りする靴の内側は、靴擦れで赤くなっていた。ラキアが知らないことをおばあさんは一目見ただけで言い当てたのだ。布が乱雑にかかっている椅子を引っ張り出し、サラを座らせた。靴を脱がし、独特の匂いがする軟膏を塗る。少し傷が痛んだ。
「優しそうな彼だから、これぐらい言ってやりな」
「でも……こんなことで心配かけたくないです」
「なぁに言ってんだい。言わないと余計なことまで心配しだすよ」
老婆の微笑をうけ、サラは頷き薬の塗られた箇所を触る。軽度の痛みが走った。サラはラキアの顔を思い描く。
(心配させないと隠したことには痛みが伴うのね……じゃあ、ラキアは)
彼の笑顔が嘘くさいことに、サラはとっくに気づいていた。彼の苦悩は何なのか。自分に何かできないのか。模索し、結局答えは出ず、他人だということに痛感させられる。そしてただ笑うだけ。
彼の痛みはどれほどのものだろうか。多分、この程度の痛みでは比にならないのだろう。
(いつか私にそれを教えてくれる?)
瞼が下り、睫毛が震えた。
「薬、痛かったかい?」
おばあさんがその表情を見て、心配そうに声をかける。サラは首を振った。
「……言わなきゃ、って思っただけです」
「そうかい、無理はいけないよ。そろそろ着替えてお披露目しようか」
おばあさんは深追いをしなかった。ただ優しくサラの両肩を掴み、朱色に染められた布の中へ通す。
サラはそのおばあさんの優しさをありがたいと思いながら、更衣室となる布の中で頬を叩く。何か決意した表情を彼女は浮かべた。
サラを待っている時間は老人との会話で潰した。と、言っても実際は老人が一方的にからかっていただけなのだが。
奥から物音がして、老婆がにたつきながら出てきたのにラキアは気づいた。その後ろから彼女は付いて出てきた。
「どっ、どうかな?」
俯きながら訊いてくる姿は普通の少女だった。
「えっと……あの」
ラキアは顔を真っ赤にさせ、視線を彷徨わせながら言葉を探す。何も出てこなかった。おばあさんがサラの後ろで笑っている。
「似合っているよ……可愛いよ」
出てきた言葉にラキアの顔はこれ以上ないぐらいに真っ赤になった。
サラも恥ずかしさに俯く。
「初々しいねぇ」
当人よりも他者の方が恥ずかしくなる光景だった。
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