そうそううまくいくものか

山吹弓美

そうそううまくいくものか

「お前との婚約は、なかったこととする。我が妃にはお前ではなく、ここにいる我が愛がなるべきものであるからな」


 とある国の王城。そのホールにて、第一王子の成人を祝うパーティが開かれている。

 対外的なものは後々行われることもあり、本日は王都に滞在している貴族当主や大商人などを招いた非公式なものだ。

 その中にあって主役たる第一王子は、婚約者たる侯爵家の令嬢に対しそのような言葉を放った。主賓とも言える国王夫妻が登壇する前に。

 さらに、第一王子は婚約者ではなく、愛らしいがどこか頼りない別の令嬢を侍らせている。彼女の纏うドレスはまさに第一王子の髪と瞳にちなんだ色を帯びており、本来であれば侯爵令嬢が纏うはずのものであろう。


「承知いたしました。殿下」


 しかし、突然の宣告に侯爵令嬢は感情を表に出すことなく、礼をもって返答とした。周囲から注がれる視線は、どちらかといえば白けたものであることを確認して、軽く頭を振る。


「侯爵家とは言え、お前の家は領地を持っていない。つまり、父上のもとで汗水垂らして働かなければ収入はない」


「そうですわね」


「俺とお前との婚約は、その家を支えるためでもあるはずだ。だというのに、お前は俺の愛する彼女をいじめたな」


 第一王子の言い分を、侯爵令嬢は扇で口元を隠しながら聞いている。

 領地を持たぬ侯爵家当主、つまり令嬢の父は国王を補佐する宰相である。その娘である彼女は幼い頃より、王家に嫁ぐ身として様々なことを学んできた。その中には当然、己の感情を押し殺すすべも。


「婚約者がいるのに別の女を侍らせている、はしたない殿下に言われたくはありませんわね」


「いやだあ、いつもそんな事を言ってわたしをいじめるんですよお」


「言葉だけではなく、行動も伴っていたそうだな。俺の手のものに命じて、既に証拠は揃っている。なんと、愚かな」


 どちらが愚かだ、というのが侯爵令嬢の感想である。そこには全く気づかず満足気に笑っている二人に対し、侯爵令嬢は深く頭を下げた。


「ともかく、婚約の白紙化は承知いたしました。手続きその他、いろいろとございますので御前失礼いたします」


「ふん、お前なぞに俺の成人を祝われたくはないからな。さあ皆の者、改めてパーティを始めるとしよう!」


 するすると退場した令嬢を見送ることもなく、第一王子は恋人の肩を抱いて高らかに宣言した……が、宴は始まらなかった。


「お前、馬鹿だな」


「は?」


 馬鹿、と言われて顔を歪めながら振り返った第一王子、彼の視界に入ったのは白い目で自身を見つめている国王の姿だった。その隣には美しい顔を引きつらせている王妃と、そして感情を無にしている宰相……つまり、かの令嬢の父親も。


「確かに、我が家は領地を持っておりませぬ。その理由、国王陛下よりさんざん言い聞かせてきたはずと伺っておりますが」


 当の宰相が淡々と言葉を紡ぎ、視線をちらりと国王に向ける。「儂もそのつもりだったのだが」とため息をつき、王は第一王子に向けて顎をしゃくった。『理由』を答えよ、という意味だと受け取って第一王子は、盛大に口を滑らせた。


「当主を王家に仕えさせ、その能力を国のために使わせるためですよね?」


「当主本人がいるのに、言い方が酷いな。儂はそのように教えた覚えはないぞ、馬鹿者が」


「ぶぎゃっ!」


「で、殿下あ!」


 瞬間、拳が王子の顔を捉える。振り切られて吹っ飛んだ王子を追いかける恋人には目もくれず、王は自身の手を侍従から渡されたハンカチで丁寧に拭いた。


「すまぬな。これはもう、教育以前の問題であったらしい」


「そのようですな。早いうちに手を打っておいてようございました」


「わたくしも、それなりにたしなめてきたはずですのにね。お前はどうして、そうなってしまったのやら」


 呆れ顔で言葉をかわす国王と宰相、そしてひどく重みのある扇を手のひらでばしりと受け止める王妃。かれらの冷たい視線が、顔を歪めた第一王子に集中した。彼と抱き合っている娘のことは、まるで存在していないかのように無視している。

 その中で宰相は、表情も口調も変えないままゆっくりと言葉を紡いだ。


「そもそも私の家は、低い地位から代々の統治能力をもって成り上がってまいりました。四代前になりますが、その功に報いるということで侯爵位を賜ったのでございます」


「高い爵位を与えたのは、当主の高い統治能力を我が国のために振るってもらいたいからだ。領地を持たせていては、その能力は国よりも領地に多く振るわれてしまうからな……国としては、多大なる損失だ」


 国王が彼に続き、そうして足を踏み出す。起き上がった王子の顔に、足を蹴り出せば届くほど近く。ひ、とかすかな声を上げた娘に一瞬だけ向けられた視線は、まるで塵芥を見るかのよう。


「さて。侯爵家の跡取り娘との婚約を破棄し、どこぞの小娘と勝手に婚約発表。それでどのようなメリットが国にもたらされるのか、今ここで説明してみよ」


「あの女は、身分の低い者に対して暴虐を働いておりました。そのような女に、王家の血を引く子を産ませるわけには参りません」


「ん、それで」


「私には、真実の愛を誓ったこの娘がおります。彼女であれば私に寄り添い、よく働いてくれるはずです」


「殿下、ありがとうございますう」


「貴様には発言を許しておらぬ。で……他には?」


「え?」


 言葉を封じられた娘はガクガクと震え、そうして王子の胸に顔を埋めた。その王子は、愕然とした表情で父王の顔を見上げる。

 もしや、第一王子はその程度の内容で国王が納得するとでも思ったのだろうか。


「それは、単にお前たちにとってのメリットでしかないな。だいたい、婚約者が自分を放置しておいて別の女にうつつを抜かしておれば、誰でも怒るだろうよ。その真実の愛とやら、存命であるしな」


「あ、当たり前です! 私がいつもそばにいて守っていますからっ」


 呆れた声で問うた国王に対し、王子が声を荒らげた。それから、国王の視線に温度がないことを今更のように気づいて何故だという顔をする。もっとも、自身の胸にすがりついている娘には何も見えていないだろうが。


「王子殿下には不敬かと存じますが。わたくし、これでもこの国の宰相職を仰せつかっております。権力と能力をもってすれば、人の一人や二人跡形もなく消すなど容易いことでございますよ?」


「へっ?」


「自身の娘が婚約の継続を望んでいたのであれば、そこの小娘は既にこの世にはおらん。そうでない時点でお前は、宰相から見放されている。……儂からもな」


「え、え?」


「お、横暴です! 貴族だから、王様だからって何をしても良いんですか!」


 唖然とした顔で国王と宰相を見比べている王子の胸から顔を上げ、娘が叫んだ。途端、ただでさえ冷え込んでいた場の空気が更に冷却されたように、当の二人と彼らを見ている貴族たちには感じられただろう。


「そこの馬鹿はたった今、自分が王子だから何をしても良いという考えのもと、父親同士が決めた婚約を勝手に破棄した。やっていることは大して変わらぬよ」


「もっとも、以前から第一王子殿下が可愛い我が娘をないがしろにしていたことは相談されていましたし、既に情報は集め終わっておりますし、婚約なぞニヶ月前に白紙撤回されておりますがお気づきになりませんでしたね、殿下」


 呆れ顔の国王の横で、大変朗らかに笑う宰相。どうやらこの婚約、宰相にとっては不満この上ないものであったらしい。


「白紙撤回の知らせは書類として発行したのだがな。貴様、自分宛の文もろくすっぽ見ておらんということか」


「え、文?」


「これは、読んでおりませんね。つまり、王籍剥奪の通知も読んでおられない、ということです」


「おうせき、はくだつ?」


 次から次へと、いろいろな新事実が明らかにされる。だが、どうやらこれらは第一王子が自分のもとに届いた手紙や書類を適切に処理していればもっと前に判明していたもの、らしい。


「では陛下。わたくし、娘の新しい婚約者選びに忙しいのでここで失礼いたします」


「うむ、済まなんだな。次は、良い婿を選んでくれ。我らは介入せぬ」


「当然でございますね。では」


「ごめんなさいね。ボンクラ息子のせいで」


 国王も、王妃も既に第一王子には目もくれない。上機嫌の宰相が頭を下げ、そして自身の娘を追って退場してから彼らは、警備を担当していた兵士に命じた。


「これは既に、我が子ではない。よってただの不審者であり、隣りにいる娘も同じだ。連れて行け」


「な、なんですって! だって今日は、俺の」


「ああ。招待状には、きちんと記してあるのだよ。お前の『新たなる旅立ち』を祝う日であるとな」


 はあ、と小さくため息を付いて国王は、もうこれ以上の言葉は要らないとばかりに手を振った。兵士たちは王子だった男とその恋人を腕を取って立ち上がらせ、そのまま宰相父娘が出ていった扉とは別の扉へと連れ出していく。


「きゃあ! はなして、いやらしい!」


 きん、と耳に痛い叫び声が遠くに去っていき、聞こえなくなったところで国王は改めてホール内を見渡した。そこにいる客人たちがひどく不安げにざわめいていることを当然と見て取り、王はするりと自分たちが入ってきた扉の前まで動く。


「もと第一王子を後ろ盾として、無法を働いた者共をここには集めている。既にホールの外は我が兵士たちが包囲しておるからな、覚悟を決めるが良い」


「それでは皆様、良い宴を」


 ニコリと笑った王妃が、扇を一閃する。びき、と近くにいた貴族の一人の顔に線が入り、薄っすらと血が流れ出た。

 きゃあ、と叫び声が上がる前にホールへと兵士たちがなだれ込み、入れ替わりに国王夫妻は姿を消す。


 そうして、王国から第一王子だった者は恋人とともにその存在を消された、という。

 彼の権威を傘に来て、様々に無法を働いたものはその罪に応じた罰を受けたようだ。中には、家を取り潰された者もいたらしい。


 宰相の愛する娘は良き夫を迎え、状況が改善された王家や貴族を取りまとめた父のあとを継ぎ精力的に国をもり立てたという。

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