第26話
随分と頭がすっきりとしたと思いながら目を覚ますと、自分の体の上に少し重みを感じた上に、腕の中に何かがある気がして飛び起きる。
「え、……は?え?」
ファルトらしくない間抜けな声が寝室に響いた。
一瞬まだ幸せな夢から覚めていないのかと思い、頬をつねってみても、そこにいる人物の姿は消えない上に、頬は痛い。
ベッドの上に広がる銀色の長い髪。ローブの中から出ている細い手首に、透き通るような白い肌。ほんのりと広がる花の様な自然な香り。
ファルトのベッドの上ですやすやと安らかな寝息を立てているのは、現在彼が最も会いたいと思っていた女性だった。
「ランカが、どうして」
確かに夢の中にはランカが出てきた。少し不安そうな顔で見つめていた彼女がすぐそばにいることに気づいて、いても立ってもいられず、自分に引き寄せた。いつか触れてみたいと思っていた髪に触れ、今は伝えないようにしている言葉を伝えた。
「……、まさか、夢、じゃない」
その事実を目の当たりにし、ファルトは右手で顔を覆った。
死にたい。
絶望からそんな気になった。急がずゆっくりと距離を縮めていければいいと思っていたのに、夢だと思うと本音が溢れた。力強く抱き寄せて、最後まで離さなかったのを覚えている。そして、起きた時も抱きしめていた。
「最低だ……」
自分に対する評価はそれ以上の言葉が出てこなかった。
よく見るとランカは手に回復薬を握りしめている。
「だからこんなに楽なのか」
自分の体が随分軽いことから考えても彼女が飲ませてくれたのだろうと想像できる。そんな彼女になんて言う身勝手な態度を……。
考えるほどに頭が痛くなった。
ひとまず起こさないようにゆっくりと自分だけベッドから降り、上掛けに清浄の魔法をかけた。彼女に風邪がうつるようなことが合っては困る。起きる様子がないことを見てホッとしつつ、できるだけ触れない様にしながら、彼女にさらに別の上掛けをかけた。
外はすでに太陽が傾きかけ、橙色の光が部屋を包み込む。
わざわざここに来てくれたことも驚くのだが、どうやって入ったのかが分からず首を傾げる。ここの入り口は基本的に魔力登録されているため、ファルトの魔力でしか中に入ることができないのだ。頭を冷やしたくなり寝室をでると、テーブルの上に紙袋と共に鍵が置いてあることに気づく。それを見ると一気に答えが出た。
「ヴィザさんに会ったのか」
テーブルに置いてある鍵は緊急用の鍵でグループのリーダに預けることになっているものだ。一回分の解錠が可能な魔力だけが入れられており、使われた今はもうこの鍵で部屋を開けることはできない。
「また何を言われるか」
想像しただけで頭が痛いが、しかし今はそれよりランカが起きた時の方が怖い。ファルトは少し頭を振るとシャワーを浴びることにした。
上がった後もまだランカは眠っているようで、ファルトは彼女を起こすべきかどうか迷った。通常通りに森へ帰るには鉄道にも乗る必要があり、それなりに時間がかかるはずだ。しかし、彼女を起こすことが怖いとも思った。二度と会うことが叶わなくなるかもしれないと予想せずにはいられなかった。嫌われただろうと覚悟するしかない。
椅子に座ると思わず深いため息が出た。
ようやく少し親しく慣れた気がしていた。元々の好きなものが同じと言うこともあり、通信機で話すだけでもとても心が躍った。古代都市のイベントも、まさかそんなあっさり頷いてくれるとは思わなかったため、表情に出さないことに苦労した。すでに体調は悪かったが、そんなものは吹き飛ぶぐらい嬉しかった。久しぶりに彼女に会えれるのだと思うと喜ばずにはいられなかった。
それなのに。
重い空気を纏っていたファルトに、カチャリと扉を開く音が届き、反射的に椅子から立ち上がる。寝室から出てきたランカは真っ赤な顔をして恥ずかしそうに顔の半分ぐらいをローブの袖口で隠している。
……、可愛い。
いや、そうじゃないだろ。
「ご、ごめんなさい。お見舞いに来たはずなのに、私がベッドを奪って寝ちゃうなんて!」
ランカに先に謝られてしまう。謝るべきは明らかにファルトなのは間違いない。
「い、いや、俺が、……、全部悪い。本当にすまない!」
色々言い訳も考えてはみたものの、何を言っても自分に非があるようにしか思えずファルトは頭を下げた。夢だと思い込みランカを抱きしめて離さなかった自分がどう考えても悪い。見舞いに来てくれたランカになんてことをしてるんだと思う。
顔をゆっくりあげるとランカはますます真っ赤になっていて、目を逸らされた。
もはやどうしていいかファルトには分からない。
しばらくの沈黙のあと、口を開いたのはランカだった。
「……、体調は、もう大丈夫?」
ランカの意外なほどに普通な質問に、ファルトは慌てて答える。
「あぁ、重かった体も今はなんともない。それ、飲ませてくれたんだろう?ありがとう」
ランカが手に持っていた瓶を指して言うと、彼女は小さく頷く。そのまままた沈黙が流れそうだったが、ランカが努めて明るい声をだした。
「私、そろそろ行くね!」
駆け出したランカに、ファルトは思わず声を掛ける。
「もう暗いから、送らせて欲しい!」
外はもう真っ暗な上、ここから彼女の住む礎都市まで行くにはかなり時間がかかる。あまり用心深くない彼女をとても一人で帰す気にはなれない。
何も言わないランカにファルトは畳み掛ける。
「転移石を使うから時間は掛からない。森の前まで送らせて欲しい!」
森は彼女の領域だ。そこまで行けば彼女を害すものはないのがわかる。たとえ害そうとするものがいても、森が彼女を守るだろう。森と魔女の関係とはそう言うものだ。
くるりとゆっくりランカが振り返る。
「……じゃあ、お願いします」
その言葉にファルトは心底ホッとした。
二人は部屋を出ると、王宮内の転移室まで歩いた。その間は二人とも無言で気まずい空気が流れる。
たとえ嫌われてもせめて、安全な場所までは送り届けられるのだから良しと思うしかない。
転移室へ行き、ファルトは転移石を手にしていつかと同じようにランカに向けた。
あぁ、触れるのも嫌かもしれないな。そんな風に思うと心が痛いが全ては自分の招いたことだ。痛みを感じることさえ許されない気がする。
ランカは以前と違い少し躊躇ったものの、細く白い手をファルトの手に乗せた。
そこからはあっという間だ。ファルトはランカが転移石酔いをしないようにいくつかの場所で移動距離を刻んだ。
手を触れている場所は温かいのに、森へ近づくにつれて、ランカとの距離が離れる事実に心が苦しくなる。
ランカの系統を考え森の北に降りたが、もしかしたらドミエの魔女であれば、森の属性など関係ないかもしれないななどと余計なことを考える。
無事に着地すると、スッとランカの手が離れる。名残惜しく感じるが引き止める訳にも行かず、ファルトは離れていく手を見ているほかなかった。
「ありがとう」
ランカはそれだけ言うと森の中に向かって歩き出す。ファルトは離れ固く彼女の背中を見ていたが、急にランカが振り返る。
「復元都市のイベント、楽しみにしてるから!」
その言葉にファルトは耳を疑った。もう連絡を取ることも許されないだろうと思っていたのに、ランカはその予定を取り消したりはしないらしい。
確信が欲しくてファルトは口を開く。
「明日、……いつもの時間に連絡しても?」
ファルトの不安気な言葉に、ランカはこくりと小さく頷くと再びファルトに背を向けて暗い森の中を走って行った。ランカの通る道だけほんのりと植物が輝くのは、ドミエの魔女だからなのかもしれない。
ファルトはランカの姿が見えなくなってから、思わずその場にしゃがみ込んだ。
良かった……!!
最悪の事態を免れた喜びと、少し期待してしまう気持ちが膨らむ。
いや、過度な期待は良くない。
そう思いながらも少し頬が緩むのを抑えきれなかった。
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