四月七日(二〇三号室)
今日は休日。久しぶりに完全にオフの日だ。昼前に目を覚まし、冷蔵庫に残っていた食材をかき集めて適当に朝食兼昼食を作ると、テレビのワイドショーを眺めながら食べる。
街角で「どこからが浮気か」というインタビューをするという内容だった。若い女性から老人まで、幅広い年齢層の人に声をかける今売れている芸人が、わざとらしくリアクションをしている。
ワイプに映るスタジオの芸能人たちはそんな様子を笑顔で見つめているが、私は能面が張り付いたような顔で観ている。
(私は手を繋いだら浮気かな)
そんな自分の考えを内心で呟きながら、机の上のスマートフォンを手に取り、メールアプリを開く。彼からの連絡はない。
先月、彼が私の部屋に遊びにきている時につい魔が差して彼のスマートフォンを盗み見てしまい、そこで知らない女とのメッセージを目撃した私は、感情の赴くまま彼を怒鳴りつけてしまった。彼はその女が学生時代の友人であることを説明し、その後に勝手にスマートフォンを盗み見た私を激しく罵った。
「プライバシーも守れないのかよ! このクソ女! 別れてやるからな!」
最後にそう言ってソファーを蹴り上げると、彼は舌打ちをして帰っていった。すぐに追いかけたが彼は既にどこかに消えており、その後メッセージを送っても暫く既読すら付かなかった。
結局私が何度も電話を掛けて、メッセージでしつこいくらいに謝罪の言葉を並べ、ようやく彼からの許しが得られたのだが、それ以来二人の仲は悪くなった。
私は大いに反省した。たかが女性とメッセージをしていたくらいであんなに感情を爆発させてしまい、あろうことか大好きな彼を怒らせてしまった。先ほど内心では手を繋いだら浮気と呟いたが、さらにその心の奥底では女性と連絡を取り合うだけでも浮気だと思っているのだろう。一人でいる時でさえ自分を取り繕ってしまう私自身が大嫌いだ。
「一旦コマーシャルです」
テレビからの声で我に返り頭を振ると、残っていた朝食兼昼食を一気に平らげて「よし!」と自分を鼓舞するように声に出し立ち上がった。
「服でも見に行こう」
部屋に閉じ籠っていても卑屈になるだけだ。こういう時は外に出てパッと散財をしてしまおう。
しかし、この時の私の判断は大間違いだった。それに気付くのはショッピングが終わり、駅に向かうために歓楽街を歩いている時だった。
空は茜色に染まり、人々は逆光で黒いシルエットのように見える。その中で二人の人間だけは鮮明に人の形をしていた。
一人は彼。もう一人は知らない女だ。女は彼の腕に掴まり下品に口を開けて笑っている。彼も私に最近見せない笑顔をその女に送っている。
私は彼に姿を見られないように道端に置いてある居酒屋の看板の後ろに身を隠し、こちらに向かって歩いてくる二人を眺めていた。
女は彼の腕を撫でるように手を移動させると、彼は女の手を取り、そして指を絡ませて手を握った。
そこで私の頭の中の何かがプツンと切れた。
それからどのようにして部屋に戻ったのかは覚えていない。気が付いたら玄関を開けて電気のスイッチを何度も押していた。
パチパチパチパチ。
いくらスイッチを押しても電気は点かない。私は電気にさえ見放されたのだろうか。ふらつく足取りでポストを覗き込む。どうやら電気代を払い忘れていたのが原因のようだ。それでも私はこの世の全てに見放されたと感じてしまった。そして次第その感情は怒りへと変わっていった。 そこから先はまた記憶がない。気が付いたら私は一人で叫んでいた。いや、一人ではない、スマートフォンに向け叫んでいたのだ。
「だから何が違うの!」
スマートフォンから聞こえる彼は何度も「違うんだ」と狼狽した声で言い訳を口にしている。
「この前のメッセージの女でしょ! 友達なんて嘘だったんだ!」
彼が何か言おうとするが、それを遮るように私はヒステリックに喚き散らした。だめ、これ以上話してしまったら……。
「もう無理! 別れて!」
言ってしまった。絶対に言ってはいけない禁句を。この言葉を口にしたらどうなるか私は悟っていたのだ。
「ああ、分かった」
電話越しの彼の声は酷く冷たく、それでいてやけに透き通って聞こえた。
「今までありがとう東さん」
彼はわざとらしく苗字に「さん」付けで私を呼ぶと電話を切った。一瞬に感じたが、通話終了の画面を見ると通話時間は一時間を超えていた。
「ああああぁぁぁ!」
私はスマートフォンを床に投げつけると、奇声を上げてカーテンを掴み思い切り引っ張った。カーテンはいとも簡単に外れて、その拍子に私はカーテンに包まるようにして倒れ込んでしまった。
真っ暗な部屋の中。床に落ちたカーテンに包まった私は、もはや泣き声を上げることも出来なほどに絶望に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます