ケース8 じんめんそう㊷
黒いヒトガタがべったりと残る浴室につくなり卜部の動きがピタリと止まった。
かなめは驚く卜部の背後からおずおずと声を掛けてみる。
「凄いですよね……やっぱり櫻木家の呪いは相当強力なんですか……?」
「おいかめ、お前はこの状況で何とも無かったのか?」
「え?」
かなめの問いかけを無視してつぶやいた卜部にかなめは思わず聞き返す。
しかし卜部はほんの少し振り返っただけでそれ以上は何も尋ねなかった。
「いや……なんでもない。雅子ちゃんを抱いてあっちを向いてろ」
「え……? どうしてですか?」
その言葉に卜部が軽蔑の驚愕の入り混じった顔を浮かべたのと同時に、かなめははたと思い出す。
「あ……そっか! 雅子ちゃんに背中を見せてはいけない!」
「……そうだ」
卜部は市松人形をかなめに手渡すと、浴室の壁にこびりついた黒いヒトガタを指で触れながら顔を顰めた。
「先生……どうでしょう?」
卜部に背を向けたままかなめが言った。その腕の中では人形がミシ……ミシ……と重みを増しているような気がしてならない。
かなめは腕の中で起きている異変を見ないように固く目を閉じた。
「わずかだが……櫻木舞子の念を感じる。だが……」
「だが、何ですか?」
「何かが妙だ」
卜部はそれだけ言ってポケットから取り出した半紙で指を拭うと、かなめの方に振り向き目を見張った。
人形がこちらを見ている。
重みを増してもげた首が、何かの繊維で胴体にぶら下がりぶらり……ぶらり……と揺れながら、こちらを見ている。
いつから見ていた?
何を見られた?
背中を……?
その時、卜部の背筋に強烈な悪寒が駆け抜けた。
間違いない……
見られている……
卜部はガマ口鞄に飛びつくと中から藁で編んだ紐を取り出し、かなめから人形を奪って壁に押し付け、その藁紐をかけながら何かを唱えた。
「せ、先生⁉ 一体何を⁉」
「背中を見られた……! 今こいつに構ってる余力は無い……! ひとまずここで封印する……!」
藁紐の両端には釘が編み込まれているらしく、卜部はそれを壁に突き刺し市松人形を壁に磔にしていく。
「ひぃぃぃぃぃぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……‼‼‼‼‼!! 嫌……! 嫌……! いやぁぁあああああ……!」
恐ろしい光景だった。
卜部は次々に藁紐を取り出し、人形の上から格子状に封をした。
紐の数が増える度に人形は、悲痛で恨みに満ちた声をあげた。その顔には無数のヒビ割れが浮かび、目は吊り上がり、血の涙が流れている。
怒り、恐怖、恨み、そして……
「孤独……?」
かなめが小さくつぶやくと、人形がかなめの方を振り返った。
黒よりもずっと黒い、暗黒の瞳。
それと目が合った瞬間、かなめの目からは涙が溢れ、震えが止まらなくなった。
「ななななな……なななににににににに、こここここれれれれ……?」
「見るなかなめ! 呑まれるぞ……‼」
卜部の声がしたにも関わらず、かなめは目が離せない。
卜部がそんなかなめを一瞥して舌打ちすると、九本目の藁紐を掛けながら唱えていった。
「昏き宵闇の奥座敷、格子の彼方、名も無き者の住まう場所なり……常闇にて輪郭を封じ、床の間の奥に隠匿す……”剥奪”」
いっとう長い恨みの絶叫が鳴り響くと同時に、かなめの意識が細く途切れていく。
閉じる瞼とともに薄くなっていく視界は涙でぼやけていたが、かなめは確かに人形が泣くのを見た気がした。
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