ケース8 じんめんそう㉞

 

 タクシーを呼ぼうかとも思ったが、卜部の異様な有り様を見てかなめは思いとどまった。

 

 精神科……

 こんな様子では下手をすれば警察に捕まる可能性さえあり得る……

 

 悩んだ挙げ句、かなめは翡翠に電話をすることにした。

 

 翡翠さん出て……

 

 祈りながら待っていると何度目かのコールで声がした。

 

「翡翠さん……! 助けてください……! 先生が大変なんです……!」


 しかし返ってきたのは翡翠の声ではなく、虚しい機械音声だった。

 

 ただいま電話に出ることが出来ません……ピーという音の後に……


「そんなぁ……」

 

 誰か助けてくれる人はいないか? そんな思いで着信履歴を開くと、昨夜の恐ろしい電話の形跡がそこにはあった。


 ゾクリと悪寒が走ると同時に、かなめの目にひとつの名前が飛び込んでくる。

 

「ホーリーさん……!」

 

 かなめは縋るような気持ちで電話をかけた。すぐに呼び出し音が途切れて、ホーリーの声が聞こえてくる。


 しかしその声はいつもの明るい声とは様子が違っていた。 


「かなめちゃんね。そろそろ電話がくるんじゃないかと思ってたのよ……あなたの先生のことよね?」


「どうしてそれを……⁉」


「まあ! こう見えても占いで食べてるのよ⁉ ついでに言うと、この前の女の人絡みかしら……?」


「そうなんです……それで……先生が大変んなんです……! あの、迎えに来てもらえませんか?」


「もちろんよ。その人を助けるのは、アタシにとってもご利益があるみたいだしね」


 場所を伝えてしばらくすると、ホーリーの運転するピンクのマーチが姿を現した。

 

「先生……‼ お願いですから……! 服を着てください……!」


 かなめは何とかして服を着せようと試みたが、卜部はそれを頑なに拒んで踊り続けていた。


 桜の下で服を脱ぎ捨て踊る卜部を目の当たりにすると、ホーリーの顔から笑みが消え、薄ら寒い恐怖の色が浮かび上がる。

 

「かなめちゃん……服は諦めましょう。それにわ……とっても嫌な感じがする。とりあえずアタシの家に……!」

 

 車に乗り込んだ後も、卜部は腕を振り回し、地団駄を踏みながら何かをずっとつぶやいていた。しかし櫻木家から離れたおかげか、時間が経ったゆえか、卜部は徐々にその動きを緩めだし、終いにはかなめの肩に寄りかかって眠ってしまった。

 

「先生……? 先生……⁉」

 

 まさかと思って呼びかけたかなめに、卜部はいびきで返事をする。

 

「先生寝ちゃったの?」

 

「はい……ひとまず落ち着いたみたいです……」


「いいわよねぇ。こっちの気も知らないで可愛い女の子の肩で眠れて! あとで落書きでもしちゃう?」

 

 ははは……とかなめは力なく笑い返す。


 緊張の糸が解けると同時に、とんでもない疲労感が押し寄せてきた。

 

 ホーリーの家につく頃には、辺りは黄昏色に染まっていた。

 

「はい! ついたわよ! ようこそアタシのお城へ!」

 

 しかしその言葉に返事はない。ホーリーが振り向くと、寄り添うように互いの頭をつけて眠る、卜部とかなめの姿があった。


「はぁ……アタシの王子様はどこにいるのかしらね? 自分の恋占はちっとも当たんなくて嫌んなっちゃうわ……」


 ホーリーはこっそり二人の写真を携帯に納めてからかなめを起こし、卜部を家へと運び込んだ。

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