ケース8 じんめんそう㉜
「遅い……! いったい何時まで待たせるつもりだ⁉」
何本目かのタバコをもみ消して卜部が吠えた。
確かに遅すぎる……
かなめの脳裏にも不吉な想像が浮かび上がってくる。
つまり……はめられたのではないか……? と。
「くそ……奴を信じたのが馬鹿だった……! 行くぞかめ……!」
「かなめです……!」
かなめもサッと立ち上がって卜部の後に従った。
勢いよく襖を開いた先には、湿り気を帯びた闇が広がっている。廊下には直に立てられた蝋燭の灯りが、ぽつ……ぽつ……ぽつ……と等間隔に並んでいて、その様子はまるで道案内するかのようだった。
そう。黄泉平坂の最奥へと……。
実際の灯りが、何処に続くのかは分からない。
そもそも従っていいのか、悪いのか、それすらもかなめには判断がつかなかった。
不安げに見上げると、卜部は前髪を掻き上げた手で後頭部辺りを掻き毟っている。
その間隔はどんどん狭まっていき、ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る音の中に苛立ちと焦燥が見て取れた。
先生が取り乱している……?
ゾクリと鳥肌が立った。いつもなら行き先を知っているかのように迷うこと無く歩みを進める卜部が、立ち止まって苛立っている。
先生にも判らないんだ……
卜部は手を髪の毛に突っ込んだまま大きなため息をついてうなだれた。
それからがま口の中を漁り、一本の注連縄のようなものを取り出すとかなめに手渡して低い声で言う。
「持ってろ……もし俺に異変が起きたら、すぐにそいつを引っ張って座敷に引き返せ……」
卜部は注連縄の一端を自分の腰に巻き付けると、目を閉じ精神を整えながら印を組んだ。
「臨……!」
掛け声と共にどっ……と左足を一歩踏み出し板間を踏みしめると、すぐさま後ろ足を前足に引き寄せた。
それに合わせて闇が震え上がったような気がした。
「兵……!」
今度は右足を前に出し、同じように後ろ足を引き寄せる。
しかし今回は何も変化は見られなかった。
かなめは注意深く異変が無いか観察しながらも、卜部の奇妙な動きの正体を思い出していた。
陰陽道の
左右右左左右左左右の順に足を出し、地面を踏みしめ、穢れを祓うための歩法。
確か北斗七星にもう二つの星を足した九星の並びを象る歩法だったはず……
しかし卜部の踏みしめる方角は、北斗七星とは似ても似つかない出鱈目なものだった。
いつの間にか九字も闘、者、皆、陣、烈、在と進んでいき、残すは最後の”前”一文字となっていた。
しかしそこで卜部の足がピタリと止まる。
みると顔には大量の汗が滲んでいた。
卜部は進退窮まったような沈痛な面持ちで卜床を睨みつけているが、かなめには普通の床にしか見えない。
しかし恐らく、そこにはいるのだ……
卜部の目にしか映らない、極めて危険で邪悪な、悪性の何かが……
かなめは見えない何かを避けながら卜部が歩みを進めていたことに気がついた。
それと同時に本来の形から大きくそれた歩みのことを思い、はたしてここには何体いるのか? という恐ろしい想像に辿り着く。
卜部はかなめの方を振り向くと、脂汗が滲んだ強張った笑みを浮かべて言った。
「作戦変更だ……一旦屋敷を出る。俺がどうなっても構わず屋敷の外まで引きずり出せ……」
「ま、待ってください……⁉ それってどういう……⁉」
「頼んだぞ。かなめ……!」
卜部はそう言うと覚悟を決めたように大きく息を吐き出しながら、最後の一歩を踏み出した。
「前……‼」
ぶっちゅあぁああっ……
何かが弾けて、中身の飛び散る音がした。
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