ケース8 じんめんそう㉚


 用意した夕餉など見向きもせずに、本家の人間たちは帰っていった。

 

 目を上げると本家の者達は安堵の笑みを浮かべており、男たちは誇らしそうに肩を叩き合い、女たちは和気藹々わきあいあいかしましく、舞子の前を素通りしていく。

 

 ただ一人、広間に残された裸体の男だけは、変わらず畳に額を擦り付けたまま、激しく両手を振り乱し、でんでん太鼓のように床を打つ。

 

 どん……どどん……

 

 どん……どどん……

 

 まるで物の怪か山の怪か……

 

 奇々怪々に機械的に……

 

 繰り返される奇行を見つめながら、舞子は泣き泣き夫に近寄った。

 

「和也さん……」


「触るなぁああ……!!」

 

 手を触れようとした途端に、そのままの姿で夫が絶叫した。屋敷にいた他の者も、その声でビクリと肩を震わせる。

 

 恐怖と驚きで舞子は思わず仰け反り、伸ばしていた手を引いた。

 

「触るでないぞ……さもなくば障るぞ……気をつけようぞ気をつけようぞ……我は幽世に咲く華ぞ……」

 

 ぐねぐねと腕を振り回しながら、和也がゆっくりと頭を持ち上げていく。

 

 爛々と輝く双眸には強い狂気と怒りが渦巻き、見開かれた瞼の最奥には恐怖が揺れていた。

 

「草木もぉ〜睡るぅ〜丑三つ刻のぉ〜……」


 どん……どどん……と、和也は畳を踏み鳴らした。


 その動きに合わせて、四肢の肉が躍動する。


 まるでお能か何かのように、地面と水平に真っ直ぐ伸ばした右手とは裏腹に、左手は出鱈目にのた打ち回って空を切る。


「鐘の音ぇ〜草の根ぇ〜息の根がぁ〜……」


 どん……どどんどん……どどどどどどどどどど……!!!!‼‼‼‼‼!


 気が狂ったように和也は地面を踏みつけながら奇声をあげる。


「あはは……‼ あははははははは……!!」

 

「和也さん……!! 和也さん……!!」

 

 舞子は夫の名前を叫び続けたが、一向に和也が元に戻る気配がない。

 

 意を決して抱きとめようと立ち上がると、和也は怒りの形相で舞子を睨みつけて叫んだ。

 

「触るなと……言っておろうがぁあああああああああああ⁉」

 

 両手を広げ、前かがみになった和也が、舞子目掛けて畳を踏みしめながら走り寄る。

 

 思わず腰を抜かした舞子は、襖のところまで這って逃れた。

 

「誰か……!! 誰か来て……!! 和也さんが……!! 和也さんが……!!」

 

 襖の縁を掴んで廊下に顔を出し、舞子は助けを呼んだが、誰の返事も聞こえない。


「誰か⁉ 誰か居ないの!?」


 叫ぶ舞子の背後から、朗々と最後の節が聞こえてきた。


 背筋が粟立つ。


 いけない……これ以上はいけない……


 そう魂が叫んだが、身体は震えるばかりで言うことを聞かず、ただただ夫の狂言を聞くばかりだった。

 


「焼かれぇ〜……焦がれてぇ〜……匂い立つのは芳しきぃ〜……」

 

「反魂香のぉ芳しきぃ〜……」

 



「御霊狂わす煙かな……」

 

 

 その言葉を最後に、私は気を失いました。

 

 目が覚めた時には、おさんどん達も、夫も、首を括って死んでいました。

 

 皆一様に大の字に両手を広げて目を見開き、異様な姿でぶら下がっておりました……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る