ケース8 じんめんそう㉗


 

「これで心置きなく依頼に取りかかれますね?」

 

 櫻木舞子はそう言って帳簿を閉じると、卜部に差し出した。

 

 左手の指先からはなおも血が滴り、湿気た畳に染み込んでいく。

 

 その様を見たかなめは、ズルズルと畳の下に潜む何者かが女の血を啜っているように感じられて気味が悪くなった。

 

「いいだろう……」

 

 卜部は帳簿を受け取るとそれを再びがま口の中に仕舞い、座布団の上に座り直す。

 

「聞かせてもらおう。この家に何が起こっているのか……あんたが何を恐れているのか……」

 

 櫻木舞子は向かいに座って姿勢を正すと、自嘲するように鼻を鳴らして言った。

 

 

「恐れてなどおりません……私はただ、この血塗られた櫻木の歴史を終わりにしたいと思っているのです……が成し遂げられなかった悲願を、この手で成し遂げたい……ただそれだけです」

 

 卜部は眉を潜め、かなめはごくりと息を呑む。


 それを見届けてから、舞子は立ち上がり、柱を指でなぞって話し始めた。


「大層立派なお屋敷でしょう? ですが、本家には敵いません。本家は小高い丘の上にあり、そこから見渡す限りを血筋の者の家で固めた要塞の中に閉じこもっています……」

 

 現当主、名を櫻木彦摩呂さくらぎひこまろと申します。

 

 政財界にも顔が利き、人は彼を彦摩呂翁と呼ぶとか……

 

 櫻木家は代々製薬業を営んでおりました。


 古くは江戸の頃から幕府御用達の薬屋として栄えておったそうですが、第二次世界大戦の後はGHQにすり寄りその地位をさらに盤石なものにしたと聞いております。


 名を変え、形を変え、至ったのが、今の葉桜製薬というわけです。 


 表向きは今なお薬屋ですが、要人達が家に来るのには別の理由がございます。

 

 もちろん政治献金の無心に来る者もいます。

 

 しかし大抵は他人様に言えない後ろ暗いを持ってくるのです。

 

 詳細は分家の、ましてや血筋の者でもない私には分かりかねますが、人殺しの類であること、その方法が極めて特異であることは間違いありません。

 

 主人は……和也さんはその全容を私に話そうとはしませんでした。

 

 しかし和也さんは心根の綺麗な人で、自分の血筋の者が悪どい商売をして、誰かの血を啜って栄えていることに我慢ならないと、いつもこぼしておりました。

 

 そんなある日のことです。

 

 和也さんがこう言いました。

 


「舞子。とうとう見つけた。悍ましいことだ。これ以上我慢できない」

 

 私は薄々それがお家の秘密だと理解していましたが、何のことかは分かりませんでした。

 

 和也さんはこう続けました。

 

「君に頼みがある。もし僕の身に何か起こっても、決して詮索してはならない。その時はこの家の事など忘れて、何処かに逃げて幸せになるんだ。いいね?」

 

 私はそれを拒否しました。


 私にも秘密を打ち明けて欲しいと懇願いたしました。

 

 しかし和也さんは決して首を縦に振らず、一人で仏間に籠もって熱心に何かを調べるようになりました。


 その内容も決して私には教えませんでしたし、こっそり調べ物を見ようともしましたが、彼は調べ物の一切を厳重に保管していて、盗み見ることは叶いませんでした。


 そして、その日が来ました。


 その日は、それはそれは酷い雨でした。

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