ケース8 じんめんそう㉖


「条件……」

 

 櫻木舞子は目を細めて卜部の手に握られた帳簿を見やった。

 

「そうだ。櫻木の家系は、すでに強力な呪いによって縛られている……血判状如きでは上書き出来ないほどにな……だからあんたにはに名を連ねてもらう……」

 

 卜部は古びた帳簿を丁寧な手つきで座卓の上に置いた。

 

 黄ばんだ紙面には墨書きで何かが書かれていたが、その字はどす黒い染みで隠れてほとんど読めなかった。


 朱■■辱……食……■魚……煎……永ゑぬ……禁……■……

 

「朱印帖、にく蠧魚しみせんジ永ゑぬえいえんきんジ此処ここはさム」


 卜部は唐突に立ち上がると朗々と読み上げた。


 不気味な音波が部屋に広がり、それに呼応するかのように、聞こえるはずのない声が、部屋の隅、座卓の影、箪笥の裏側から染み出してくる。

 

 かま……

 

 な……になれ……

 

 仲間……

 

 ああ……息だ……


 息を吸わせろ……


 あの口唇から漏れる……


 息……


 苦しい……


 後生……後生……


 仕り候……


 苦悶苦悶苦悶……生は苦悶……


 何故私はこんな……


 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……





「さささ。一息に……」


「ひぃぃいいいっ……!?」


 耳元で声がしてかなめは心臓が止まりそうになった。




 バンっ……!!!!

 

 と音がして帳簿が独りでに開かれる。

 

 そこには血文字で書かれた名前がびっしりと並んでいた。


 櫻木舞子はそれに向かって蔑むような視線を送り、着物の袖で口元を覆った。


「安心しろ。約束を破らなければ、こいつらの仲間入りすることは決して無い……此処に囚われているのは、約束を破った者達だ……」



「……約束とは?」


 やや間があってから、櫻木舞子は静かに口を開いた。


 卜部はそんな女の目を真っ直ぐに見据えて無機質な声で言う。


 

「依頼解決後に起きる全ての事象の責任をあんたが背負うことだ」

 

 櫻木舞子は視線を逸らすとクスリと笑った。

 

「ああ……そんな事……」

 

 俯いて肩を震わせると、女はゆっくりと首をもたげた。

 

 その顔には邪悪とも恍惚とも形容し難い、底しれぬ闇を孕んだ笑みが浮かんでいた。

 

 底無しの黒目と、虚無に通ずる喉の奥。

 

 そこから溢れ出た言葉に、かなめは思わず後ずさりするのだった。

 



「そんな事……とうに覚悟は出来ております……私の血肉から骨の髄に至るまで……」

 

 そう言って櫻木舞子は、生け花の方に手を伸ばした。


 ぐじゅ……


 乱暴に命を握りつぶし、花器から花木を奪い去ると、剥き出しになった剣山が不吉な姿を顕現させる。


 女は躊躇いなく剣の山に指を突き刺すと、滴る朱い血を墨に見立てて帳簿に列に自らの名を連ねるのだった。

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