ケース8 じんめんそう㉓


 

 挙動不審のかなめを一瞥すると、卜部は前を向いて短く口を開いた。

 

「気にするな。あれでなることはない……」

 

「あ、はい……でも……」

 

 その時かなめは卜部が時分の手首を掴んでいることに思い当たり、息が止まる。

 

「ぐっ……!?」

 

 咄嗟に卜部は振り向いて怪訝な顔でかなめの顔を覗き込んだ。

 

「なんだ?」

 


 近いぃいいいいいい……!!

 

 とは言えずに、かなめは顔を目一杯そむけて指を差し、目を閉じたまま叫ぶように言う。

 

「な、何でもありません……!! そ、それより……あ、あの庭の石橋の辺りぃいいいい……!!」

 

「石橋だと?」

 

 卜部はかなめが顔をそむけた先を見て訝しげに呟いた。

 

 そこには枯山水が広がっており、石橋というには少々物足りない、小さな眼鏡橋が掛かっている。

 

 かなめが薄目を開くと、そこに広がる庭は以前見た庭とは別物だった。

 

 どうやらあれは裏庭か何かだったらしい。


 

「アレが何だ……?」

 

 卜部が忌々しそうに小声で言う。

 

 かなめは逡巡した挙げ句、卜部よりも小さな、ほとんど消え入るような声で答えた。

 

「いや……その……綺麗だなって……」

 

 その瞬間卜部のチョップがかなめの脳天を直撃した。

 

「馬鹿馬鹿しい……!! 緊張感が足りんぞ!! 緊張感が……!!」

 

「ずびばせん……」

 

 かなめは頭を両手で押さえたまま、苛々が歩き方に滲み出た卜部の後をついて行った。

 

 石灯籠の並ぶ門道を通り過ぎ屋敷の玄関にたどり着くと、見覚えのある女が立っていた。

 

 ぞっとするような美しい黒髪と、切れ長の瞳。

 

 白い肌に浮かび上がる真っ赤な口元は、そう容易く忘れられそうにない。

 

「あんたが櫻木舞子か……」

 

 舞子はゆったりとした動作で深々と頭を下げてから、射るような目で卜部を見据えて言った。

 

「その節は……主人がお世話になりました。おかげさまで……主人は無事に鬼籍に加えられましてよ……?」

 

 にっこりと笑う表情とは裏腹に、その言葉に籠められた強い呪詛に、かなめの身体が思わずぶるりと震え上がった。


 しかし卜部はそんなことは気にもとめない様子で鼻を鳴らして言う。


「ふん……!! あんたの亭主が死んだのは己と一族が背負った業ゆえだ。恨まれる筋合いも無ければ、その血を背負うつもりもない……!!」

 

「冷たいお方……そんな冷酷な御仁でも、可愛い助手のためとあらば……今度は引き受けて下さるのですよね……? ?」

 

 卜部の左眉がぴくりと動いた。

 

 見たことのない卜部の反応に、かなめはごくりと唾を呑む。

 

 笑顔を貼り付けたままの舞子と、怒気を隠そうともしない卜部の視線が交差する。

 

 息をするのもはばかられるような空気の中、かなめはただ黙ってことの成り行きを見守るしかなかった。

 

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