ケース8 じんめんそう㉒
卜部は何も言わずに運転手に金を払ってタクシーを出た。
かなめも慌てて卜部を追う。
振り向くと運転手はこちらを見ながらニタニタと笑って、白い手袋をはめた手をひらひらと振りながらタクシーを発車させた。
それを見たかなめの背筋に再びぞくりと悪寒が走る。
その頃卜部はタバコに火を点けながら、なだらかな石段の先にそびえる櫻木家の屋敷を睨んでいた。
「かめ……」
「かなめです……さっきの運転手さん不気味でしたね……」
先ほど運転手が指差した桜の木を不安げに見つめながら、かなめが言った。
「バカタレ……! そんなことはどうでもいい……! いいか? 俺が口をつけない限り、ここで出された物は一切口に運ぶな……」
そう言ってから卜部は考え込むような素振りを見せてかなめをじろりと睨んで尋ねる。
「おい……? まさかもう食ってないだろうな……?」
かなめは顔の前でブンブンと手を振ってそれを否定した。
「な、何も食べてないです! お茶も飲んでません!!」
卜部は目を細めていたが、やがて静かに口を開いた。
「いいだろう。食い意地のはったリクガメにしては上出来と言える……」
「り、リクガメ!?」
「ああ……やつらは棘の生えたサボテンでもばりばり食うぐらいだからな……行くぞ……!! かめ……!!」
「ちょっと……!! 先生……!! こ、抗議します!! だいたい亀じゃありません!! かなめです……!!」
石段を上り二人が巨大な門の前に来ると、そこには喪服の老婆が佇んでいた。
老婆は虚ろな目でこちらを見据えると、恭しく頭を下げて二人を出迎える。
「お待ちしておりました……わたくし
くぐり戸を開け、手招きするその手は、まるで枯れ枝のように萎びていた。
骨と皮だけの手が、着物の裾からにゅっ……と伸びて
怯むかなめと裏腹に、卜部はづかづかと大股で戸口へと向かい、少しだけ身をかがめるようにして、くぐり戸を抜けた。
かなめもその後に従い、小走りに戸をくぐり抜けようとする。
老婆の前で会釈したその時、枯れ枝のような手が、予想外の力でかなめの手首を掴んだ。
「ひっ……」
思わず声上げたかなめだったが、慌てて老婆に頭を下げる。
「す、すみません……びっくりしてしまって……あの何か……?」
かなめと目が合った瞬間、老婆は口を大きく開いて満面の笑みを見せた。
その歯はお歯黒の跡なのか、根本が黒く染まっている。
あまりにも不気味な光景に、かなめは言葉を失い後ずさった。
しかし、老婆が掴んだ手を緩める素振りは無い。
「おい……!!」
卜部の声がした。
その瞬間、かなめの腕が自由になった。
老婆は何事もなかったかのようにそっぽを向いて、焦点の合わぬ目で虚空を見つめている。
「来い……」
戸口まで戻ってきた卜部が、かなめの手首を掴んで引いた。
「は、はい……」
かなめはまとまらない思考のまま、卜部に引かれて戸をくぐり、再び櫻木邸の敷地へと足を踏み入れるのだった。
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