ケース8 じんめんそう㉑
先ほども申し上げましたが、その日は酷い雨だったそうです。
昼間にもかかわらず辺りは暗く、轟々と音を立てて降る雨のせいで、視界は数メートル先までしかききません。
車のヘッドライトを灯し、運転手は慣れない道をノロノロと進んでいました。
聞こえてくるのは車の屋根やボンネットを叩く雨の音ばかりで、ラジオの声もかき消されて聞こえない。
降りしきる雨と、地面から跳ねる水しぶき。
ふと横を見れば、増水した用水路の黒黒とした濁流が目に入ります。
足を取られれば命はない……
そう思わせるような流れだったと言います。
再び前に視線を移すと、
それはどうやら人影のようでした。
濁流の側に立つ人影。
あんな所で危ないな……
そんなことを考えながら見ている間にも、流れはどんどんと増していきます。
それなのに人影は微動だにせず、ずぶ濡れのまま立ち竦んでいます。
おいおい……本当に危ないんじゃないのか?
そう思った時でした。
運転手は奇妙なことに気づいたと言います。
その人影の足に、濁流が触れているのです。
普通なら流れに足を取られてしまうような濁流。
それなのに、人影は平気そうに立っています。
目を凝らすとその人影はまるで、両手を広げて水面に立っているかのようでした。
幽霊……!?
運転手は咄嗟にそう思ったそうです。
しかし視界のきかない雨の中でスピードを出すことも出来ず、ノロノロとした速度のまま、幽霊の横を通り過ぎることになったそうです。
ナンマンダブ……ナンマンダブ……
そう心の中で唱えながら運転手は出来るだけ幽霊の方を見ないように前を見つめていました。
それでも近づくにつれ、否応なしに幽霊の全体像がはっきりしてきます。
ゆらゆらと揺れている男の幽霊。
どうやらそれは黒い雨合羽を着ているようでしたが、おかしなことにフードは被っていなかったそうです。
いぃぃぃぃっ……!?
運転手は気が付きました。
それは幽霊などではなく、首を吊った男の死体だということに。
濁流に足が触れるたび、男の死体はゆらゆらと揺れていたのです。
運転手が何よりも恐怖を感じたのはその死体の姿勢と表情だったと言います。
まるで十字架に磔にされたように、腕を大きく開いたまま固まっているのです。
普通ならだらりと垂れ下がるはずの首吊り死体が、両手を大きく開いているだけでも異様でした。
おまけに男の顔は得も言われぬような恍惚に満ちた表情を浮かべているのです。
運転手は思わず悲鳴を上げて、そこを立ち去りました。
死体が見えなくなるとすぐに、無線で本社に連絡を入れたそうです。
「そ、そっちから回された客を迎えに行ったら、自殺現場に遭遇した……すぐに警察に連絡してくれ……」
するといつもの事務員が、不思議そうな声でこう言ったそうです。
「うちは今日、そっちに客は回してませんよ……? どこの住所ですか……?」
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運転手はそこまで話すと、車を止めた。
そして振り向くと、再び狂気が滲む笑みを口元に浮かべて言う。
「着きました。櫻木邸です。その自殺があった用水路っていうのが……」
運転手はすっ……と手を伸ばし、屋敷の向かいに植わった桜の木を指差す。
「あの桜の木の下に流れてるやつらしいです……つまり男は、ちょうどあの桜の枝で、首を括ったんじゃないですかね……?」
かなめが見ると、そこには大きく曲がりくねった太い枝が伸びていた。
不気味な
それなのに、それらの
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