ケース8 じんめんそう⑯
重力を無視して横向きに掛かる掛け軸。そこには、枯松の下に立つ女の姿。
床の間に置かれた花瓶は水を垂れ流すこともなく、葉も花も付けぬ枝だけが、にゅ……っと突き出している。
その奇妙さに気がつくと同時に、自分が畳の上で横になっていることにかなめは気づいた。
毛羽立った畳の表面に目が行く。
目だけは辛うじて動いたが、身体は痺れて動かない。
毛羽立った畳の最奥、襖がカタカタと音を立てた。
心臓がゆっくりと鼓動を強め、全身に血の巡る感触がする。
それは決して心地の良いものではなかった。
まるで毒が巡るように、全身が熱くなる。
カタカタカタカタ……
襖は相変わらず音を立てている。
しゅる……
衣擦れにも似た音がして、何かがかなめの頬を撫ぜた。
悲鳴をあげようと思ったが、舌がもつれて声が出ない。
代わりに出たのは、自分のものとは思えないような掠れた音だった。
ひゅ……ごっ……
必死に目だけ動かして助けを求める。
しかし部屋には何も無い。
枯れ枝の刺さった花瓶と、枯松の下の女だけ。
水墨画の女は笑っている。嗤っている。呵っている。
こちらを見据えて微笑っている。
「か……か……かひゅ……がががががっがががががががっががががが」
自分の口から出る音にかなめは目を見開き、恐怖と絶望で涙を流す。
頬を伝う涙と涎が、乾いた畳に吸い込まれた。
何処からともなく響いてくる、ボキボキという不吉な音と和紙の擦れるような異音が、段々、段々、段々、段々段々……と大きくなる。
ボキボキ……ボキ
「おい……!! 起きろ!! いつまでその間抜け面で寝てるつもりだ!?」
卜部はかなめの目の前で指を鳴らして怒鳴った。
「どうやらデコピンを所望のようだな……?」
ボキ……
再び不吉な音がして、かなめは悲鳴をあげる。
「痛ったあああああああい……!?」
額を襲う現実の痛みに、かなめは涙を浮かべながら安堵する。
「さっさと顔を洗ってこい!! その涎をなんとかしろ!!」
「へ?」
かなめは顔を真っ赤にして洗面台に向かった。
鏡には赤く腫れた額と涎、ソファーの跡がくっきり残った無惨な姿がハッキリと映っている。
「せ、せ、せ、セクハラです……!!」
思わずかなめは大声で叫ぶ。
それを聞いた卜部もすぐさま怒鳴り返した。
「やかましい!! 勝手に転がり込んできて、涎を垂らして爆睡する分際で……!! だいたいだな……? セクハラというのは」
まだ何かを怒鳴り続ける卜部を無視してかなめは念入りに顔を洗う。
恥ずかしさで紅くなった顔はどれだけ洗ってもなかなか元の色には戻らない。
畳の跡も……
ゾクリと……寒気が走った。
畳の跡……?
鏡に映る自分の顔にはソファの目地とステッチの跡。
俄に蘇る夢の記憶が、かなめの現実を侵襲する。
先程まで煩く怒鳴っていた卜部の声が、今はない。
急に恐ろしくなって振り向くと、卜部は髪を掻き上げ後頭部を掻き毟りながら、ジィ…と市松人形を睨んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます