ケース8 じんめんそう⑮


 

 暗い武家屋敷の中に不気味な音が響く。

 

 ぱちん……

 

     ぱちん……

 


  ぽとり



 ぱちん……



    ぱちん……

 ぽとり

 

 

 古い剥き出しの梁と、煤けたような天井板がその音を木霊させる。

 

 かと思えば敷き詰められた畳が音を吸うのか、はたまた障子のせいか、耳が痛いような静寂があとについて来る。

 

 櫻木舞子はよく手入れされた黒鉄の鋏を畳に置くと、ふぅ……とため息を吐いて手を止める。

 

 

 目の前には平らな花器に生けられた見事な椿が、血のように赤い花を光らせていた。

 

 

 しゅるしゅるしゅる……

 


 その時女の背後を、衣擦れにも似た奇妙な音が通り過ぎた。

 

 ほんの一瞬だけ舞子は息を止めたが、振り向くことも取り乱すこともしない。

 

 ずずず……ずずず……

 

 と音が襖の開く音がしたので舞子は振り向かずに静かに口を開く。

 

「どうかなさいました? お義母さん?」

 

 その問いかけに襖の奥から、膝をついた老婆が答えた。

 

「もう夜も更けたでな……お花のお稽古はそれくらいにして、舞子さんも休みなされ……さもないと……」



「ちょうど終わったところです。ご心配なく……」


 そう言って舞子は立ち上がった。


 それはどこか不自然な動作だった。


 まるで何かを無意識に避けるような、そんな動き。

 

 しかし義母もそれを気にする素振りはない。

 

 ただ静かに襖の前に座り、義娘が部屋を出てくるのをじっと待っている。

 

 

 べたん……

 


 何かが土壁を叩く、ぬっぺりとした音が響いた。

 

 そこに意図などは感じない。

 

 まるで湿度の変化がもたらす家鳴りか何かのように、漫然とした不吉だけを残響とともに置き去りにして、畳に吸われて消えていく。

 

 すすす……と舞子は滑るように歩いて、部屋を出た。

 

 見計らったように義母は襖をぴしゃりと閉める。

 

 その瞬間、パキパキと正体不明の物音が、閉ざされた座敷の中から聞こえたが、二人はやはり気にする素振りも見せずに、足元に設置されたセンサーライトの薄明かりが照らす飴色の廊下を奥へ奥へと歩いていった。

 

 ぎっ……ぎっ……ぎっ……

 

 と軋む廊下のその音は、誰かの悲鳴か、呻きのように、古びた家屋の持つ底しれぬ闇に吸い込まれて消えていく。

 

「そうそう……お昼間のお嬢さん。ちゃあんと先生に伝えてくださったみたいです……」

 

「期待は出来ますまい……アレは人の手に負える代物ではあるまいて……和也も……」

 

 そこまで言って老婆は黙りこくってしまった。

 

 舞子の顔にも苦虫を噛んだような苦悶が走る。

 

 しかしすぐに気を取り直して、優しく義母の肩に手を添える。

 


「それでも……やれることをするだけですよ……和也さんの為にも……」

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