ケース8 じんめんそう⑭
「今夜は泊まっていけ」
卜部はそう言ってロッカーからブランケットを持ってきた。
「先生は……?」
かなめが尋ねると卜部は苦い顔で答える。
「仮にこの事務所にまで生霊を送ってくるようなら考えを改めんといかんからな……不本意だが俺もここで寝る」
卜部は酷い音を立てながらソファを観葉植物の方に引きずっていった。
黒板に爪を立てるような騒音にかなめは身体をきつく抱きしめて悲鳴をあげる。
「何かあったら起こせ。じゃあな」
そう言って卜部はソファの上で丸くなってしまった。
呪いの市松人形は相変わらずこちらを見つめて小首を傾げている。
ゴクリと唾を呑んでから、かなめは上ずった声で卜部に呼びかけた。
「あ、あの……!! 髪を梳かすのは今夜からでしょうか……?」
卜部は何も言わずに手でシッシとかなめに合図を送る。
今夜からという意味でいいのだろうか……
かなめは覚悟を決めて櫛を手に取り、小瓶に入った椿油を一滴垂らした。
甘い薫りが事務所に広がる。
ちらりと卜部に視線を移すが、何も反応がないところを見ると、今夜からで間違いないようだ。
「失礼します……」
消え入るような声でかなめは人形に声を掛けると、そっと抱き上げ膝に乗せた。
黴臭い饐えたにおいに混じって、嫌な薫りが鼻をつく。
かなめはそのことに気づかないふりをして、そっと人形の黒髪に櫛を通した。
すとん……
以外なほどするりと髪は櫛の隙間を通り過ぎていく。
どこか拍子抜けしたような気分になりつつ、かなめは丁寧に人形の髪に櫛を通していった。
ギシ……
奇妙な感覚だった。
それは櫛の引っ掛かりかとを思わせるほんの僅かな違和感だったが、かなめの心臓はどきりと小さく脈を打つ。
気のせい……
気のせいだ……
そう自分に言い聞かせた時、今度は一度目よりも強い違和感が訪れた。
ぐぐ……
太腿のあたりで感じる確かな気配。
かなめが思わず視線を移すと、人形の小さな手が、かなめのズボンを固く握りしめていた。
「ひっ……!?」
思わず櫛を持つ手に力が入る。
同時に櫛の先端が人形の頭皮に刺さったのを感じる。
かなめが恐る恐る人形に目をやると、人形は相変わらずこちらに背を向けて静かに座ったままだった。
「ふぅ……」
かなめは安堵のため息を漏らすと、人形を自分の机に乗せた。
こちらを見られているようで恐ろしくなり、かなめは人形の顔を自分のソファとは反対に向けると、ソファに駆け戻り寝転んだ。
電気を消そうか迷ったが、怖くて消すことが出来ない。
かなめはブランケットを頭まですっぽり被ると人形に背中を向けて目を閉じた。
早く朝になれ……
朝になれ……
そう念じているとパタパタと足音が聞こえてくる。
パチン……
次の瞬間、電気のスイッチが切れる音がして瞼の向こうが暗くなるのを感じた。
先生……?
そう思いかなめはブランケットから顔を出し卜部の眠るソファに目をやった。
「ぐぅぅぅ……すー……ぐぅぅぅ……すー」
卜部の寝息が聞こえ、かなめの全身に鳥肌が立つ。
咄嗟に人形を確認すると、暗がりではっきりとは見えないが、向こうを向いているはずの人形が、こちらを向いているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます