ケース8 じんめんそう⑦


 卜部が歩き出したのでかなめはその後に従った。

 

 否が応でも先程女が飛び降りた辺りが気になってしまう。

 

 チラチラと件の場所を盗み見ながらかなめが歩いていると、とうとうそこを通過する瞬間がやってきた。

 

 伏し目がちに急ぎ足で通り過ぎようとするかなめの真横、欄干の向こうから覗くように、黒い女が目だけでかなめを追う。

 

 しかしかなめはそのことに気づかない。

 

 気づかないよう、見ないよう、下を見たまま通り過ぎる。

 

 卜部がぴくりと何か感じて振り向いた時には、女は姿を消し、そこには夜の街を走り抜ける車のテールランプの赤い残像が線を描くだけだった。

 

「先生……?」

 

 不安げに尋ねたかなめに卜部は首を振った。

 

「いや……何でもない。それより急ぐぞ。ここまで来て閉店では話にならん」

 


 商店街にたどり着くと目当ての団子屋の店主がちょうどシャッターを閉めようと表に出てきたところだった。



「おい!! そこの団子屋!! 待て!!」 


 かぎの付いた長い棒を手に上を見上げる店主に向かって卜部が叫ぶと、店主はビクリと肩を震わせ怯えた顔でこちらを見たまま固まった。



「もお先生!! お店の人が怯えてるじゃないですか!?」


「なんだと!? 何を怯える必要がある!? やましいことがある証拠だ」

 

「ありませんよ!! 先生がすごい剣幕で怒鳴るからです!! すみませーん! まだ開いてますか?」

 

 かなめは卜部を横目に店主に向かって手を振った。

 

 すると安堵した様子の店主が両手を頭の上で丸くして合図を返す。

 

「ほら? 安心した顔してるじゃないですか?」

 

 かなめがドヤ顔でそう言うと卜部が鼻を鳴らして言い返す。

 

「ふん!! おおかた若い女を前にして鼻の下を伸ばしただけだろう」

 

 仏頂面でズンズンと進む卜部に怯みつつも店主は引きつった笑顔で挨拶した。

 

「い、いらっしゃい。もうここにある分しか残ってませんが……」

 

 二人が目をやるとそこには目的の筍おこわとみたらし団子が数パック、そして三色団子とがそれぞれ一パックずつ並んでいた。

 

「筍おこわを二パックくれ。みたらしも一パック」

 

 卜部がそう言うと店主は「へい」と会釈して袋に詰めていった。

 

「それと三色団子とおはぎも!!」

 

 かなめが後ろから声をかけると店主はにっこり微笑んで「へいっ」と大きな返事をする。

 

 それを見た卜部が目を細めて眉間に皺を寄せたのでかなめは思わず吹き出しそうになった。

 

「これは可愛いお嬢さんにサービスだよ」

 

 そう言って店主がおはぎを袋に詰めた瞬間、卜部の目が羅刹のように見開かれる。

 

「おい!! 俺にサービスはないのか!?」

 

「ちょ、ちょっと!! わたしへのサービスは先生にもサービスしてるんですよ!!」

 

 かなめが慌てて間に入ると卜部が鬼の形相でかなめを睨んで言う。


「わけのわからんことを言うな! お前にサービスと言ってたぞ?」

 

「財布が一緒だから先生にもサービスなんです!!」

 

 困った顔で立ちすくむ店主相手に、卜部は渋々勘定を済ますともと来た道を歩き始めた。


 不機嫌な卜部の背中を追いかけながらも、かなめはなんとなく思う。


 先生にはやっぱり助手が必要だ……


 そう考えるとなんとなく嬉しくなって視界が広くなった気がした。


 すると商店街の片隅にある小さな瀬戸物屋が目に入る。



 カップの2……



 ホーリーの占いを思い出し、かなめはごくりと唾を呑んだ。

 

 思わずその店の前で足を止めると、数メートル先の卜部がそれに気づいて振り返った。

 

 仏頂面のまま戻ってくると、卜部は店先に並んだ湯呑みや茶碗を見下ろして言う。

 

「茶碗がどうかしたのか?」

 

「あ……いえ……事務所のカップが一つ欠けてなと思って……」

 

 咄嗟にかなめがそう答えると卜部は顎をさすりながら湯呑みを物色し始めた。

 

「ふむ……縁起が良くないな。かめ! お前どれがいい?」


「え?」


 卜部の思わぬ言葉にかなめが聞き返すと卜部は湯呑みを指差して言う。


「お前も使うんだ。選ぶ権利くらいあるだろ?」


 平然とそう言う卜部に戸惑いながらもかなめは湯呑みの群れに視線を落とした。


 真剣な目付きで、かなめは雑多に湯呑みや茶碗が並ぶセールのワゴンの中から、慎重に二つ選んで卜部に見せた。

 

 表面に凹凸のある円筒形の若草色の湯呑みと、やや小ぶりの桜色の湯呑み。

 

 卜部は特に何も言わずに店の奥に向かって声をかけた。

 

「おい! 店主はいるか?」

 

 すると小さな老人がひょこひょこと奥の座敷から出てきて言う。

 

「はいはい……いかがしましょう?」

 

 卜部が顎で合図したのでかなめは手に取った湯呑みを老人に差し出した。

 

「ああ……あんた目利きがいいね……? こいつはもともと夫婦めおとなんだよ……売れ残って別々にワゴンに出したんだけどね……やっぱり一緒のほうがいい。うん」

 

 そう言って店主はそれを包装紙に包んで袋に入れた。

 

 かなめは顔を真っ赤に染めて卜部の方を振り向くことが出来なかった。

 

 卜部は黙って代金を支払うと、袋を受け取りそそくさと歩き出す。

 


「帰るぞ!! かめ!!」

 

「か、かなめです!!」

 


 その夜その湯呑みで飲んだ緑茶の味は、土筆の苦みのせいか、ひどく甘い味がした。

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