ケース8 じんめんそう⑥
日の暮れた夜の街に吹く風はまだ少し肌寒い。
かなめは空色のカーディガンをぎゅっと身体に巻き付けて卜部の隣を歩いていた。
「あるのか? おこわ?」
卜部の問いかけにかなめは首を振った。
卜部は前髪を掻き上げてわずかに思案すると、コートを掴んで出口に向かう。
「行くぞ! かめ! 今ならまだ間に合うはずだ……!!」
「はいっ!!」
こうして二人は夜の商店街に向かって歩き出したのだった。
通り沿いに立つブティックの明りに照らされ、街路樹が車道へと影を伸ばす。
いつの間にか雨が上がった夜空の彼方には、沈んだ太陽の気配がぼんやりと残っている。
雲の切れ間から覗く小さな白い星が、見上げたビルの隙間からか細い瞬きを放っていた。
春が持つセクシャルな空気に誘われたのか、目に付くカップル達の距離は近い。
図らずもどこかロマンティックな空気が漂う夜の街に、かなめはソワソワした気持ちを隠しきれなかった。
ヤバいよ……
これってデ、デ、デ……
チラリと視線を上げると、卜部は上機嫌で商店街に向かってズンズン歩いていた。
耳を澄ませば先ほど卜部が歌っていた『土筆誰の子』の鼻歌が聞こえてくる。
かなめはさらに強くカーディガンを握りしめると覚悟を決めて卜部の隣まで早足で進んだ。
「雨上がって良かったですね」
棒読みでそう言うと「まったくだ」と一言だけ返事があった。
よりによって天気の話題とは何事か……
再び訪れた沈黙の中かなめが自分を呪っていると、遠くに昼間のカフェが見えた。
「今日、堀内さんとカフェに行ってたんです……そこで声をかけてきた女の人がいて……」
「そいつがさっきの呪いの主か?」
こちらを見て目を細めた卜部にかなめはコクリと頷いた。
「それで堀内さんとはその場でお開きになったんですけど……帰りにおこわを買おうと思って商店街に向かったらその女の人がまた声をかけてきたんです……何処に行くか聞かれて事務所に戻るって伝えたら何の事務所か聞かれて、そしたら目の色が変わって、家に行くことになってしまって……」
「ふん……それで亀みたいノコノコ付いて行ったわけか?」
「申し開きもございません……」
「それで? そいつは何と言ってる?」
かなめは少し悩んでから申し訳無さそうに切り出した。
「その……先生にくれぐれもよろしくと……庭に何か見えるらしいんですけど、わたしには見えなくて……」
苦虫を噛み潰したような表情で卜部は目を見開いて言った。
「なにがよろしくだ……!? 自分で依頼にも来んような不届き者を、こっちから助ける義理などあってたまるか!!」
「そうですけど……」
歩道橋を大股で上る卜部を追いかけながらかなめが言うと、上りきった所で卜部の足が止まった。
追いついたかなめは不思議そうに卜部の後ろから顔を出す。
見ると歩道橋の真ん中あたりに人影がある。
それはどうやら道路を見つめる女のようだった。
嫌な感じがした。
かなめの予感は的中し女は二人が見つめる中、何の前触れもなく道路に飛び降りた。
大型のトラックが歩道橋の下をクラクションを響かせて通過する。
「大変……!!」
かなめが慌てて駆け寄ろうとすると、卜部がその手をがっしりと掴む。
「先生……!! 女の人が……!!」
そう言って振り返ると卜部が静かに言った。
「もう死んでる」
その言葉の意味が、すでに助からないとういう意味なのか、あるいはあれが死者だという意味なのか、かなめには判らなかった。
ただ、変わりなく流れる街の空気に、かなめはその言葉の意味が後者なのだと悟り、静かに肩から力が抜け落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます