ケース8 じんめんそう④


「こちらへ……」


 そう言って舞子はかなめを屋敷の中へと誘った。


 客間を通り過ぎさらに奥へと進む舞子にかなめが首を傾げていると、舞子はズズ……と音をたてて襖を開けた。


 その瞬間、かなめの鼻を強い匂いが掠めた。


 見るとそこは仏間で、奥には立派な仏壇が置かれ真新しい供花くげがその周りを埋め尽くしている。

 

 ユリや菊、トルコギキョウが所狭しと並ぶ仏間には、線香と花の匂いが充満していた。

 

 見上げると欄間の上には歴代の家長と思しき遺影がずらりと並んでいる。

 

 白黒の男たちは誰も彼も、睨みつけるように、見下ろすように冷たい目をしていた。

 

 かなめはごくりと唾を呑んでそっと視線を下げる。

 

「あの一番奥……カラー写真が二枚あるのがお見えになって?」

 

 せっかく下げた視線をかなめは恐る恐る再び上げた。

 

 そこには白髪の老人と鬼籍に入るには随分若い男のカラー写真があった。

 

「アレが私の主人です……主人はかねがね言っておりました……うちの血筋は呪われているのだと……感じますか? この家の呪いを?」

 

 突然告げられた呪いという言葉にかなめはギュッ……と身が竦んだ。

 

 帰りたい……

 

 しかし舞子はそんなかなめのことなどお構いなしに障子の方へと向かいスルスルと障子を開け放った。


 その時ゴロゴロと遠くで雷の音が響いた。


 それに伴い大粒の雨がひさしを叩くバチバチという音が聞こえてくる。


 舞子は開いた障子から縁側に出ると、格子状の掃き出し窓も開けてそのままそこに立ち竦み、窓の外、庭の一点を見つめて動かなくなった。



「呪いといいますと……?」

 

 雨音以外に何も聞こえない静けさと低気圧の運んできた重苦しさに耐えかねてかなめが口を開くと、背後で襖がシャ……と開いた。

 

 それがあまりに唐突だったもので、思わずかなめの肩がビクリと跳ねる。

 

 見るとそこには盆に乗せた茶を運んできた腰の曲がった老婆がいた。


 膝立ちでこちらをジロジロと見る目には、まるで品定めするような不愉快さがある。

 

 片方の目は白く濁り、恐らく見えてはいないだろう。

 

 しかし残されたもう片方の目はそれに比べて異様に大きく見開かれており、かなめの胸中には得体の知れない恐怖が沸々と湧き上がってきた。

 

「どうぞ……ごゆっくり……こちらにお掛けなさいな」


 老婆はそう言って座卓に湯呑みを置くと仏間を出て三つ指をついた。


 慌ててかなめも頭を下げると、老婆はそれには反応せずに襖を閉じてしまう。


 

「もし……?」

 

 その声にかなめはぞくりとした。

 

 恐る恐る目をやると、舞子は相変わらず庭の一点を見つめて佇んでいる。

 


「あなたにもアレが見えて……?」

 

 操られるように舞子の視線の先を見るが、そこには何も無い。

 

 桜の古木が白い樹皮を雨で濡らすばかりだった。

 

「……桜がどうかなさいましたか……?」

 

 仕方なくかなめは見えるものについて問うことにした。

 

 案の定舞子はその返答が気に入らない様子で敵意にも似た感情を隠そうともせず振り返って言う。

 

「そう……あなたにはお見えにならないのね……あなたのお見えになるのかしら……?」

 

 膝を擦り、衣擦れを響かせ、這い寄りながら尋ねる舞子の姿に、かなめの心臓が悲鳴をあげる。

 

 いつの間にか忘れていた呼吸が苦しさと共に呼び起こされると、かなめは細く息をしながら何とか言葉を絞り出した。

 


「その……おそらくは見えるかと……」

 

 その答えに満足したのか舞子はにっこりと、糸を引くような笑みを浮かべてかなめに念を押し、襖を開いた。


「そう言えばお急ぎでしたわね……お送りしますわ?」


 小さく頷きかなめは舞子の後に従う。



 一刻も早くこの場を立ち去りたかった。


 こうしてかなめは出された茶には一口も口をつけることなく屋敷を後にした。 


 外に出ると既にタクシーが呼ばれており、運転手が緊張した表情で屋敷を見上げている。


「お構いも出来ずにごめんなさいね……? これ、タクシー代」



 そう言って舞子はかなめに三万円を握らせる。


「こんなに要りません……」


 かなめが慌てて返そうとすると、舞子は静かに首を振って耳元で囁いた。



 くれぐれも先生によろしく……

 

 

 まるで呪いか脅迫のような言葉を胸に、かなめはタクシーに乗り込むなり、大急ぎで事務所の住所を運転手に告げるのだった。

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