ケース8 じんめんそう③

 

「かなめちゃん、さっきのカードだけど……」

 

 その時ちょうどホーリーの携帯が着信を告げた。

 

 チラリと液晶に目をやるホーリーにかなめが言う。

 

「気にせず出てください! 急ぎの用だといけないし!」

 

「そう? ごめんなさいね」

 

 そう言ってホーリーは携帯をとると受話器の向こうから悲痛な声が聞こえてくる。

 

「みかポンどうしたのよ!? え!? ぎっくり腰!? 動けないから来てくれって……他に誰かいないわけ!? わかったわ……」


 通話を終えるなりホーリーは手を合わせて頭を下げた。

 

「ごめんね! 友達がぎっくり腰になっちゃったみたいなの! 埋め合わせはまた今度するから今日はお開きにさせてちょうだいね?」

 

「お気になさらず! 早く行ってあげてください!」

 

「もぉ〜!! あなたってほんといい子!! ごめんなさいね! また今度ね!」

 

 そう言ってホーリーはレジに向かい二人分の会計を済ませるとタクシーを捕まえて行ってしまった。

 

 かなめはぬるくなった紅茶に口を付け、食べかけのワッフルを流し込む。



 先生はこんなカフェに来るだろうか……? 



 ふとそんなことを考え周囲の客に視線を向けると、ママ友の集いやカップルの姿が目についた。


 そんな中で卜部が花柄のティーカップを手に紅茶を飲んでいるところを想像すると、なんだか自分までもがひどく場違いな所にいる気がした。

 


 雲が途切れたのかすぅ……と日差しが戻ってきた。


 普通と超常の間に境界線を引くように、その光は向かいビルに遮られ、かなめだけを陰の中に閉じ込める。

 

 その時急に先程の女が最後に見せた表情を思い出し、かなめの背筋にぞくりと寒気が走った。

 

 かなめは裾が白い雲のようになった空色のカーディガンを羽織ると、鞄を肩にかけて店を後にした。

 

 駅に向かう人の流れに逆行しながら、かなめは鼻歌を歌って歩いていく。

 

 休日を迎えた春の街にはどこかカーニバルのような空気があった。

 

 休みの日でも、先生は事務所にいるに決まってる……

 

 甘いものを食べた後で、今度は塩辛いものが食べたくなったかなめは、手土産を買って事務所に向かうことにした。

 

 おこわだな……筍おこわだな……

 

 そうと決まれば自動的に、かなめの足は商店街へと向かっていた。

 

 歩道橋を渡り、大通りを越え、来た道を引き返す。

 

 大通りから直角に伸びる商店街のアーケードに入ろうとした時、背後から声がした。

 

「もし……?」

 

 咄嗟に振り返ると、そこには先程の女性が立っていた。

 

 白い肌の上で真っ赤な唇がにっこりと笑っている。

 

「あなたはさっきの……」

 

「先程は失礼いたしました……見苦しいところお見せしてしまいましたね……」

 

「いえ……そんな……」

 

 かなめが思わず一歩退くと、スッ……と女も一歩近づいた。

 

「今からどちらへ?」


「え?」

 

 にこやかな顔で女は言う。

 

 しかしその目の奥には有無を言わせない圧が潜んでいた。

 

「いや……あの、おこわを買って事務所に戻ろうかと……」

 

「事務所……?」

 

 また一歩、女はかなめの方に躙り寄って言った。

 

「はい……心霊解決センターの……」

 

「心霊解決センター……あなた、お名前を伺っても?」



「ええと……その……」

 

 かなめの頭にホーリーの顔が浮かんだ。

 

 名乗ることも名前を聞くこともしなかったホーリー。

 

 しかしもはや目と鼻の先で自分の顔を覗き込む女の圧に負けて、かなめは小さく呟いてしまった。

 

万亀山まきやまかなめです……」

 

 女はいつの間にかなめの手を握っていた。

 

 笑みを浮かべてゆっくりと上下に顔を動かしている。

 

 それがまるで自分の名をしているように見えて、かなめはひどく恐ろしいような気がした。

 

「そう……かなめさんっていうのね……かなめさん。あなたに折り行ってご相談したいことがあるの」

 

「わ、わたしにですか?」

 

「ええ。ここじゃ何だから家まで来て頂けないかしら? それほどここから離れてもいないし、時間も取らせないわ。この通りです」

 

 そう言って女は一目もはばからず深々と頭を下げた。

 

 通行人が怪訝な顔で通り過ぎていくことに気づき、かなめは慌てて女に言う。

 

「あ、頭を上げてください! わたしなんかで役に立つとは思えませんけど……」

 

「じゃあ、来てくださるのね?」

 

 そう言って女は顔を上げるとすぐに通りに出て行ってタクシーを呼び止めた。

 

 促されるままタクシーに乗り込み二十分ほど走ると、車は郊外の緩やかな坂の上に立つ大きな武家屋敷の前で停車した。

 

 

 瓦のついた白塗りの塀には巨大な檜の門が備え付けられており、大きな桜の木が塀の上から覗いていた。

 

 小股ですすす……と脇戸の前まで歩くと、不意に女は立ち止まりかなめの方を振り返る。

 

 妖しげな微笑を浮かべながら女がゆっくりと口を開いた。

 

「そういえば自己紹介がまだでしたね……申し遅れました。私、櫻木舞子さくらぎまいこと申します」

 

 そう言って小さく頭を下げると、舞子は脇戸をそっと開いて言った。

 

「ようこそ……櫻木家へ……」

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