ケース7 団地の立退き㊽


 禍珠が魑魅にぶつかり爆ぜるのと同時に、ミカの首に絡みついていた髪の縄がズルズルと緩んだ。

 

 小林は崩れ落ちそうになる娘の身体を咄嗟に抱きとめる。

 

 鬱血した目、醜く紫に腫れ上がった頬、口から垂れる涎……

 

 しかしそれでも、そこにいるのは紛うことなき娘だった。

 

 小林は娘を抱きしめ何度も何度も髪を撫でつける。

 

「もう放さない……放さないから……」

 

 そうつぶやくと、娘がすっと腕からすり抜けた。

 

 娘の魂は母親の両肩に手を乗せると静かに首を横に振る。

 

 ごめんね……

 

 ありがと……

 

 声は聞こえなかったが娘の唇は確かにそう言った。

 

「嫌よ……!! 嫌……!! そうだ……あの霊媒師さんに頼めば……」

 

 そう口走って卜部達を探そうとした小林に、娘は諭すような表情を浮かべて首を振ると、みるみる内に霧雨になって消えてしまった。


「あ゙ぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ……ミカぁぁああああああ……」 


 娘がいたはずの場所に爪を立てて掻き毟りながら、小林は声を出して泣いたが、ふとその耳にかなめの悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 

 

「先生…… 先生…… 起きてください…… 先生……」

 

 声の方を見やると、ぐったりとした卜部を抱きしめながら、かなめが必死に呼びかけていた。

 

 小林は涙を拭って木を降りる。

 

 娘にもう一度会わせてくれたあの娘を放ってはおけない……

 

 もつれる足でかなめのもとに駆けつけると、小林は卜部の口元に手をかざした。

 

「この人……息をしてないよ……」

 

「そんな……先生……! 起きてください! 先生……!」

 

「声をかけてる場合じゃないよ……!! かなめちゃん……人工呼吸を……!!」

 


 えっ……!?

 

 

 思わぬ小林の発言にかなめは固まった。

 

 しかし小林はそんなかなめから卜部を引き剥がすと、自分のジャンパーを枕にして卜部の頭をその上に寝かせる。

 

 胸の上に手を当て、心臓マッサージの準備が整うと、小林はかなめの方を見て頷いた。

 

 人工呼吸

 キス

 人工呼吸

 キス

 これは人工呼吸?

 YES。キス。

 先生を助けるための

 キス。

 

 バクンバクンと心臓が跳ね回り、頭の中では白馬のいななきまで聞こえてくる。

 

 いつの間にか両肩に現れた白雪姫と継母が左右の耳に囁きかけると、かなめの耳は火のように熱くなり、卜部から渡されていた命綱を握る手にはとんでもない力が入った。

 


 ドクン……

 


 その時、握った命綱が脈打った。

 

 ドクン……ドクンと握った手の中に鼓動を感じる。

 

「先生……?」


 かなめの意識と視線が現実の卜部に戻って来る。




「何やってるのよ!? 早くしないと手遅れになっちゃうわ!?」



 しかしかなめは何も答えずに立ちすくんでいた。 


 ガクガクと身体が震えだし、酷い寒気がする。

 

 指の先から体温が吸い取られるような感覚に戸惑いつつも、かなめは卜部の言葉を思い出す。

 


「お前が命綱を握ってる限り俺は死なん」

 


 かなめが命綱を握る手に力を込めると、背骨を悪寒が駆け抜けて、卜部が大きく息をした。

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