ケース7 団地の立退き㊴

 

 独り前を征く卜部の背中が、かなめの目には遥か彼方に見えた。

 

 今ならまだ、手を伸ばせばその背中に手が届く。

 

 しかしそれでもかなめはその背中に触れることが出来なかった。


 伸ばしかけた手は力なく脇に降ろされる。 


「お腹でも痛いんでしょうか……?」


 リベカは心配気にかなめを見上げてつぶやいた。


 かなめは言葉を探したが本心とかけ離れた言の葉達はどれも薄っぺらでまるで重さが感じられない。

 

 真っ白な灰の中に投げ出されたような虚しさの末に、かなめは静かに首を横に振った。

 

「わかりません……それより、急ぎましょう……」

 

 先生の背中が見えなくなるまえに……

 

 かなめは心の中で祈るようにつぶやくと小林の手を引いて早足に歩き出した。

 

 小林も卜部の変化を感じ取ったようで、不安そうな表情を浮かべている。

 

「私……何か悪いことを言ったかしら……?」

 

「いいえ……きっと先生の……」




「先生の問題なんだと思います……」

 

 

 

 

 卜部に追いついたのはちょうど森の入口辺りだった。

 

 緩やかな斜面に沿って林道が奥へ奥へと伸びている。

 

 植林された針葉樹にはところどころ紙垂しでが巻かれていた。

 

 それは神聖というにはあまりにも不気味な光景だった。

 

 かなめは紙垂の巻かれた木を見上げて全身が泡立つのを感じる。


 

 縄が結んである……

 


 随分と長いこと雨ざらしにされていたようで、風化の跡は見て取れたが、今なお残る太い麻縄は、まるで首を括るために結ばれたように見えた。

 

「ひっ……」


 辺りを見渡しかなめは思わず小さな悲鳴を上げた。

 

 縄の結ばれた木は一本や二本ではない。

 

 三本、四本、五本、六本……十本、二十本はくだらないだろうか……

 


「これがこの団地の忌まわしい過去だ……かつてこの森で、団地住人の集団自殺があった……自殺者全員が新興宗教の信者だったことが後にわかっている……」


 

……」

 

 小林は吐き捨てるようにつぶやいた。

 

「隣に越してきた女がそう言ってたわ……でも」

 

 

 そう言って小林は奥の方に生えた、一際太い木を指さした。

 

「その女も、あの木で……」

 

 ごくりと唾を飲み、かなめはその木に目をやる。

 



 そこには麻縄に吊るされた白装束の女がぶら下がっていた。

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