ケース7 団地の立退き㊳


「どこに向かってるんですか?」

 

 かなめの問いかけに卜部は黙って指を差す。

 

 指先は団地の奥に見える掘削された真っ赤な山肌に向けられていた。

 

「赤龍……?」

 

「そうだ。最初に気づくべきだった……ここの土地神は……」

 

「それで魑魅様はあんな姿に……?」

 

「それはきっかけに過ぎない。そうだろ……?」

 

 卜部はタバコに火をつけて紫煙を吐いてから小林に向き直った。

 

 卜部の射るような視線に耐えかねて小林が顔を背ける。

 

「どういう意味ですか? なんで小林さんに……?」

 

「さっき役所の連中を保護した時に問い詰めた。この団地で起こった忌まわしい事件……」



「そうよ……忘れるはずもない……あの日も冷たい雨の日だった……」 


 そう言って口を開いた小林は沈痛な面持ちで語り始めた。

 

 

 この団地にも昔は大勢人が住んでてね。入れ替わりも激しくて、知らない人もたくさんいたわ。

 

 そんなある日、一組の若い夫婦が隣の部屋に越してきたのよ……

 

 二人ともとても丁寧で優しくて、当時高校生だった娘は随分二人に懐いてね……

 

 しょっちゅう家に遊びに行ってたわ……

 

 手作りのアクセサリーをもらったりした時は大喜びで、毎日それをつけて学校に行ってたの……

 

 

 そう言って小林はポケットから色とりどりのガラス玉を組み合わせて作ったブレスレットを取り出した。

 

 かなめが引き寄せられるように見つめる横で、卜部は口を袖で覆い吐き捨てるようにつぶやいた。

 

「酷い穢れだ……一体どうやってこんなものを……」

 

 かなめはその言葉にドキリとして卜部を見た。

 

「やっぱり、分かる人には分かるものなのね……これを付けるようになってから娘は……ミカは変わってしまったの……」

 

 

 

 

 

 

 

……!! 離して……!!」

 

「ミカ……!! こんな雨の日に何処に行くつもりなの!? 学校にも行ってないんでしょ!? 先生から連絡があったのよ!? 一体毎日何処で何してるの!?」

 

「うるさい……!! 私のことなんてくせに!!」

 

「あなたが何も話してくれないからでしょ!? ちゃんと説明してちょうだい……!!」

 


 その時私は、なんとなくミカの腕に巻かれたブレスレットが気になったのよ……これがすべての原因なんじゃないか? って……


 虫の報せが聞こえた気がしたわ。


 私は乱暴にミカの手首に巻き付くブレスレットを掴んだの……


 そしたら、テグスが切れて床にガラス玉が散らばったわ。


 あの時の娘の絶望しきったような顔が、今も脳裏を離れない……


 とっても酷いことをしたんじゃないかって……あんなことしなければ……娘は、娘は今も……

 

 


 小林は崩れ落ちるように地面に膝を付いて肩を震わせた。

 

 かなめはそんな小林のそばにしゃがみ込んで背中をさする。

 

 小林は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、かなめの手を取り震える声で続けた。

 

 

「何するのよ……!? 大事なのブレスレットが……!!」

 

 ミカは私を突き飛ばして石を集めようとしたけど、無理だった……

 

 石はまるで逃げるようにミカの手をすり抜けていったわ……

 

「もうお終いよ……

 

 そう言ってミカは自分の部屋に戻っていったわ……

 

 私は一日中、扉の前でミカが出てくるのを待ってたのよ……でもミカは……

 

 

「まさか……」


 かなめが思わずつぶやくと、小林は首を横に振った。


「いいえ……自殺したのは部屋じゃない……あのよ……」

 

 小林はそう言って赤い地面が剥き出しになった山の斜面のすぐ下に見える、鬱蒼とした森を指さした。

 

 かなめはゴクリと息を呑み、森に向けた視線を卜部に移した。

 

 すると卜部は目を見開き口を固く結んで、虚空の一点を睨みつけている。

 


「先生……?」

 

 卜部の尋常ではない様子にかなめは嫌な胸騒ぎを覚えて声をかけた。

 

 そっと肩に触れようと伸ばしたかなめの手に、卜部はと身体を震わせる。

 

「だ、大丈夫ですか……? どうしたんですか……?」

 

 卜部はタバコを口に運んだ。

 

 かなめはその手が微かに震えているのを見逃さなかった。

 

「すまん……何でも無い……行くぞ……」

 

 そう言って卜部は踵を返すと、独り暗い森の方へと歩き始めるのだった。

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