ケース7 団地の立退き㉒
「テレビをすまない。弁償が必要なら請求書を送ってくれ」
卜部はそう言って事務所の住所が書かれたメモを小林に差し出した。
小林は呆気に取られながらも首を小さく左右に振った。
その時かなめは卜部の拳から流れる血に気が付いて声を出す。
「先生……!! 手が……!!」
「ああ。少し切っただけだ。大したことは……」
「駄目ですよ……!! ばい菌が入ったらどうするんですか!!」
そう言ってかなめはポケットからハンカチを取り出し卜部の傷口に当てようとする。
しかし卜部は顔を顰めて手をポケットに隠そうとした。
「ちょっと……!! 子供じゃないんですから!! ちゃんと手当してください……!!」
「やかましい……!! だいたいお前が大げさ過ぎなんだ……!! もっと酷い怪我でもなんともなかっただろうが……!?」
「だからって小さい怪我を甘く見ていい言い訳にはなりませんー!!」
「なっ……!? 言い訳とはなんだ!? 俺が治療を嫌がってるとでも言いたいのか!?」
「現に嫌がってるじゃないですか!!」
そう言ってかなめは手のひらを上にして差し出し、手を出すように催促する。
卜部は苦虫を噛みつぶしたような顔で渋々と手を突き出すのだった。
こうして卜部の手の傷にかなめがハンカチを巻いていると、背後から小林の低い声が聞こえてきた。
「あんた達……呑気にしてる場合じゃないよ……?」
振り向くと椅子に腰掛けて呆然と二人を見つめる小林と目が合った。
その顔は恐怖に引き攣っていたが、気味の悪いことに目と口元は嗤っている。
「どういう意味ですか……?」
おずおずとかなめが尋ねると、先程までの狼狽が嘘のように、小林は落ち着いた表情で微笑みかけた。
「ヤマメ様は全てご存知なの……特に……苦しむ者達には慈愛の雨を注いで下さるのよ……?」
「ヤマメ様……」
小林のあまりの変わりように、かなめは引き気味につぶやいた。
そんなかなめを見てうんうんと頷いていた小林が、今度はスッ……と卜部の方を向き、無表情で冷たく言い放った。
「逆に……乱暴者、無礼者、誰かを傷つける
「狂いながら死んでいく……!!」
小林は壊れたテレビデオを指さして言った。
「あなたがやったことも……ヤマメ様はご存知よ……?」
そのままの表情で床と水平になるまで小林は首を傾けた。
そうしてゆっくりと元の位置にまで首を戻すと、キョロキョロと辺りを見渡して、再び狼狽し始めた。
「どうしましょう……ヤマメ様の放送が……ヤマメ様の放送が見られない……」
そう言ってウロウロと部屋を歩き回っていた小林は、何かを思い付いたように再び椅子に腰掛け、おもむろに玄関を指さした。
「帰ってちょうだい……」
「え……?」
「帰ってちょうだい……!!」
大声で喚き散らす小林に追い出されるようにして、二人は部屋を後にした。
部屋を出た後も、かなめは先程の小林の言葉と表情が脳裏を離れなかった。
苦しむ者には慈愛の雨を降らせるヤマメ様……
呪いの雨……狂いながら死んでいく……
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