ケース7 団地の立退き⑰


「きゃきゃきゃ……」

「ふふふふふ……」

「くすくすくす……」


 その声でかなめが振り返るとバタンと戸が閉まる音がした。


 二号棟に足を踏み入れてからそこかしこで声や気配がする。


 しかし肝心の姿はどこにも無かった。


 見ようとすればするほどに、はすんでのところで視界から消えてしまうのだ。


 

 揶揄われているような、誘い込まれているような、なんとも言えない居心地の悪さを感じながら、かなめは卜部の後に従い階段を登っていた。

 

 踊り場から先程通ってきた渡り廊下が見える。


 その奥に佇む一号棟は、なんとなくここよりも静かで安全なように思えた。



 また怖いものを見てはたまらない……



 そう思ってかなめが階段に視線を移した瞬間、つい今しがたまで手を掛けていた階段の手摺のでは目を見開いて笑う黒い男が落ちていった。


 しかしかなめはそれに気が付かない。


 そんなことはお構いなしに、男は音もなく地面に黒い染みを残して消えていった。

 

 

「先生……一号棟よりこっちの方が嫌な気配が濃くないですか……?」

 

 三階の廊下を見渡しながらかなめがつぶやいた。

 

「だろうな……おそらく一番奥の五号棟に核心たる怪異がいる……」

 

「じゃあ……進めば進むほど……」

 

「ああ。ヤバいことになっていく……それより住人は四階だったな?」


 そう言って卜部は上階へと続く階段を覗き込んだ。


「行くぞかめ。モタモタするな」


「かなめです!」


 四階へと続く階段の踊り場を過ぎた瞬間、かなめの視界の端にが走った。


 いや。正確にはのだ。


 嫌な汗が吹き出て心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 

 しかし前を行く卜部は何も感じていないらしく、平然と階段を登っていく。



「先生……!! 今……何か……落ちていった気が……」

 

 声を掛けると卜部はピタリと足を止めて振り向いた。

 

 卜部は静かに踊り場まで戻ると覗き込むように下を見た。

 

 そこには大きな黒い染みが残った、ピンクとグリーンのコンクリタイルの地面が広がっている。

 

「一体どうなって……」

 

 

「危ない!!」

 

 口を開きかけた卜部の手を、かなめは力いっぱい引き戻した。

 

 その瞬間、驚きの表情でかなめを見る卜部の背後で、落ちていく黒い男の満面の笑みとかなめの目が遭った……


 男は先程まで卜部が頭を出していた場所を通過して、地面の染みへと消えていく。


 かなめの表情と視線に気付いた卜部は急いで背後を振り返ったが、もうそこには何の痕跡も残っていなかった。 


 

「い、今……!! 黒い男が……!! 先生のいたところに……!! 落ちていって……」


「すまん……助かった……」


 息を切らしながら言うかなめを引っ張り起こしながら、卜部は言う。



「どうやら今回の依頼……本格的に俺の霊感があてにならんらしい……」



 苦々しい表情で吐き捨てた卜部は、再びかなめの方に視線を移し真剣な眼差しで言う。



「どうやら俺だけでは奴らを……お前の目が頼りだ……!! 頼むぞ……?」

 

 恐怖で冷え切ったかなめの心臓に熱い何かが流れるような気がした。

 

「はい……!!」

 

 かなめは卜部の目を真っ直ぐに見つめ返すと、短く、しかし力強く頷くのだった。

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